「白衣の君」(5)




「ひとならぬものにやたらめったら好かれるこいつを、アンタが心配するのもわからないわけじゃないが、いい加減過保護はやめて、とっとと成仏すりゃあどうだい?」
どうせ何もできないんだからさ、と実光は言った。
「俺がこいつの面倒を全部引き受ける」
さらに言う実光に一層博雅の目が険しさを増す。
「誰がおぬしになど任せられるか。先日のように妖しに襲われたとき、おぬしでは何の役にも立たぬ」
「さあて、それはどうかな。」
実光がニヤと笑う。
「俺って意外な才能があったらしい」
「…どういうことだ」
「こういうこと」
博雅の手の下をかいくぐって袖に手を入れると実光はそこから一枚の紙を取り出した。そして、その紙を博雅の額にぺたりと貼り付けて小さく呟いた。
「オンサラバ…」
 
「…!」
 
博雅の顔が苦悶にゆがむ。
「俺も色々調べて学んだのさ、怨霊退治とか妖し封じとかさ。」
言いながら実光は手を複雑な形に組んでゆく。
「九字を切ることを覚えたか」
苦りきった表情で博雅、いや、博雅に降りた者が言う。
「まあね。意外と覚えるもの簡単だったよ。俺に師事してくれた坊主もおまえは本当に筋がいい、って褒めてくれたよ。」
にこりと実光が笑う。
「…そうだろうな、やはり血は争えないということだ」
「どういう意味だ、そりゃ」
実光の眉が上がる。
 
 
「ぬしは幼いころから私の存在に気づいていた。」
「…まあな」
「それは私を見ようとして視えたものではない。」
「それがどうだと言うのだ。俺に元々あんたみたいなのを視る力があったというだけではないか。」
襟を掴んでいた博雅の手が離れる。
「確かに持って生まれた力ではあるが、それとてすべての人間にあるわけではない。何ごとにも因というものがある。」
額に貼られた紙…呪符をぺり、と事も無げに引き剥がす。それを見て、実光の目が驚きに軽く見開いた。
妖しや、悪霊怨霊の類いにはこの聖なる呪符には触れることすら叶わぬはずだ、と師事してくれた坊主は言った。そう教えてくれた坊主は、霊山で千日行をした高い法力を持つ法師だった。その法師の法力の込められた呪符をこんなにもあっさりと…。
「短い間にこのようなものを操れるようになるとは、まあたいしたものだと言っておこう。」
そう言って指先でつまんだ呪の紙切れをふっ、と吹いた。
ひらり、呪符が舞う。
博雅の体を借りた者が、そのふくよかな博雅の口を借りて小さく呪を唱えた。
息に舞った呪符がボウッ、と蒼い炎を上げて燃えた。
「ほめられてるような、けなされてるような…。大体、その因ってのは何だ?さっき言っていた血は争えないというのと関係があるのか」
「そう、まさしく血だ。」
ニヤ…と博雅がらしからぬ笑みを浮かべる。
中身と外身がまったく違うと、いやでもわかる。
「血ねえ。あんたのような幽霊みたいな奴に血の話なんてされると、ぞっとしないね。」
「おぬしにぞっとされると、こちらはいたって楽しい。」
「嫌な野郎だ。」
めらりと燃えるて落ちる炎を見つめながら実光は苦笑い。
どうやら付け焼刃の術ぐらいじゃ、こいつにはかないっこないらしい。肩から力が抜ける。
 「俺の血が気にくわんか」
目の前に置かれた杯を引き寄せると、グイと呷った。
「気に入らぬ」
「なにゆえだ」
「あの男の血だからな」
「あの男?」
「おぬしと遠く繋がった者…陰陽師実光朝臣。おぬしはあの男に生き写しだ。顔も能力もその性質(たち)までもな。生まれ変わりとはいわぬが奴の血をおぬしは色濃く継いでいる。私とこれの間を邪魔するところまでそっくりだ」
「は!知ったことではないな。俺は俺。先祖は先祖だ」
杯を置き、博雅の襟を掴むとその顔をグイと近づけた。
「俺の先祖などと知り合いの化石ようなお前の出る幕などもうないのだ、こいつは俺に任せてお前はさっさと引っ込め」
そう言って博雅の頬をパン!と張った。
「目を覚ませ、博雅!」
「任せられれば苦労などせぬ…馬鹿め…」
消え入りそうな声でそう言うと博雅の頭がカクリと後ろに落ちる。
そして。
「…う…うう…ん…」
目をしょぼしょぼさせて顔を上げたのは間違いなく今度は博雅だった。
 
「大丈夫か、おい」
間近に迫る友の顔。
「ふぁ?」
焦点の定まらぬ目でその友の顔を認めた途端。
「ばっ!馬鹿者っっ!離せっっっ!!」
実光の体を突き飛ばしてズザザザ!と博雅が飛び退る。
「ちゅ、ちゅーなどしやがって!な、何を考えてるんだ、おまえはっ!」
こぶしを唇に当てて博雅はわなわなと震えた。
その乱れた裾から腿のあたりまでが見えていることなど気づきもしないで。
 
「なにって恋人に立候補したのさ。」
こいつはなかなかに目の保養だな、と実光は頭を傾げた。
「あ、ありえないっ!」
「ありえないかどうか、付き合ってみなければわからぬさ。」
後ろ手に手をついて体を支えながら実光はククと笑う。
「俺は誰よりもイイ恋人になれるぜ。」
「ばっ…!!」
笑いながらめくれた裾のあたりをあごで示されて博雅の顔がまっかに燃え上がった。
 
 
 
「ったく!何を考えてるのだ、実光め!」
ゴリゴリと薬研で薬の材料をすりつぶしながら博雅はひとりブツブツと愚痴る。心なしかいつもより薬が早く細かくなってゆくようだ。それほど力を込めているらしい。
「先生、何ぶつぶつ言ってるの?」
薬の材料を運んできた将太が様子のおかしな博雅に聞いた。
「い、いや!なんでもない!」
ハッと我に返って博雅は答えた。
「…変なの」
一瞬、首をかしげたが、将太はすぐに何かを思い出したらしく、目をくりっと回した。
 
「ねえねえ、先生!瓜の話聞いた?」
「瓜?」
ゴリゴリやっていた手を止めて博雅は顔を上げた。
「瓜って、あの食べる瓜かい?」
「そうそう。何でもお金もちで有名な越後屋さんところに跳ねる瓜があるんだってさ。」
「瓜が跳ねる?」
 
「そう、ぴょんぴょんって跳ねるらしいよ。」
「まさか」
生き物でもない瓜が跳ねるものか、と博雅は胡散臭げに片方の眉を上げた。
「うそじゃないよ、本当だって!おいらも見てみたいなあ」
将太はうっとりしたように宙を見つめた。
 
で、博雅はそれをほぼうわさに過ぎないと気にもとめていなかったのだが。
 
「先生!うちの主人を診てください!」
 
そのうわさの越後屋から、使いのものが博雅の元に駆け込んできたのだった。
 
「当方の主人が高い熱を出して苦しんでおります。どうか診に来ていただけませぬか」
「私が、ですか?」
この広い江戸の街、いくら近いとはいえほかにも医者は大勢いる。ましてや大店の越後屋だ、かかりつけの名医のひとりふたり位はいるだろうに、なぜ、俺?
 
「はい。先生は先日、恐ろしい風体の妖しを退治たと、こちらの小僧さんが仰っているのを小耳に挟みまして。それで是非にと伺ったしだいなのです」
将太が余計なことを言ったのは仕方がないにしても、…妖し?
 
「私には妖し退治など無理です」、と言うのを相手は聞きはしない。是非に是非に、と博雅の袖を掴んでほぼ無理やり店まで引きずって行った。
 
 
「おい。博雅、どこにゆく?」
「さ、実光!」
 
引きずられてゆく途中で声をかけられた。昨夜、とんでもない宣言をして帰った友がそこにいた。
「お、おまえこそ」
「俺はおぬしに会いにきたのさ。昨夜の返事も聞いていないしな」
ニヤと笑って実光は言った。
「へ、へへ返事だと…っ」
博雅の頬がボッと染まる。
が、それ以上言葉も続かぬ間に越後屋の使いが痺れを切らした。
「先生!お早く願いますよ!」
ぐいと博雅の背を押して先を急がせた。
「おわっ!」
「お早くお早く!」
 
「おいおい、博雅、本当にどこ行くんだ?」
「先生は今から妖し退治にゆくんだぜ」
薬箱を持った将太がちょっと自慢げに実光を見上げた。
「妖し退治?」
将太に思わず聞き返す実光。
「妖しって…あの妖しかい?」
「そうだよ。先生ってすっげえんだぜ」
目をきらきらさせて将太は答えた。
 
「この間だって坊さんに化けたヤツが夜中に襲ってきたのをやっつけて追っ払ったんだぜ。さっすが、俺のソンケーする博雅先生だいっ!」
見たわけではないのでたぶんに誇張が入っていたが、将太はそう言って実光に自慢した。それでも妖しが博雅のところに来たのは間違いない。
「なるほど」
博雅の後ろのヤツが心配している事態がもうすでに起こったらしい。どうやって追い払ったのかは知らないがそのときはなんとかしたらしいな。
が、今度はどうだろうか。
博雅に関わるつもりはなくても厄介事は向こうからやってきたようだ。
「俺の出番かな」
そういって肩を少しすくめると、実光は博雅や将太の後を追いかけた。
 
 
「ううう…うううう…ううう…」
 
大店の越後屋の主人が分厚い布団の中で唸っている。普段はテカテカと栄養過多で油ぎって光るその顔は、今はまるで死人のように青くどす黒い。にも関わらずその額や鼻には玉のような大汗、顔色はともかく酷い熱のようである。
そばにはこれもまた栄養過多の越後屋の妻が、夫の身を心配しておろおろとしていた。
「奥様、先生がおいでくださりました。」
「ああ!先生っ!どうかお助けくださいましっ!!」
博雅の姿を見るや奥方が泣きついてきた。
「はあ。では、ひとまずお脈を…」
そういって病人の手を取ろうとしたら
「先生、そちらではございませぬ。先生はあれをなんとかしていただきたいのです」
使いに来た番頭と越後屋の妻が布団の向こう側。
…庭を指差した。
 
 
「あ、あれ?」
それに思わず博雅の口もあんぐりと開いた。
「すっげえ…」
「なんとまあ」
後からついてきた将太と実光も驚いて口が開いた。
 
びょん…びょん…びょん…
 
広い越後屋の庭を跳ね回る…瓜。
 
「あれを私にどうしろと…」
 
「どうか退治てくださいませ!」
「お願いにござりますっ!!」
博雅に向かって越後屋の奥方と番頭が頭を下げた。
 
「あれのせいで当方のあるじは病いに臥せっておるのです。」
番頭は跳ね回る瓜をいまいましげに睨みつけた。
 
奥方と番頭の話すところによれば。
 
幾日か前のこと。夜中に戸を叩くものがあったという。夜中のこととて押し込みかなにかでは大変と戸を開けずに聞こえぬふりをしていたのだが、あまりにしつこく長く戸を叩く。
これでは家の中のものが皆起きてしまうと、主人の命令でついに戸を開けたところ、そこに埃だらけのずいぶんと汚い男が立っていたそうだ。
「ようやっと開けてくれたな」
男は言った。
「ようやっとではない。こんな夜分にいったい何用だ」
主人が聞いた。
「ここに俺の連れがいる。そいつを返してもらいにきた。」
男が答えた。
「連れ?」
「誰のことだい」
主人も番頭も頭を傾げた、というのも、ここ最近新しく雇った人間はいない。何年も前から働いているものばかりだ、おまけにここは大店だ。身元のしっかりしたものしか雇わない。追いかけてくる情人を持つ女などいないはず。
「うちにはあんたみたいな汚い男に追っかけられるような子はいないよ。」
「夜分に迷惑だ。お引取りください」
一緒に起き出して来た小僧に手伝わせて番頭は男を戸から押し出そうとした。が、男は動かない。
「いいや、ここにいる。連れて帰らないとこっちも大変なんだ。とっとと出してくれないかね」
「わけのわからないことを。」
主人はキッと眉を上げた。
「ここにはおまえさんが探している女などいないと言っているだろう。」
「いるのは間違いないんだ。おぬしなど相手にしておれぬ。おーい!」
男はジロリと主人をにらみつけると店の奥に向かって大声をかけた。
「おーい!ここにいるのはわかっておるのだ!お前にはやるべきことがあろうが!さっさと出てこいっ!!」
ドカドカと板の間に上がりこむとさらに大きな声で呼ばった。
「これっ!人の家に土足であがるんじゃない!」
番頭が男を通せんぼするが、その体を押しのけて男は何度も何度も大きな声を上げる。
そのうち家の中から店子の若い衆も起き出して来た。
「だんなさま、いったい何の騒ぎでございますか?」
「おお、お前達いいところに来てくれた。この小汚い御仁が変な言いがかりをつけて家に上がりこもうとしておるのだ。なんとか追い出しておくれ!」
「はい、そのようなことでしたら今すぐに!」
 
というわけで、男衆によってたかって押さえつけられて、男は夜の店先に放り出されたのだった。
 
「連れも返さない。この俺を乞食みたいに叩き出す…」
殴られ蹴られて口の端に血を滲ませた男が、ばさばさの髪の間からぎろりと越後屋のあるじを睨みつけた。
「ただでは済まさぬ…覚えておれ」
「な、なにを言う!おまえさんこそゆすりだかタカリの類いのくせに…」
言い返そうとしたあるじがそこまで言って「アッ!」と、驚きの声を上げた。
「あ、あわあわあわ…」
言葉が続かない。
 
目の前の男の姿がスウウッと闇に溶ける影のように目の前で消えていったからである。
 
 
「そして次の日の朝、あの瓜売りが店にやってきたのです」
番頭は深刻な顔で続けた。
春も過ぎて暑くなり始めたとはいえ、瓜を売って歩くものなどまだいない。なのに、その瓜売りは大きな瓜を山ほど籠に入れて売りに来たのだという。
 
「おや、珍しいねえ。瓜はまだじゃなかったかえ?」
昨夜の出来事などまったく知らずに奥の離れで眠っていた奥方。この季節には珍しい瓜に単純に喜んでいた。あるじが見ればまた別の反応をしたかもしれないが。
「とても早い早生ものですよ、奥様。どこよりも早くこちらに見ていただきたいと暗いうちから出てまいりました。」
ほっかむりをした瓜売りがへへと媚びるように笑った。
「でも高いんだろう?」
大店とはいえ、商売屋の奥方、値切りにかかった。買う気は満々のようである。
「いえいえ、わっしらこれからこのあたりで瓜やらなにやら売って歩こうと思っておりますので、これはほんのご挨拶がわり、お安くしておきますよ」
「あら、そうかい。悪いねえ」
手ごろな値段に奥方は目を細めてその瓜をいくつか買ったのだった。
 
「おまえさん、いいものを買ったよ」
後ろに籠に入れた瓜を持たせて奥方があるじの部屋に顔を出した。
「悪いが、あっちへ行ってておくれ、おまえ」
番頭、そして昨晩あの場にいたものたちと深刻な顔を寄せ合っていたあるじは顔も上げずに答えた。
「なんだい、皆暗い顔しちゃって。いったいどうしたっていうんだい」
何も知らない奥方が言った。そのときであった。
 
ゴロン。
 
女中の持った籠の中から一番大きな瓜が勝手に転がり落ちた。
「きゃっ!」
驚く女中、思わず取り落とす籠。ほかの瓜は落ちてばっくり中が割れて実が飛び出したが、その瓜はただ…跳ねた。
 
びょん。
 
「うっ!」
 
びょんびょん。
 
「ううっ!」
 
瓜が跳ねるたびにあるじがのどを押さえて苦しみだした。
 
「おまえさん!」
「だんなさまっ!」
 
そして、その日以来ずっと高熱が続きうなされ続けているという。
 
「こちらには確か腕のよいかかりつけの先生がいらしたはずではないですか。」
そちらの先生に診ていただけば、と博雅は言ってみたのだが。
「もちろんすぐに来ていただきましたとも。」
でも、と番頭は続ける。
「先生にも原因はわからないと仰られて…そして何よりあの跳ね回るアレを見て血相変えて逃げてゆかれました。」
「はあ。」
それはそうだろう、医者とはいえ普通はあんなの見て平然となんてしてられないだろう。当事者はそんなこと言ってられないが。
「先生、なんとかお助けくださいませ。寺の坊さまにも来ていただいたのですが、わしの手には負えぬと、こちらも帰ってしまわれて…もう私どもには頼りにできる方がいないのです。」
越後屋の妻も必死である。
 
「う〜ん、困った」
 
一生懸命頼られるのはありがたいが、自分には何の力もない。なにかが自分を護ってくれているらしいことは知ってしるが、それだけだ。妖しや化け物など手には負えない。
なんとかここは穏便に断って主人の熱の薬だけでも出して帰ろう。
と、思っていたら。
 
「俺が退治してやろう」
 
黙ってやりとりを聞いていた実光が突然言った。
 
「さ、実光?」
びっくりして博雅が振り返る。
「な、なにを言ってるんだ?」
「何って、あれは俺がやっつけてやろうって言ってるのさ。」
 
 
越後屋にしてみればあれを何とかしてくれるのであれば、誰だっていい。実光の申し出に一も二もなく両手を挙げて大歓迎だ。
「お礼はなんでもいたします。どーかよろしくお願い申し上げます!!」
 
 
「お、おい、いったいどうするつもりだ?」
心配して聞く博雅に
「どうもこうも、あのへんなのをとっ捕まえてやっつけりゃあいいんだろ。」
実光は実にあっさりケロッと言った。
「まあ、見てろよ。…俺も自分にどれぐらいのことができるのか知りたいしな」
「え?」
最後の言葉の意味がわからずきょとんとする博雅。
その背後の空気が蜃気楼のようにゆらっと歪んだ。
 
…まるで誰かが苦笑いでもしたように。


「そ、それでどうされるのです?」
番頭が跳ねる瓜を縁側から心配そうに見つめて聞いた。
「まず、あいつを動けなくしないとなあ」
「つ、つかまえるのでございますか?」
青い顔をして、番頭が不安げに背の高い実光を見上げる。
「そうだ」
「もちろん、それは実光さまがやってくださるのですよね…?」
「おれが?」
なんだ、おぬしらには手伝う気ないのか、と実光は眉を上げた。
「い、嫌でございますよ!あ、あのような妖しもの、触れたりしたらどんな祟りがあるやら!」
番頭はぶんぶんと首と手を激しく振った。
触れもしていないのに祟られて苦しんでいるあるじの姿を見ているのだから、それを捕まえるなど到底無理な相談である。大体それができればこんなに困ってなどいない。
「しかたがないな。」
実光は肩をすくめると、ひょいとそのまま庭にとび降りた。
裸足のまま飛び跳ねる瓜に近づいた。
 
一抱えもある大ぶりの瓜は、金にあかせて綺麗に整えられた庭を滅茶苦茶にしていた。植え込みを踏み倒し、手入れされた苔を台無しにし、あろうことか石灯籠まで倒して、粉々に割ってあった。
「ほんとに瓜かよ、おまえ」
石をも砕いたくせに傷ひとつない瓜を実光はあきれた顔で見た。
 
「さて、では力試しとまいろうか」
 
ザラリ、と懐から銀色に光る数珠を取り出し指に絡めると、実光は顔の前で手のひらを合わせた。
 
 
「オンキリキリ…」
跳ね回る瓜をその視線で捕らえて実光は小さく真言を唱える。
 
と、瓜の動きが急に止まった。まるで網にでもかかったかのように、瓜は跳ねようとしてもビクビクするばかりで動けない。
 
「おおっ!」
縁側から恐る恐る見ていた番頭や奥方から声が上がった。
「やった!やりましたよ!凄い、実光様!!」
番頭は手を打って喜ぶ。
「喜ぶのはまだ早いぞ。まだ捕まえたばかりだ」
実光は苦笑い。
「今のうちにあいつに動き回れないように網をかけてくれ。やっつけるのはそれからだ」
 
 
網をかけられて取り押さえられる瓜。瓜を取り押さえるというのも妙な言い回しであるが、実際そうなのだから仕方がない。
「で、どうするんだ?」
絡めとられた瓜を不思議そうに見ながら博雅は聞いた。庭には博雅と実光、そして番頭の3人。ほかの者は縁側から遠巻きにこわごわとその様子を見ている。「俺も近くに行きたい」と、怖いもの知らずに言った将太は、博雅に言われてしぶしぶ、そこにいたが。
「こいつは夕べの晩にここから追い出されたっていう奴の仕業だろ、きっと。」
「たぶん、そうだろうと私どもも思っております」
実光の言葉に番頭がうなづく。
「そいつは何を探しにきたのか、結局わからなかったのかい?」
「ええ、何、というより誰でしたが、当方にはそんな妖しと関わりのあるものなど、誰もおりませぬ。きっと、何かの間違いに決まっております。」
「ふむ、そのあたりのことはさっぱりわからない…と。」
実光は少し考えたあと
「とりあえずこいつを割ってみるか」
と、あっさり言った。
「ちょ、ちょっと待て!」
あまりにも簡単に言うひとことについ、博雅が声を上げる。
「なんだ?」
瓜を割るための真言を唱えようと再び数珠を手にした実光が博雅を振り向く。
「それを割るつもりか?」
「ああ、このままじゃどうにもならんだろ?割って中がどうなってるのか見てみんことにはな。」
「それを今割るのは、よしたほうがよくはないか」
博雅は背後の方をちらり振り返って言った。
「よく見ろ、実光。ここのあるじ殿を。」
「うん?」
博雅に言われて、あるじの寝ている部屋のあたりを見る実光。
「お…」
途端に難しい顔になった。
 
少し離れているせいもあって気づかなかったが、ここの主人は、さきよりもずいぶんうなされ方が激しくなっているようであった。すぐそばの奥方がオロオロしている。が、どうやらその容態がなぜ、急に酷くなったかまでは気づいていない。
 
「こいつとあるじの具合は確実に連動しているぞ。」
小さな声で博雅は言った。
「ということは…」
と実光。
「そいつを割れば、ここのあるじの命も…ということは考えられないか。」
と実光の言葉を博雅が繋ぐ。
「割るのはよしたほうがよさそうだな。潰さずになんとかしろ、というわけか」
ううむ、しまったなあ、と実光は眉を寄せる。どっちかというと豪放磊落なところのある実光、呪のかかった瓜を捕まえて割ってしまえばそれで大丈夫と思っていたらしい。豪放磊落、違った言い方をすればちょっと単純…。
 
「このまま、川か海にでも捨ててくるってのはどうだ?」
実光はコソッと博雅に耳打ちした。
「ばか。そんなワケにゆくか」
博雅がキロリと横目で睨む。
「だから、関わりたくなかったんだ、俺は」
「すまん」
「…ったく」
「どうしたもんかな、博雅?」
「こいつとあるじ殿がどれぐらい連動しているかまず調べないと」
博雅はあきらめて瓜のそばにひざまずいた。
持ってきた医箱の中をゴソゴソと探るとラッパのような形をした物を取り出した。
「なんだ、それは?」
そう聞く実光にちょっと黙ってろ、そう言うとその器具の片方を瓜に当て、もう片方に自分の耳をぴたりと当てた。
そのままジッと目をつぶり耳を澄ます。
 
「中になにかいるな…」
目を閉じたまま博雅が言った。
 
 
ズズ…ズルリ…
 
何かが這いずるような音。そして、その音に紛れて、ぼそぼそと声のようなものが聞こえる。
 
「なんだ?」
 
博雅はさらに管に耳を押し付けた。
「どうだ、なにか聞こえるか、博雅?」
「しっ…」
博雅は声をかける実光に向かって指を立てた。
 
…返せ…返せ…返さねば憑り殺す…返せ…返せ…返さねば憑り殺す…返せ…返せ
 
低く掠れた小さな声が博雅の耳に届いた。
「返せ?何をだ?」
思わず問い返す博雅、その声が聞こえたのかのように声が続く。
 
ふたつでひとつ…共になくば何をか為さぬ…返せ…返せ…返さねば呪う…呪って呪って…憑り殺してくれようぞ…
 
「呪うだと?待て待て、あるじは知らぬと言っておるぞ、ここにはお前の探すものなどいない」
瓜から聞こえる声に博雅はつい返事を返す。
「おい。」
妖しものと話などするものではない。それぐらいは知っている実光、思わず止めに入った。
が、時すでに遅し。
 
ならば…おまえでもよい
 
「え?」
はっきりと耳に届いた声に驚く博雅。
 
あれが見つからないなら、代わりにおまえを連れてゆこう
 
「な、なにを…」
 
「離れろ、博雅!」
実光が博雅を瓜から引き離す。博雅の手からカランと耳当ての器具が落ちた。
 
代わりが見つかった…クククク…
 
びょん。
 
網の中で瓜が跳ねた。
 
 
「あの妖しと何を話した、博雅?」
博雅の肩に手を置いて実光は心配そうに聞いた。
「う〜む、ちょっと弱ったことになったかも…」
博雅は整った眉の間に小さく皺を寄せた。
「困ったこと…だと?」
実光はさらに心配そうに聞く。
「やはりこいつは何かを探しているらしい」
「それは知っている、誰のことだかは知らぬが」
「で、それが見つからないならあるじを憑り殺すと。」
「ひえ。やっぱり!だ、だんなさまあ!」
横で話を聞いていた番頭が悲鳴を上げて母屋に駆けていった。
その後ろ姿を見送ったあと、
「ここのあるじの命が狙われてることなど、おまえはとっくにわかっているはず。困ったことってのは何だ?」
実光は続けて聞いた。
 
「う〜む…」
「何だ?」
博雅の表情に嫌な予感が実光の脳裏をよぎる。
「探してる奴がみつからないなら…俺を代わりにするって言ってる」
「はあ??」
実光は目を見開いた。
が、すぐにその形相を険しくすると。

「やっぱり、このクソ瓜、いますぐ真っ二つに叩き切ってくれる!」

腰の刀に手を掛けると瓜に向って怒号を上げた。

「待て待て!それをするなって!」
「しかし、ここのあるじならばまだしも、おまえを狙うなど不届き千万!たかだか飛び跳ねる化け瓜一匹。俺の刀の露にしてくれる!」
「だから、待てっつーの!」

博雅をも巻き込んで話はさらに堂々巡りである。
 
「こいつが探しているものを見つけて渡せばいいだけだ。」
刀を抜こうとする実光を博雅が止める。
「おぬしが熱くなってどうする」
「うぬぬ…。俺の嫁に手を出そうとする奴など許せるか」
「…誰が嫁だ」






ずるずる続きます

白衣の君 (6)へ。

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