「魔 剣」 (4)
「さてと。」
「わっ!」
晴明は為義の体を部屋の奥、光の射さぬ奥へと突き飛ばして、ぴたり、後ろの蔀戸を閉めた。
明るい中から一挙に暗くなった室内、目が慣れない為義はその暗さにうろたえる。
「な、何をする気だ」
「お屋敷の方にお約束したとおり、あなたさまから悪霊を取払って差し上げるのですよ」
そう言うと晴明は両の手のひらを合わせた。指が次々と複雑な形に組まれる。
半眼に目を閉じた晴明の唇から紡ぎだされる言の葉。
低く響く呪の音調にうろたえる為義の周りにぽわりぽわり…血みどろに息絶えたはすの犠牲者たちの姿が浮かんでゆく。
それらの者たちが恨みに燃えた目でぺたりと床に尻を落とした為義を見下ろす。
「ひいっ!」
その中にあの時の若い従者の姿を見つけて為義が引きつった悲鳴を上げた。
「だ、誰かある!」
亡者に囲まれて為義は助けを求めて叫んだ。
が。
「呼んでも無駄ですよ。誰にも聞こえませぬ…誰にもね」
僅かに笑みを含んだ晴明の声が暗闇の中から聞こえた。
「では私はこれにて」
「ありがとうございます。晴明さま。」
深々と頭を下げる家人、が、その目がちょっと不安げになる。
「あ、あの、晴明さま?」
「何でしょう」
「殿は大丈夫でございますか?…その」
部屋の中を振り返って聞く。
「ご様子が…」
「ああ、ご心配めされますな。あのままそっとしておきなさい。もう少しすれば気がつかれましょう。…ただ」
「ただ?」
「かなりの数の悪霊が取りついておられましたからな、もしかしたら少しここが弱くなっておるやもしれませぬ」
そう言って晴明はこめかみを軽くつついた。
「ええっ?」
驚く家人。再びあるじの方を振り返った。
「でも、そのほうがよろしいのではございませぬか?」
「え…」
続く晴明の言葉にハッと顔を上げる家人。
「少しゆるくなっているだけで生活なさるうえでは何の支障もございませぬ。むしろ前より扱いやすいかと」
そういって晴明は手にした扇で家人の袖を少しめくった。
そこに残る青黒く変色した暴力のあと。
「このようなことはもうなくなるでしょう。あとは大人しい姫でも見つけてあてがっておけばお家は安泰かと」
「晴明さま…」
「では」
言葉もない家人に小さく頭を下げると晴明は為義の屋敷を後にした。
前を向いたその表情が険しい。
「妖刀だと?」
「はい」
「しかも為義どのはそれで辻斬りをやっていたというのか」
「はい、しかも大いに楽しんでいたご様子。」
「なんという愚かな」
苦い表情を浮かべる保憲に晴明がうなずく。
ここは保憲の屋敷。為義の屋敷を出た晴明はまっすぐここにやってきたのだった。
「しかし、博雅さまがいなくなったことと為義の件とどのような関連があるというのだ。…まさか」
なにやらピンときて思わす保憲は眉を上げた。
「そのまさかのようです」
「本当かよ」
はあ、保憲は思わす大きなため息を吐いた。
「どうやったらそんなに次々いろいろ巻き込まれるのだ、あのお方は」
「私が聞きとうございます」
そう答える晴明の口からも小さな吐息が漏れた。
為義を死ぬほど怖がらせて(正確に言うと狂うほど)聞き出した真相に、晴明は呆れるのを通り越して少し腹を立てた。
あの危機感皆無の恋人は、辻斬りが横行していると誰もが知って出歩かぬ真夜中にひとりふらふら笛を吹いて歩いていたと言うのだ。
静かに人知れず歩くならまだしも、笛など吹いていればここに獲物がいますと大声で呼ばって回っているようなものだ。
辻斬りだって妖しだって、なんだって寄ってくるに決まっている。
そして、案の定、妖しが引っかかった。
晴明の屋敷のすぐ近くだったというのもまずかった。あそこは陰陽師を恐れて都の妖しどもはいない、都一の妖し朱呑童子もよほどの用でもない限りそんなところには来ない。もちろんその日は晴明もいない。まさに空白地帯だったわけだ。
都のものではない妖しらしきその妖刀にとっては実に都合のよい場所。
そこに今自分が憑いている貧相な男より、体格も技量も、そして旨そうな魂もすべて兼ね備えたのんきな獲物がやってきたのだ。
まさにカモ葱。
意思があるのかないのか知らないが、その妖しの刀は為義から博雅に乗り換えたのだ。
そして、為義を殺しそうになった博雅は必死の思いで為義を逃がし、自分を呼ぶように頼んだ。
あの腐った男が俺など呼びにくるわけがない。いくら必死だったとはいえ、そんなこともわからないのか、あの馬鹿。
妖しに取り憑かれ苦しむ博雅の様子を思い浮かべるだけでムカムカムカムカ腹が立って仕方がない。
「おい、晴明」
「何です?」
「…ものすごく怖い顔してるぞ」
保憲がやや引いた顔をしてそう言った。
「ということは博雅さまは今頃妖しに憑りつかれて、この京の都のどこかにいるわけか」
「たぶん。」
「だが、あれほど毎日聞いていた辻斬りの噂はここ最近は聞いていないぞ?」
博雅が本当に妖刀に憑依されているのであれば、辻斬りの噂は消えないはずだ。
「博雅が罪もない人間を殺すと思いますか?」
「いや、それは…」
わからないぞ、と言いかけて保憲は言葉を飲み込んだ。晴明がきつい目で睨んでいたからである。
「博雅はあの為義やそれまで憑りつかれていた市井の者とは違います。人の道に外れるようなことは絶対しません。…たとえ、それが己の命を削ることになったとしても」
そう言うと晴明は保憲の屋敷の広い庭を見つめた。
「晴明…すまん」
思わず保憲は謝る。
「…いえ、いいのです。確かにいくら意思が強くても妖しには勝てません。…博雅が心配です。」
「ゆくか」
「ゆきましょう」
そういうことになった。
「思い通りになどなって…たまるかっ…!」
都の外れ、荒れ果てた破寺の暗い片隅で、博雅は手から離れぬ太刀を抱えて歯を食いしばった。
体がガタガタと震えて止まらない。寒いからではない、身のうちから沸き起こる殺しの衝動を抑えるのに必死だからである。
ほんの少し気を緩めるだけで、意思とは関係なく腕が太刀を抜こうと蠢きだす。目の下に黒く疲労の色を浮かべる博雅。もうかれこれ三日近くもこのような状態だ。
あの時、為義に晴明を呼んでくれるよう頼んだが、いくら待っても晴明も為義も現れなかった。
やはり戻ってはいなかったのか。
諦めた博雅はとにかく人の居ないところを探してその場を立ち去ったのである。為義が晴明の屋敷にすらいかなかったことなど知る由もなく。
手のひらを通じて流れ込む妖しの太刀の強い意志に博雅はこれは大変なことになったとすぐに悟った。今まで晴明と一緒にいろんな妖しや鬼、何かに捉われて人であったことすら忘れてしまった者を沢山見てきた。その中には自身の意思とは関係なく、他の者の残留思念を宿したモノや多くの人間の血を吸って妖しと成ったものに支配されていった者たちがいたことを知っている。
「この場合、一番の問題はどちらの意思が強いかということだ…。俺は人を斬って喜ぶ、そんな下種な人間ではないぞっ…!」
流れ込む意識を少しでもとめたいと願うように博雅は太刀を持つ腕を万力のような力で押さえつけて歩く。
少しでも遠く。
少しでも人に居ない所へと。
ほとんど一睡も出来ずに朦朧と仕掛ける意識、それをようやくのことで妖刀へと向ける博雅。為義とは対極である。
ギギ…。
きしんだ音を立てて破寺の格子戸が開いた。
片隅にうずくまる博雅の顔に外からの月明かりが蒼く当たる。
「おい、こんなところに人がいるぞ」
「まさか?おっ!ほんとにいらあ」
耳障りな複数の声がした。床板を踏む音がして博雅の顔に当たった月明かりが遮られる。
「くたばってんのか?」
「いや、息してるぜ」
前にしゃがんだらしい誰かが博雅の顔を覗き込んで言った。
「こいつよく見りゃいいもの着てんなあ。もしかして貴族じゃねえか」
「かもな。いい匂いもしてるしな」
もう一人の誰かが博雅の水干に犬のように鼻を押し付けてくんくんと嗅ぐ。グイと着ているものを押されて博雅は朦朧としていた意識を取り戻した。
鉛のように重いまぶたを開く。目の前に自分を覗き込む二つの影。
手に張り付いた妖刀がピクリと動く。
「だ、誰だ…、いや誰でもいい…私に…近寄るな…」
影に向かって博雅は掠れる声で言った。
「近寄るな、だって?ヒヒ。こんなに弱ってるのにな〜にを偉そうに。」
影が小ばかにしたように笑った。
「俺を誰だと思ってるんだ?」
そう言った陰の口がパクリと大きく開いた。
「このあたりを締める妖しの総大将さまだぞ」
「ちょっと待てよ、総大将は俺だ!おまえは副将だろうが!」
「馬鹿言ってんじゃねえ、総大将は俺様だ!」
耳まで裂けた口を持つ二匹の妖しが博雅の前で口論を始めた。
「な、なんだっていい…早く…俺から離れろ…」
妖刀を体に引き寄せながら博雅は途切れそうになる意思をかき集めて言う。
「は?こいつ何言ってるんだ?馬鹿じゃねえか?」
いさかいを止めて二匹の妖しは博雅を見つめた。
「俺たちに命令するなんざ許せることじゃねえな」
「うんうん」
「人の分際で生意気だ」
「まったくだ」
ガッ!と博雅を蹴りつけた。ドタリと博雅の体が倒れる。
「人間ごときが」
倒れた博雅の顔を硬い皮の足裏で踏みつける。博雅の唇が切れてツウと血が一筋流れた。
「…俺、腹減ってるんだ」
その血を見つめて一匹が言った。
「おう、俺もさ」
もう一匹もその血を見て答える。
二匹の妖しはどっちが総大将かはひとまず置いて、苦しそうな博雅に向かって舌なめずりをした。
「俺はまず腕かな」
「俺は軟らかいどろどろの目ン玉だな」
二匹の妖しが博雅に向かって覆いかぶさる。
シュンッ!!
一瞬の光を煌かせて博雅の腕が疾風のように薙ぎ払われた。
二つの頭が宙に飛ぶ。
ドタリと二匹の妖しの体が倒れ、頭がごろごろと床を転がった。
振りぬいた体勢のまま固まったように動かぬ博雅。
板壁にぶち当たって止まった妖しの頭がギロリと博雅を睨みつけた。
「俺らの頭をぶったぎるとは」
「ひとごときが小ざかしや」
二匹の妖しの口からどろりと血が垂れた。
「このままには置かぬぞ」
「われらの命が消える前におぬしの頭だけでも食らってやるわ」
血まみれの口をばっくり大きく開けると、二匹の妖しの頭が蛙のようにびょんと跳ねた。
石のように固まったかと思った博雅が再び疾風の速さで動いた。
カカッ!
「ギャアアアアッツ!!」
「おおおおっ!!」
瓜でも割ったかように二匹の妖しの頭が中空で十文字に斬られて弾け飛んだ。
「な、何が…」
「起こ…ったのじゃ…」
すっぱりと切り離された口が消えそうな声でわが身に起きた事を問う。
「俺から離れろと言ったではないか…」
ゆらり、幽鬼のように立ち上がる博雅。聞こえぬほどの小さな声でそう言うと妖刀を振り上げ、まだビクビクと蠢く妖しの頭に次々と突き立てた。
ぎゃあと断末魔の悲鳴を上げて妖したちが息絶える。
「…血だ」
突き刺さった妖しの頭の断片から刀身を伝って流れるどす黒い滴りに、博雅の虚ろな視線が止まった。
だらだら続いております。いつものごとく。
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