牡丹(5)
忠雅の笑みに、なぜこんなに胸がどきりとするのだろうと自分の心もわからぬまま、隆季は自分の牛車で彼の牛車の後をついていった。何しろ向こうは何の位もないような自分とは違って帝の覚えめでたい従三位近衛府中将である。付いてこいといわれれば断ることなどできはしない。
しかし、一度も面識のない中将様が私などにいったい何の用があるというのだろう?いくら考えても心当たりがなかった。
まだ17歳の若い隆季には、闇の色の深い宮廷貴族の思惑などわかるはずもない。
牛車が忠雅の屋敷の前に止まった。門構えの立派な大きな屋敷、花山院邸である。
御簾を上げて外を見ると忠雅が先に下りて待っていた。
「さあ、隆季殿。どうぞこちらへ。」
「はあ…」
忠雅に促されて隆季は牛車を降り、屋敷の中へと招かれていった。
「さあ、一献召されよ。」
東の対で忠雅が瓶子を手に隆季に酒を勧める。二人の前には幾種類かの酒肴も出されていた。
「いえ。私はあまり酒(ささ)をいただきませぬ。それにまだ日も高うございますし。」
そこから見える整然とした広い中庭には春にはまだ遠いが、柔らかな日差しが降りそそいでいる。
足を崩した忠雅とは対照的にきちんと座した隆季、失礼かとも思ったが、勧められた杯をやんわりと固辞する。
「そうか、では私は勝手にやらせてもらうぞ。」
そういうと忠雅は自分の杯に手ずから酒を注いで、くいっと呷った。杯を持つ手がひじの辺りまでめくれて、忠雅の殿上人にしては鍛えられた腕に隆季の目が吸い寄せられた。
先年、父親が亡くなりその名代として、先の大祓えからやっと参内のお許しを得た隆季。正五位ではあるがまだ無官であった。
父親に代わって参内するまでは、元々体も弱かったせいもあって、あまり屋敷の外に出ることもなかった深窓の令息である。あまり日に当たることもなかったのだろう、細い線の面は抜けるように白く、目鼻立ちに育ちのよさがにじんではいたが、青年というよりはまるで少女のような幼さの残る黒目がちのあどけない顔をしていた。
忠雅のように、男としての匂いを当たりに撒き散らしているような人間には、今までお目にかかったことがない。母も早くになくして乳人(めのと)のぬえに守るように育てられていたので、このような強烈な個性の人間にはまったく免疫がなかった。
自分では気づいていないが、ただの一度で忠雅のその強い個性に惹かれてしまっていた。
「あ、あの…それで中将さま、私に御用の向きとはいったいなんでしょうか?」
自分が忠雅の腕を見つめていたことに気づき慌てる隆季、そこから視線を離すと動揺する気持ちを押さえつけて聞いた。
「あなたは左大臣藤原頼長さまをご存知か?」
再び酒を満たした杯を口元で止めると、その杯のふちから隆季をじっと見据えて聞く。
その、強さを秘めた視線にどぎまぎとしながらも、こくりとうなずく。いくら世情に疎いほうとはいえ、左大臣の頼長の名を知らぬはずがない。時の帝、近衛の帝からは煙たがられているが鳥羽上皇の庇護のもと、内裏を牛耳っているのは本当は彼だと皆がうわさしているのを聞いたことがある。なぜ、その左大臣の名がここで出るのか。
「はい、存じ上げております。お名前を聞いたことがあるだけで、まだお目にかかったことはございませんが。」
「あなたはそう思っていらっしゃるようだが、左大臣さまはあなたのことをご存知ですよ。」
そういうと再び杯を空けた。
「えっ?」
隆季は驚いた。いったいどこで、お目にかかったと言うのだろう。全然覚えがなかった。
「いったいどこで…。」
「先の大祓えの折、あなたをお見かけしたらしい。それで、左大臣さまからこれをあなたにと、お預かりしてきた。出来ればすぐにでもご返事が頂きたいとの仰せだ。」
そういって忠雅は懐から文を出し、隆季に差し出した。
手に取るとよい香りがした。香を焚きしめてあるようだ、まるで恋文のような。
忠雅はそれ以上何も言わなかった。隆季が不思議そうな顔をしているのを面白く思いながら、ひとり瓶子を傾け自分の杯に酒を注いでいる。
(まったく面白い見ものだ。確かにこの子は白百合のようにきれいな子ではあるがまだ、子供ではないか。頼長め、本当に節操のないやつだ。)
見ていると文を手に隆季が固まっている。
どうやら内容を理解したようだ。
それはそうだろう、間違いなく恋文なのだから。
「どうなされた?隆季どの。」
隆季ははっとしたように忠雅を見た。その顔が朱に染まっている。
(いったいどれほどあからさまな歌をよんだのだ、頼長のやつ。)
「こ、これは恋の歌ではありませぬか…。なにゆえ左大臣様は私にかようなものを…」
何かの間違いではと言いたげだ。
片頬ににやっと笑みを浮かべて忠雅は言った。
「間違いなどではございませぬよ。あのお方は本当にあなたを望んでおいでだ。さあ、どうなされます?私はあなたの返事をいただいてくるよう左大臣さまから頼まれているのですが?」
「あの…申しわけございませぬが…私にはかような趣味はございませぬ。お戯れはおやめください、とご返事をお願いいたします。」
文をたたみ直して忠雅の前に置くと深々と頭を下げた。いくら左大臣様からのたっての頼みとは言え、とても承諾できるものではない。今の世、男女のみならず男同士のそういう関係は、貴族にとってはさして珍しいことでもない、むしろその方が高貴なたしなみだとされているというのは知ってはいたが、まさか自分にそのような話が降ってくるとは考えたことすらなかった。
「では、…あの…これにて失礼させていただきます。」
と、動揺を抑えながら忠雅に暇を告げる、一刻も早くこの場から逃げたかった。立ち上がりかけた隆季の手を、忠雅は杯を床に置くとゆっくりと手を伸ばして掴んだ。
「な、なにをなされます?」
突然のことにうろたえる。
「あなたはまだ、女子も知らぬのであろう?」
ひざ立ちになった隆季を、下から見上げて忠雅が言う。
「なにを急に…」
忠雅のすべてを見透かすような目にまた、胸が鼓動を早めていった。
「女のことどころか、何も知らない…そんな顔をしておられる。この世はたぶん、あなたが思っているほどきれいなものではないですよ。たしか、昨年お父上が亡くなられたとお聞きしたが、家督を維持してゆくのがはあなたの使命ではないのですか?何の役職も持たない今のあなたには頼長さまの後ろ盾をいただけるこの話、よく考えたほうが御身のためになると思われるが…?」
そこまでいうと隆季の腕をぐいっと引く。バランスを失って隆季の体が忠雅の腕の中へと落ちてくる。
「うわっ!」
あわてる隆季の顎をとると忠雅はその唇に自分の唇をかぶせた。驚いてもがく隆季の顔を押さえて口付けを深める。いまだ誰にも触れられたことのないであろう唇は男のものとも思えぬほどにやわらかく、その咥内は瑞々しかった。
少しばかりからかうつもりだったが、つい本気を出してしまった、まったく大人げのないことだ。心の中で自分を笑いながら、隆季をその腕から開放する。一瞬ぼうっとわれを忘れたようだった隆季が、はっとしてあわてて忠雅の腕の中から逃げ出す。
「ち、中将さま!な、なんてことを!!」
頬をそれこそ深紅に染めて、隆季が叫ぶように抗議する。
「ははっ、すまぬな。隆季様があんまりおいしそうだったもので、ついな。失礼した。だが、男もよきものだろう?左大臣様のこと、今一度、考えてみてくれ。」
博雅によく似た顔立ちで笑う。大きく笑み崩れると、とても人を惹きつける魅力にあふれた表情になった。
「…!」
忠雅のとろけるような笑みを浮かべたその口元に、思わず目が吸い寄せられる。隆季はそこから無理やり視線をはずすと
「と、とにかく私には左大臣さまのお気持ちにお応えするなど、とても出来ぬ相談です。し、失礼いたします!」
今度こそ立ち上がって几帳を倒しそうな勢いで東の対から逃げるように出てゆく。その隆季の背に追いかけるように忠雅の声がする。
「きっと、頼長さまはあきらめませぬよ!気が変わったら私に言ってくだされよ!」
その後に大きな笑い声。
(まったく、なんて人だ!あ、あんなものを取り次ぐだけではなく、それを楽しんですらいる。とんでもないお方だ!)
背中で忠雅の笑い声を聞きながら、隆季は廊下を駆け出さんばかりに歩いていった。口付けられた唇を袖でぐいっとぬぐった。だが隆季の咥内には忠雅の口付けで移った酒の香りがまだ、しっかりと残っていた。
あの日より三ヶ月、隆季は左大臣頼長からの誘いをことごとく断り続けた。頼長もしつこいが、それの仲介をする忠雅の神経も相当なものだ。
色々と耳に入ってくるうわさでは、忠雅は頼長とそういう仲であるとひそかに囁かれていた。ただ、二人とも内裏では大きな力を持つもの同士であったので誰も大きな声ではそれについて語ろうとはしなかったが。
その三月ほどの間に隆季は、内裏で時々目にする忠雅を違った意味で意識するようになっていった。
いつも頼長からの文や付け届けを持ってくるのは彼だった。従三位中将ともあろう人がすることとも思えぬのだが、彼はプライドこそ高かったが大変実利的な人間でもあったので、そういったことを下の人間にはまかそうはしなかった。下のものをあまり信用すると、どこで裏切られるかわかったものではないからだ。そういう意味でも確かにこの世は忠雅の言うとおり、けっしてきれいなものではなかった。
そうやって訪ねてくる忠雅のことをいつしか心待ちにしている自分がいることに気づいてしまった隆季。
私はきっと、どこかおかしいのだ。頼長さまのことはどうしてもその気になどなれぬのに忠雅様がいらっしゃると思うだけで、どこぞの姫のように心が乱れて落ちつかない。
忠雅のあの笑みに惹かれる。口元を少し上げてわずかに微笑まれただけで、隆季の胸は百万の蝶が羽ばたいたようにときめく。
でも、あの方は私など見てはいない。私はあの方にとっては上を目指すための段のひとつに過ぎないのだと今ではわかっていた。
だからといって頼長からの誘いは受けたくなどない。悶々とした想いがどんどんと重ねられてゆく。いつしか慕う気持ちが逆に恨みがましい気持ちへと変わりつつあった。
いつも世の中をばかにしているような忠雅、きっと自分より上の人間なんていないと思っておられるのだ。悪いうわさもよく聞く。
源芳紀どのが家屋敷を手放すことになって半狂乱になられて自害されたのもあのお方が今はやりの双六賭博で源様の財産をすべて取り上げてしまったからだと聞いた。泣いてすがる源さまを外に放り出したとか…血も涙もないと言われ、「黒の中将」と呼ばれているそんな忠雅に引かれてゆく自分はやはり、おかしいのだ、きっと。
慕う気持ちとうらむ気持ち、二つの違うようでよく似た感情の渦の中で隆季は揺れていた。
幼少のころより母に成り代わって一心に愛情をこめて隆季を育ててきた乳人のぬえは、そうやって苦悶する隆季を気遣わしげに見てきた。
ご両親にも先立たれ一人、陰謀渦巻く内裏の中へ放り込まれた若い隆季が心配でならなかった。
ところが、早く北の方を娶られればと思っていたのに、あたら美しく生まれているばかりに爛れた貴族連中に先に目をつけられてしまった。それが悔しくてならない。
特にいつも、左大臣頼長さまからの使いで来られる従三位近衛府中将花山院忠雅。
あの男はよくない。あの男が来るたびに隆季さまは落ち着きをなくす。…たぶん恋をしておられるのだ。世の中に疎いばかりにあのような危険な男に免疫なく惹かれてしまった。ぬえは忠雅にたいして静かに怒りを募らせていた。
「いったい、いつになったら隆季殿は我に色よき返事をくれるつもりじゃ。」
と、言ったのは頼長。
ここしばらくは殿中行事や政ごとに忙しくてさして気にもしていなかったが、いったん思い出すと気になってしょうがない。ほかにも何人かの恋人もいるのでさして不満というわけではなかったが。
「まあ、あれはなかなか難しいなあ。やわそうに見えていがいと頑固だからな。いい加減、あきらめたらどうだ。俺とてそうそういつまでも使いごとなどあきてきたぞ。」
酒の杯を傾けながら忠雅が答えた。
「ま、そんなに執着しているわけでもないんだが、ここまでじらされると追いかけたくなるというものだろう?」
「ふっ、酔狂な…。では、違う手に出るというのはどうだ?」
「違う手とは?」
「呪符さ。」
「呪符?…陰陽師か!」
「そうだ。俺は詳しくは知らんがどこぞの少将が陰陽師の呪符で姫を得たとかいう話を先日聞いたぞ、おぬしも試してみればどうだ。」
そういうと頼長の杯に酒を注ぐ。
その杯を手に頼長がうなずく。
「その手があるか…。いつまでもちんたらやっているよりそちらの方が確かに早いな。確か都に阿倍泰親(やすちか)が帰ってきたと聞いたな。あれに頼んでみるか…」
播磨の国から最近都に戻ってきた一人の陰陽師を思い出した。
あれも大変にきれいな男であったな。いくら誘ってもけっしてなびきはしなかったが。(ほんとに見境のない男である)
「阿倍泰親?おぬし、陰陽師に知り合いなどいたのか?」
「なんだ泰親殿を知らぬのか?何年か前までこの京一の陰陽師と名を馳せた男だぞ。名前くらいは聞いたことがあるだろうに。」
「知らんな。俺は勧めておいていうのもなんだが、まじないなどにはまったく興味がないんだ。そんなやつがいたのか。」
「人に勧めておいてなんだ。まったく。…それより今宵はどうだ?泊まってゆくか?」
ちらりと忠雅を見る、ほかにいくら情人が出来ようと、この忠雅のほどのものはいない。普段は人を見下すように冷たくぶっきらぼうなくせに、いったん閨の中となると同じ人間とは思えぬほどに色を放ち、我を狂わせる。ただ、いつでも心だけは別だったが。
「いや、今夜は帰る。明日は帝に呼ばれておるのでな。なんでも俺に笛を吹けとの仰せだ。面倒くさいがこれもあの男の命令だ、いたしかたがない。」
博雅とは違い平気で帝をあの男呼ばわりする。帝を自分と対等、もしくは下ぐらいに見ているのだ。
「ほう。おぬしが笛か。珍しいな。」
忠雅は博雅と同じく、笛の名手として知られていた。
「ああ、近頃ではあまり吹かぬがな。なんでも帝が珍しい笛を手に入れたらしい。それを俺に吹けとさ」
「珍しい笛?」
「何とかって名だったが忘れた。有名な笛らしいがな。ただ、いまだに誰にも吹けぬらしい。何でも吹く人間を選ぶとかで下手なやつが吹くと音を出さない生意気な笛だそうだ。」
「それは葉双ではないか!」
「なんだ、知ってるのか?とにかく俺も明日そいつに挑戦しなければならぬのさ。誰も吹けない笛など俺だって吹けるわけなどないだろうがな。帝は俺に恥をかかせたいだけなのさ。」
ああ、気が滅入ると忠雅にしては珍しく、大きくため息をついた。
「それは災難だな。まあ、あまり気にするな。帝もぴったり後ろをついてくるお前が怖いのさ。」
「ふん。世が世ならあのような小さな器のやつなど俺が力ずくで引きずりおろしてやるのに。くそっ!」
そんな笛など叩き折ってしまえばいいという忠雅をなだめて頼長は笑った。
次の日、頼長に頼まれて忠雅は安部泰親の屋敷を訪ねていた。参内の帰りの直衣姿である。はじめて会うのだからいくら下位のものとはいえきちんとした姿でよかったと忠雅は思っていた。
それにしてもあのくそ笛め、ぴりっともならなかった。帝め、どうせ鳴らせるはずもないとわかっていてわざわざ俺にやらせたのだ。なにが「お前にも不得手のことがあるようでおじゃるな」だ。ああ、腹がたつ。
「なにをそんなに怒っていらっしゃるのですか?」
濡れ縁のほうから静かに声がした。いつのまに?まったく気配を感じなかった忠雅は驚いて声のしたほうを見上げた。
そこにはほっそりとした色白の貴公子が立っていた。
安部泰親。陰陽師である。
陰陽師というと妖しと戦う山伏か叡山の坊主のようないかつい姿を思っていただけに、忠雅は驚いてしまった。その貴公子然とした感じは下位のものとも思えない。きれいな女子を見慣れている忠雅も思わず目が奪われてしまった。
なんと美しい。まるで大輪の牡丹のような美しさだ。すけるような色の白い顔に桃色の唇がまるで誘うように弧を描いてほころんでいる。まつげが長くまるで扇のようにかぶさって、黒目がちの瞳を憂いを含んだまなざしに見せている。はっと我に返って軽く泰親に向かって頭を下げる。
「これは初めてお目にかかる。私は近衛府中将花山院忠雅、あなたが泰親殿であられるか?」
「はい。安部泰親にござります。どうぞおつむりをお上げください。私のようなものにそのような礼はもったいのうございます。」
前に座しながら泰親が言う。忠雅の方が位ははるかに上なので、自分は板の間にじかに座し、忠雅は畳の上に座している。
「それで、私に御用の向きとは?」
浅黄色に地模様の入った水干に身を包んだ泰親は目の前に座している忠雅をまっすぐに見た。
「単刀直入ですな。余計な話は一切しない、ということですか?」
「私に頼みごとを持ってこられる方は、たいていなにかしら後ろ暗いことか、もしくは他の誰かに知られたくないことでやってくるお方ばかり。いちいち内情など聞いていてはこの仕事などやってはいけませぬゆえ。」
美しいだけかと思っていたら、頭もきれそうだ。少し高めの女のような声ではあったがその言葉の端々に知性が感じられる。内裏に巣くう頭の腐れた貴族連中ばかり見てきた生粋の貴族である忠雅には驚くほどに新鮮な印象をもたらした。清冽な印象。
「…それならば話が早い。頼みというのは実はある高位のお方の頼みなのだ。名前は聞かないでくれ。そのお方がある人物にちょいと入れ込んでしまってなあ。向こうに悪気はないのだろうが無意識にじらしてしまってな、それがかえってそのお方をあおってしまった。で、どうしても思いを通わせたいと仰せなのだ。」
いったん、話を切ってうかがうように泰親の顔を見る、その顔には何の感情も表れてはいない。ただ、静かに話を聞いているだけだ。
「で、おぬしに思いを通じさせてくれるよう呪符を頼みたいのだ。どうだ、できるか?」
「もちろん造作もないことです。いかようにでも。」
たいしことではないとさらりと返す。
「ただ、相手はおなごではない。貴族の息子だ。そのつもりで呪符とやらを作ってくれ。」
「ほう。…わかりました。では、しばらくお待ちを。」
そういって奥へと消えた、待つことしばらく。奥から出たきた泰親の手に糸でくくられた人型の紙が二枚。どうやらそれぞれに人の名が書いてあるようだ。そのくくられた人型を手のひらに乗せると九字を切り愛染明王の呪を唱える。
「オン・マカ・ラギャ…」
唱え終わるとそれを忠雅に手渡す。
「これが呪符か」
まじまじと珍しそうに手の上の呪符を見る忠雅、普通の公卿のように怖がったり、化け物を見るような目で自分を見ることもない。噂どおり胆の座ったお方のようだ。
「そうです、これを相手のお方のお休みになられる部屋の真下にはるのです。真下が無理ならばその近くであればどこでもかまいませぬ。ただ、その場合は少し呪が弱くなるやも知れませんが。そうすれば、ここには頼長さまのお名前もわからぬように書いてございますゆえ、二、三日のうちには利いてくるでしょう。」
「いま頼長さまといったか?おぬし。」
ちらりと呪符から目をはずし泰親を見た。
「おや、私そのようなお名前をいいましたか?何かの聞き間違いでしょう」
忠雅と近いところにあった泰親の顔が綻んで、えもいわれぬ微笑を忠雅の目に焼き付けた。
「女のような顔をしているのに食えないヤツだな、おぬし。」
「お褒めのお言葉、ありがとうございます」
泰親はにっこりとほほえむ。
「はっ!おぬし、気に入った!」
一言そういうとぱっと立ち上がった。
「この礼は後ほど届けよう。それとは別にまた、寄らせてもらうぞ。一度おぬしと酒を飲んでみたくなった。よいか?」
にっこりと笑って泰親を見下ろす。
「このような所へまたいらっしゃりたいと仰るのですか?」
「そうだ。いやだといっても来るからな。ではな。」
泰親の返事も聞かずに風のように去っていってしまった。
その姿が見えなくなってから、ほっと肩から泰親は力を抜いた。
「なんて強い気力をもった方だ…。」
花山院忠雅、病み上がりの自分にはキツイ存在だ。ギラリとしたあの気に圧倒されてしまいそうだった。
泰親は数年前に体をこわし、しばらくの間安部家の故郷である播磨の国で療養をして、昨年暮れ京の都へと戻っていた。体はいまだ本調子とは言えなかったが、帝よりの直々の依頼などもあって仕方なく戻ったのだった。体に負担のかからぬようやわやわと仕事をこなしてきたのに、また今度はとんでもないお方が来たものだ。
名前だけはよくうわさで聞く従三位近衛府中将 花山院忠雅。黒いうわさのとびかう人物、「黒の中将」と影で呼ばれている。どのように悪人面かと思っていたら目鼻立ちのはっきりとした好男子だったので少々驚いた。話をしてみれば悪い人間というよりは自分のやるべきことが明確にわかっている人間という方が正しいような。
内裏にとぐろを巻いている下種な殿上人より、そちらのほうがずいぶんましかもしれない。泰親は彼がとても気に入った。
「わたしもあなたと一度酒が飲んでみたいですよ,忠雅さま。」
泰親の呪府はその力をはっきりと示した。頼長の度重なる誘いについに隆季が色よい返事をよこしたのである。
「忠雅。隆季殿から会いたいとの文が来たぞ。」
清涼殿から退出する忠雅にそっと頼長が耳打ちをしてきた。
「ほう。よかったではないか。これで俺も仲介役から開放されるというものだ。」
にやりと忠雅は笑った。
「いや、もうひとつだけ頼まれてくれ。」
「これ以上、なんだ?」
「明日の夜、お前の屋敷にて隆季どのと初の逢瀬をしたい。屋敷を使わせてくれないか?」
「なんで俺のところなのだ?隆季どののところではだめなのか?」
あからさまに迷惑そうに言った。
「あの家の家人には知られたくないのだ、頼む。」
「仕方がないな…ただし今度だけにしておいてくれよ。とにかく手はずは整えておこう。」
「悪いな。」
「悪いと思ったら今度の曲水の宴のときの俺の場所は一番いいところにしておいてくれ。」
「あいかわらずただでは動かないな。」
「あたりまえだ。そんなもったいないことできるかよ。」
小さな声でそのような会話をしながら渡殿を歩いてゆくと、向こうから人が一人歩いてきた。二人に気づくとさっと脇によけ頭を深々と下げる。
その姿が安部泰親と気づく忠雅。
「そこにおられるのは安部泰親殿ではないか。珍しいな、内裏であったのは初めてだな。」
二人が会話をはじめたので頼長は話を止め忠雅に先に行くと告げて、その場を離れていった。頼長がいなくなったのでようやく顔を上げた泰親、今日は参内のため濃紺の直衣を着ている。濃い色の衣装のためますます色の白さが際立つようだ。
「はい。ようやく体も癒えてきましたので本日は陰陽寮のほうまで所用があって出てまいりました。」
「なんだ、おぬし、病気でもしていたのか?道理で弱々しいと思ったぞ。」
「はい。いささか体をこわしておりましたので…。」
「そうだったのか。しかし、このように参内してくるところを見るともう大丈夫なのだな。よし、では明日の晩、約束どおりおぬしのところへ寄らせてもらうぞ。いいか?」
「それは結構ですが、なぜ急に明日の晩なのです?」
「あのお方が例の方と会われるのだ、しかも、俺の屋敷でだ。おかげで俺は自分の屋敷におることができない、いくら屋敷が広くともやっぱり遠慮したほうがよかろう?それでどこか夜をすごすところを探さねばならぬところだったのだ。ついでに一晩、おぬしのところに泊めてくれ。」
ずいぶんと勝手な言い草であるがそれがこの忠雅という男なのだ。何事においても自分の思うままに動く。
「困ったお方ですね。わかりました、では明日の夜、酒でもご用意してお待ち申し上げております。」
「おう、急で悪いが頼むぞ。なに、酒さえあればほかには何のもてなしも要らぬからな。」
「わかりました。では、かように。」
次の日の晩、隆季が忠雅の屋敷へとやってきた。先日迎え入れられた東の対よりさらに奥の間へと通される。
その幾重にも几帳に閉ざされた奥で頼長が待っていた。
「隆季殿。ようやくお会いすることができて私はどんなにうれしいか…。さあ、こちらへ。」
頼長に手を引かれて隆季がほう…と息をついてその身を預ける。その顔は恋に浮かされた人のようだ。実は隆季には目の前の頼長が忠雅に見えていた。泰親の書いた呪府には人の気持ちまで完全に変えてしまう力はない。ただ、呪をかけた人間がその人にとって一番大切なひと、つまりは愛する人として見えてしまう、敬愛の術とは言われているがその実、ただの入れ替わりの術であった。もし、例の呪府がはがれてしまうようなことがあればあっという間に元に戻ってしまう。
頼長が忠雅に見えているということは隆季は間違いなく忠雅に心奪われているということでもあった。その呪の力によって隠されていた隆季の心の奥までもが浮き彫りになってしまった。そんなことなど露知らぬ頼長。触れなば落ちんという風情の隆季を腕に抱き至極ご満悦である。
「愛いお方じゃ。やさしくして差し上げましょうぞ。」
隆季の体から一枚づつ衣をはいでゆく。その夜は忠雅の屋敷の奥の間より艶やかな声が尽きることはなかった。
その同じ夜、忠雅は泰親と意外な夜をすごしていた。今までこんなにも警戒心を持たずに人と話したことなど一度もなかった。泰親とは自分の方がいくつか年上だったがそんなことなど微塵も感じさせぬ博識と落ち着き。話も尽きることがなかった。自分のような頭のいい人間と話が通じるのは頼長ぐらいのものだと思っていたのだが自分に負けぬとも劣らぬ知性を持ったものがいたとは知らなかった。(そのような考え方をする時点でとんでもない自信家である)
酒のつまみに干した魚をあぶってすこしづつかじりながら、とりとめもなく政りごとのことや、近頃の都の様子、不穏な動きのある頼長の兄、忠通のことなど。j時間はあっという間に過ぎていった。このように充たされた時間をすごすことになるとは思ってもみなかった忠雅。不思議な生き物を見るように泰親を見た。
その視線に泰親が小首をかしげた。そのさまに忠雅の男としての心が反応した。だが、こんなところで突然俺に教われたりしたらこいつも困るだろう。襲えばさぞ、楽しかろうがな。
「なにを考えておいでです?忠雅さま。」
「なにも。」
「うそですね。そのお顔はよろしくないことを考えているお顔ですよ。」
桃色の唇をやわらかくほころばせて女よりも美しく微笑む。
「よろしくないこととは?」
面白い、俺を誘っているのか?
「そうですね、たとえば誰ぞ思う方がいらしてそのあや姿を心に思われたとか。もしそうならまた、呪にてお助け申し上げますが?」
「ふん、では今すぐ助けていただこうか?」
そういうと泰親を自分のほうへとぐいっと引き寄せた。瓶子が倒れて中の酒が板の間に流れた。鼻腔をくすぐるような酒の香りが当たりに満ちた。
「おぬしのことが気になってしょうがない。どうだ、おぬし私の恋人にならぬか?」
あまりに直球な問いに少し驚いた顔をしたものの、泰親の心はもう昨日から決まっていた。私はこの人のもつ気力に惹かれてしまったのだと、自覚は十分にあった。
「いやだといったら?」
「その時はまたおぬしに呪をかけてもらうさ。」
「私が私に呪をかけるのですか?」
面白いお方だ、そんなことはできないとわかっていて言っているのだ。心を決めろと。
「本当に困った方だ…」
にっこりと微笑むと忠雅の手をとった。それを了承の合図ととった忠雅は泰親のあごをとってその瞳を覗き込む
「女のような顔の癖に強い心だな。俺はおぬしのような強い心のやつが好きだ。…抱くぞ。」
強い人間が好きだとそういう忠雅こそが一番強い心を持っているようだった。泰親の細く白い腕が忠雅の首に回される。引き寄せられて忠雅は泰親の柔らかな唇に自分の固い唇を重ねていった。
「甘いな、おぬしの唇は。」
唇をふれあわせたまま忠雅が言った。
「あなたの唇はもっと甘いですよ。」
泰親も言う。
「くくっ、戯言を言うな。」
そういうとさらに深くくちづけてゆく。長く深く貪るようなくちづけに泰親は今までになくぼうっとしている自分に気づいて驚いた。今までなかったことだ。過去にも何人かの恋人らしき者はいたし関係も持ったことはあるが、自分はいつだって意識をはっきりと持っていたはずなのに。本当に困ったお方だ、この人に心まで奪われぬよう気をつけねば。
忠雅は泰親の水干の蜻蛉をはずすとその細く滑らかな首筋に唇を這わせてゆく。首筋にかかる忠雅の熱い吐息に泰親の口から小さくあえぎ声が漏れる。
忠雅はゆっくりと泰親の体から絹をはいでゆく。細身の白い体にほんのりと色づく小さな突起をその大きく硬い手のひらで転がすように愛撫する。何度もそれを繰り返したあとで敏感になったそれをきゅっとつまむ。我慢していた大きな声が泰親の唇からあがった。
「あっ…!」
「我慢などするな。お前のその色づく声を俺に聞かせろ。」
「まったくあなたときたら…」
「こんなやつなのだ。すまんな。」
泰親はうれしそうに微笑を返すと忠雅の直垂の胸紐をほどいてき、襟をくつろげると、その自分より厚みのある滑らかなむねに手を広げていった。
「あなたはご自分と対等なものがよろしいのでしょう?」
そういうと衣を脱いだ自分の肌を忠雅の裸の胸のするりと沿わせてゆく。忠雅の体温の高い肌は心地よかった。
「あたたかい…。」
「お前は氷のように冷たいぞ。暖めてやらねば俺のほうが風邪を引きそうだ。」
そういってその力強い腕に泰親の身を抱きしめると、軽く衣を羽織って二人の体にかけそのまま泰親を抱き上げて立ち上がった。
「おぬしの閨はどこだ?」
「私はここでもかまいませんよ」
抱き上げられたことに少し戸惑いながら言う。
「おぬしはまだ、病み上がりであろう?こんな固い床で抱いたらまた、体を壊してしまうぞ。さあ、閨はどこだ?」
「あちらです…」
奥の間へと続く方を指差して教えながらも泰親は忠雅の見せる心遣いに驚いていた。
血も涙もない冷血漢とのうわさの高い黒の中将とは思えなかった。
泰親の閨のなか。秘めやかな絹ずれの音とともに二人の吐息と、泰親の甘くあえぐ声が響いていた。
泰親の秘められた奥の門に忠雅のものが納められている。泰親の体が上下に揺さぶられるたびに忠雅のそれは門をいきつもどりつしながらはちきれそうに大きくなってゆく。
色素の薄い茶色の髪が背中の中ほどまで滝のように流れている。その泰親のたおやかな体は忠雅の胡坐をかいたひざに大きくその足を割られている。泰親の男の証がその両足に間で立ち上がって揺れている。
忠雅の力強い両手が泰親の太ももをがっちりと掴んでいるため泰親は自分では動くことができないでいた。
忠雅の腰の動きにただただ翻弄されていた。
忠雅は自分の首に回されていた泰親の片手をはずすと、その手を泰親自身のものに沿わせる。拒もうとするその手の指を無理やり開かせると泰親自身のものを握らせ、上下に愛撫させる。
「あっあっ…!!ああっ!!」
忠雅に貫かれながらも自慰を強要されることに燃えるような羞恥を感じて大きく声があがる。その泰親の唇をくちづけでふさぎ声を飲み込む忠雅、さらに舌を絡ませてゆく。
「んっ…んん…。」
息すらうまくできない。熱に浮かされたようにひたすら忠雅のすべてを全身で感じていた。
忠雅の律動が激しくなる。
「…ゆくぞ!」
唇をもぎ離し耳元で熱い息とともに忠雅がささやく。
「…はい、忠雅…さま…いかようにも…ああ…」
「よき返事だ」
大きく笑むと忠雅は壊れてしまうのではないかと思うほどに泰親の身を大きく突き上げる。
「やあ…ああっ!!」
泰親は悲鳴のように大きく声をあげると、自分で握り締めたおのれ自身から白濁の熱いしぶきを上げて果てた。
泰親の中が忠雅のそれをくくっと締め付ける。
「くっ…!」
泰親のものが最後に大きく突き立ててその熱い精を迸らせた。
「ふあっ…!」
果てた直後なのに忠雅の最後のひと突きでてもう一度絶頂を迎えた泰親。体が粉々になるような快感に目がくらんだ。
はあはあと大きく息をつき、忠雅のひざから崩れるように滑り降りる。忠雅は、その身をそっと床に横たえると力の抜けた泰親の両足をひざ立てにして大きく開いた。
そこに自身の放った精にぬれて光る泰親のものがあった。起き上がろうとする泰親を押しとどめると、忠雅はためらうことなく軟らかくなった泰親のそれを口に含んだ。
「忠雅さま…!そこは…汚れております…お、おやめください…あっ」
忠雅の肩に手を押し付けて離れてもらおうとする、が忠雅は一度顔をあげると笑っていった。
「なにが汚いものか。俺に狂わされてたまらず漏らした精だ。俺が最後まで面倒をみようぞ。それにお前のここは甘い。食ってしまわぬように気をつけねばな。」
忠雅の舌は泰親のそれに絡みつくようだ。ほおを朱に染めて体をよじらせる泰親。でも、忠雅の力強い腕は泰親の腰をきっちりと捕まえて離さない。泰親のものを綺麗にすると最後に忠雅はもう一度、泰親の唇を奪った。泰親の口の中に自分で放った精の生々しい味が入ってくる。
「おぬしの味だ。どうだ、よい味であろう?くくくっ。」
「意地の悪いお人だ。」
困ったように微笑む泰親であったが、この忠雅さまからならいくら唇を奪われようともさらにもう一度、口付けてもらいたくなる。
もっと、もっと…。
その心を知ってか知らずか、忠雅はようやく唇を離すとにやりと笑顔を見せて腕の中の泰親を見下ろした。
「よかったか?」
「…今それを聞くのですか?」
「聞いてはいけないか?俺は今までで一番よかったぞ。いろんな女も抱き、男も抱いたこともあるし、抱かれたこともあるが…お前は一番だ。今まで会えずにいたことが腹立たしいくらいだ。いったい、今までどこにいたのだ、まったく。」
「私は忠雅様のことは存じておりましたよ、有名なお方ですからね。」
忠雅の広くなめらかな胸にそっと手をはわす。
「「黒の中将」…か?」
「おや、そう呼ばれていらっしゃるのですか?」
「とぼけるなよ。それぐらいおぬしが知らぬわけなど無かろうがよ。」
「知らぬかもしれないではないですか。」
「食えない奴…。だが、気に入った。おぬしのこの長い髪もな。なぜこんなに伸ばしているのかは知らぬが、おぬしのこの髪は美しい。どこぞの姫の、垢でこり固まってそれを香でごまかしているような髪とは違う。俺のためにも絶対切るなよ。」
泰親の髪を指にからめるとその髪にくちづけた。
黒の中将と呼ばれて人から恐れられている同一人物とはとても信じられぬ。誰も知らない本当の忠雅を見ているような気がして泰親は心が満たされてゆくのを感じていた。
それからしばらくは平穏な日々が続いていた。頼長は隆季に入れあげていた。おかげで忠雅は頼長の相手をしなくてすむので助かっていた。自分は泰親と蜜月状態だったのではっきりいって頼長の相手などしたくもなかったのだ。それにしても…。
「陰陽師とはすごいものだな。あれほど頼長を拒んでいた隆季殿があそこまで頼長のことを好くようになるとはな。」
忠雅は床の中で泰親をその腕に抱きながら言った。腕の中の泰親は愛された後のけだるい体を忠雅の胸に心地よくあずけていた。
「陰陽師の力など今ではただのまやかしですよ。昔とは違う。」
謙遜というよりは少しひがんだような言い方にいつもの泰親とは違うものを感じて興味を引かれた。
「ほう?昔の陰陽師は今のおぬしらとは違うのか?」
「私たち土御門流の陰陽師はあの安部晴明より始まっているのです。知っておられますか?」
「はは。悪いが俺はぬしに会うまで陰陽師のことなどかけらも知らなかったのだ。安部晴明といわれても聞いたことすらないな。名からゆくとぬしの先祖に当たるのか?」
「私は安部の出ではありません。私の二代前が賀茂の家より阿部家に養子に入ったのです、ですから安部を名乗ってはいますが私自身は賀茂家の血筋なのです。というより,晴明の血を次いでいるものなど実は一人もいないのです。彼は生涯独り身を通し、あとは弟子を養子にして次がせたので。」
「ふうん、変わったやつだな。で、その晴明とやらはぬしとはそんなに力が違うか?」
今、腕の中にいる泰親よりももっと力があったというのはどれほどのものだろうか。
「彼は一条戻橋の下に12人の式神を持っていたといわれております。大江山の鬼王朱呑童子とも対等に渡り合ったり、雨を呼ぶこともできたともいわれておりますよ。私たちのようなまやかしの呪符くらいしか作れぬものとは違います。もし彼が今の私たち陰陽師を見たらきっと、笑い飛ばされてしまいますよ。」
「だが、ぬしの作ってくれた呪符は見事に利いたぞ。頼長どのも大喜びだ。おかげで俺はやつから開放されてぬしとこうやって時をともにすることができた。だから、俺にとっては今のぬしの力で充分だ。」