単(ひとえ)
ようやく山の端に日が落ちた。
ずいぶんと日が長くなったものだと博雅は思った。
蛙の声が夕闇にのってあちこちから響きだす。やがて来るであろう夏を予感させるような少しさびしい夕暮れ。
庭に面した濡れ縁に、氷を浮かべた冷酒のグラスと葉二を手に博雅は一人でくつろいでいた。
今日は気温も上がり暑かったので式に頼んで浴衣を出してもらった。さらりとした布地が涼しくて心地よい。
どうせ誰もいないのだからと博雅にしては行儀悪く、裾を乱して片足を立てひざにして柱の一本の寄りかかる。すらりと伸びた足が乱れた裾からあらわになっていた。
カラン…
よく冷えた酒がのどを滑り落ちてゆく。
「うん、美味い。」
朱呑童子さまから今日届けられた酒に舌鼓を打つ。
今度は普通の酒だと言って下さったが、あれはいったいどういう意味だったんだろう?
「ま、いいか。酒が美味ければそれに越したことがあるわけじゃなし。」
もう一口飲むと、唇もいい具合に湿ったと博雅は葉二をその色よい唇に押し当てた。
博雅の息が吹き込まれて葉二からえもいわれぬ旋律が流れ出る。宵闇の風に乗ってきらめく音色が辺りに響いてゆく。まわりのすべてのものが博雅の奏でるその音色に感応して輝きだしてゆくようだ。
笛を吹く博雅の姿もまた、その音色に負けずと劣らずの魅力を振りまいていた。
瞳を閉じて葉二を吹く博雅、その澄んだ瞳が見えないのは残念だが、目を閉じてうっとりと笛に唇を寄せる博雅の表情は艶事の最中に見せるそれにも見えて、官能的ですらある。
最後の笛の音がすっかり暮れてしまった夜の闇に消えていった。
ふうっと一息つき、葉二から唇を離す博雅。
柱に背を預けて上がりはじめた月を見上げてしばらくの間ぼうっとしていたが、やがて気を取り直したように酒を手に取った。グラスを傾けようとした手がふと止まる。透き通ったグラスを透かして月の青い光が博雅の手のひらに踊った。
「一人で飲む酒はやっぱり、美味くない…早く帰ってこい…晴明。」
博雅は、そう一言つぶやくとグラスの酒をくいっとあおった。
晴明のいない今宵の夜のように、氷の解けた酒はぼんやりとして味気なかった。

晴明のいない夕暮れ、博雅は少し寂しそうです。せっかく色っぽい格好なのに晴明タイミング悪るっ。