「稀名アキラの楽しい休日」



目覚ましが鳴るほんの少し前に目が覚める。もともと眠りの浅い タチなので寝起きはすこぶるいい。
片手を伸ばして、鳴る前の目ざましのスヌーズボタンを解消しておく。目覚ましに伸ばした手をそのまま、寝台の傍らに伸ばす。が、いつもはそこにあるはずのぬくもりは今日はない。さらりとしたシーツに手のひらが滑るだけである。

「そうか、今日はいないのだったな。」

ぽそっと呟くと、でも、目が覚めてしまったものは仕方がないな、とブツブツ言いながら彼は身を起こした。起きぬけの乱れた髪が、その美貌にぞくっとするほどの色気を加えている彼…若きカリスマ実業家にして、百戦錬磨の陰陽師、平成に蘇った安陪晴明、そのひとである。が、今日はカリスマ実業家も百戦錬磨の陰陽師も、そのどちらも何の予定もない。裏も表も忙しい彼だったが、たまにはこんな日もある。
なのに、いちゃいちゃしていたい彼のマイスイートハートは本日、クラブ活動のガキどもと遠征だかなんだかで、腹の立つことに留守ときていた。

「だから無理だって。」
「なにが無理だ。そんなもの、式にでも代理をやらせればそれですむだろうが。」
「ばかな。そういうわけにゆくものか」
ブスッとした晴明に背を向けて博雅はせっせとバッグに明日の遠征のためのなにやかやを詰め込んでいる。
「俺が指導してきた生徒たちの試合だぞ、俺の代わりに式なんか…っと!」
「じゃあ、俺をどうする?」
背後から晴明が博雅を抱き込んだ。博雅の細い腰に晴明の腕がぎゅっと回された。
「ど、どうするって…」
「俺は明日、完全にフリーなんだが」
「じ、自分でなんとかしろよ!」
耳元で低く囁かれて博雅は思わず晴明を引き剥がした。
「い、言っとくけど…きょ、今日はだめだからなっ!」
一足とびで晴明から離れて博雅はわたわたと宣言した。
「…」
「あ、明日は早いんだ。い、いつもみたいにされたら、お、起きれっこない!」
だから、今日はぜ〜ったいだめだ!さわんな!と、ピシリと晴明に人差し指を突きつけて言うと、今日は違う部屋で寝る!と言いおいて博雅は詰め込んだバッグをもって部屋を出て行った。正確に言うならば…逃げ出した。

「ふむ…好きにしろってか…」

今、博雅を引き戻すことなど自分の能力を持ってすれば造作もないことだが、それをやると博雅の機嫌が悪くなるのは間違いない…まあ、それも別段、気にするほどでもないのだが…。

「まあ、よかろう…」

たまには見逃してやるさ、と晴明は肩をすくめた。


と、言うわけで本日、晴明のマイハニーはお留守である。

濡れ縁に座って空気の澄んだ秋の朝を眺める。

「ヒマだな…」

腕組みをしてしばらく考える晴明。が、やがて何かを思いついたのかその紅い唇の端が小さく上がった。


「君、落し物だよ」
目の前を歩く生徒の落としたハンカチを拾って博雅が声をかけた。
「え?」
生徒がくるりと振り向いた。

うわ、これは…。

振り返った生徒の顔を見て博雅は思わず心の中で感嘆の声を上げた。
なぜなら、他校の生徒らしきその高校生は、とんでもなく綺麗な顔をしていたからだ。美少年とはこういう子をいうのか、と思わせる。
透き通るような白い肌に、長いまつげの澄んだ瞳、通った線の細い鼻に桜の花びらのような唇。白と濃紺の胴衣に包まれたまだ伸びきらないその体は柳の若枝のように細くしなやかに見えた。
美少年シュミなどない博雅だったが、それでも思わずドキドキしてしまう。
「あ…え…と、お、落し物だよ。ほら。」
拾ったハンカチに少しついた砂をはたいてその少年に手渡す。
「ああ、ありがとうございます。」
「いやいや」
にっこりと微笑んだ顔が年の割りにぞくっとするほど色っぽく見えて、博雅はまたどきどき。
「じゃ…」
立ち去ろうとしたそのとき
「あの、もしかして源元先生ですか?」
ハンカチを手にした少年にふいに名を呼ばれて博雅はびっくりした。
「え?なんで私の名を?」
思わず聞きなおす、こんなに綺麗な生徒に知り合いはいない。
「あ、急にお名前呼んだりして申し訳ありません。僕、西高の信田と言います。先生のことは前にうちの学校にこられたときに知りました。」
そういって信田と名乗った生徒は、ああ、でもうれしいなあ、と続ける。
「僕、ずっと先生に会いたかったんですよ」
そう言って初対面の少年はにっこりと微笑んだ。
「え?」

信田と名乗った高校生は華奢な体格には似合わぬ、距離の長い遠的に出場していた。自分の教え子に気を配りながらも博雅はついつい、そちらに目を奪われていた。
なぜだか妙に気を取られる少年だ。
少年は静かに目を閉じ、息を整えた。それから、くいとあごを上げると背筋をツッと伸ばしゆっくりと弓を掲げる。一連の動きが流れるように優雅だ。
きりりと弓を引き絞る姿が一幅の絵のように美しい。彼の周りだけ時が止まったように見えた。

…タン…ッ…ッ…

的を射た音が小さくこだまする。
ゆっくりと弓を下ろし小さく一礼。
そして、顔を上げた彼とかなりの距離があったにも関わらず博雅は目があったことに驚いた。
桜色の唇の端をわずかに引き上げて少年は笑みを浮かべて、博雅に小さく頭を下げた。

どきっ。

またしても、心臓が鼓動を打った。
頬に血が上るのがわかる。

なんだなんだ?

どきどきする胸を抑えて博雅は真剣に戸惑った。

しょ、初対面だぞ?しかも、うんと年下の…っていうか、何言ってんだ、俺?



なんとか、その少年を意識しないようにして、ようやく午前の部が終わった。
一緒に食べましょうよ、という生徒たちに、すまんな、ちょっと用があるんだ、なんて言い訳して博雅は駐車場へと戻った。

「ふう」

今朝、運転してきたワゴン車のスライドドアを開けて、後ろの席にどかっと腰を下ろすと、博雅は頭を後ろに倒して大きな息を吐いた。

今朝は顔を見なかった恋人の顔を思い出す。
細面だが力強い印象の白皙の美貌の男。さっきの少年とは比べ物にならない深い人生経験を積んだ大人の男。

「うん、俺にはおまえひとりだ…晴明…」

さっきまでのどきどきを振り払うように、自分に言い聞かせた。
言い聞かせる、という段階で問題なのは、この際目をつぶって…。


「誰の名前ですか、先生?」

開いたスライドドアの前に立って少年が言った。

ハッ!っと、びっくりしてそっちを見る博雅。さっきまで、遠くで見ていた信田と名乗った少年が目の前にいた。
「き、君…!」
「探したんですよ、センセ」
華のような笑みを浮かべて言うと、ちょっと失礼、とか言いながら、彼は勝手に車に乗り込み、博雅の隣に座るとスライドドアを閉めた。
「お、おい!」
慌てる博雅。
ドアを開けようとするその手を信田少年が掴む。
「せっかく二人になれたのに無粋だなあ。」
「無粋って…」
「それより、さっき言ってたセイメイ?でしたっけ、それって、センセの恋人?」
息がかかりそうなほどに顔を近づけて少年が問う。
「き、君には、か、関係のないことだっ!…手を離しなさい」
少年はくすりと笑う。
「僕のガッコの先生でもないのに、言うこと聞かなきゃいけないいわれはないなあ」
そして、自分より明らかに年上の博雅をぐいと引き寄せ…
あろうことか、キスをした。

「!!☆!??★!#!$!!」

博雅、頭の中が真っ白である。

「にゃ、にゃにをしゅるっっ!!」
信田少年の肩をグイイイイっ!っと押しやって、博雅は声にならない声を上げた。
「何って、キスですよ、キス。くちづけともいいますけど。」
真っ赤になってうろたえる博雅にもまったく動ぜず、信田はくすくすと笑った。
「そ、そんなこたあわかってるっ!な、ななななんで君にキ、キスなんてものをされなきゃあいけないんだっ!っていうか、そんなこと教師に向かって…」
「だから、言ってるでしょ、うちのガッコの先生じゃないからって。ちゃんと聞かないと、ね?」
博雅をシートに押し付けて、少年は透き通るような花のかんばせを近づけた。
「それにさっき僕のこと見てたでしょ。先生。」
博雅の耳元でささめごとを紡ぐようにひそひそと囁く。
「い、いや、わ、私はそんな…」
「隠してもムダですよ、わかっちゃったんだから。…もしかして僕って、先生のタイプ?」
「タ、タ、タイプって」
博雅、オタオタ。
「僕も先生みたいなヒト、…好きですよ。もろタイプ♪」
「ちょ、ちょちょ、ちょっと待てっっ!!」






ガタッ!ガタガタッッツ!
玄関でなにかが崩れ落ちる音。

ソファにゆったり腰を下ろして仕事の書類に目を通していた晴明が顔を上げる。その口角が小さく上がった。

「よう」
ぐったりと倒れこんだ博雅に誰かが声をかけた。もちろん、この家のもう一人の住人、晴明である。
「あ…、た、ただいま…」
ちらりと見上げて、博雅は答えた。
「なんだ、ずいぶん疲れてるんだな。そんなにガキどもの相手は疲れたか?」
博雅の前にしゃがんで晴明が聞く。
「ガキどもって…。口が悪いぞ、晴明。普通だよ、フツー」
言いながら博雅はバッグに顔をうつぶせて、はあああ、と大きく息をついだ。
「でも、ちょっと疲れた…」
「どうして?」
「い、いや…いろいろ…あってな…」
晴明の問いかけに歯切れが悪くなる博雅。
「ほう、いろいろ?なんだか興味があるな」
「べ、別にたいしたことじゃない!お、おまえが気にすることなんて、なんにも…」
「なんだか、おかしいな、おまえ。ますます興味がわいたぞ。」
晴明の目元に笑みのようなものが浮かぶ。もちろん博雅は気づかない。
「なんにもないって!」

「ええ?僕のこと忘れたの?」
「は????」

突然聞こえた声にうつむいていた博雅の顔がバッ!と上がる。

「き、きき君はっっ!?」

今日、迫りまくられたあの高校生が、晴明に代わってそこにいた。
「僕のこと忘れたフリするなんて、ひどいなあ。源元センセ」
「え?は?えええ???」
疲れも吹っ飛んで博雅、体まで吹っ飛ぶ勢いで後ずさり。
それを見て信田少年は妙に大人っぽくクスリと笑った。
「ま、まさかっっ??」
少年に指を突きつけて博雅の表情がキッ!と険しくなる。
「信田って名前で気づくかと思ったのだがな」
少年は大人びた低い声でそう言うと、自分の顔の前で何かを捕まえるように指先を合わせた。
まるでスライドが代わるように信田少年の姿が消え、指先に細長い呪符を掴んだ、いつもの恋人が笑って立っていた。
「せ、せ…晴明っ!」
博雅の背に、ゴゴゴ…と目に見えない炎が立ち上がる。
「お、俺は…っ!」
「せっかくの休みなのでな。がんばって仕事しているお前を見にいっただけさ。それにはやっぱり変装していかないとなあ」
「あ、あれのどこが変装だっ!!まったくの別人じゃないか!おかげで俺はっ!!」
顔を真っ赤にする博雅。
「貞操の危機だったってか?でも、がんばって抵抗してたじゃないか。まあ、俺にとっちゃうれしいような、残念なような」
と、晴明は肩をすくめた。
「もう一押しってとこだったがな」
あと少しで二回目のキスというところで、車から脱兎のごとく逃げだした博雅を思い出して晴明はクスクスと笑った。
「せ、せせせ晴…っ!」
怒れる博雅の声は晴明のくちづけによってかき消される。
「にゃ、にゃにをっ!?」

晴明の長い指先であごを捕らえられた博雅の問いに

「押し損ねた最後の一押し♪」

晴明は実に楽しそうに答えたのだった。


稀名アキラの楽しい休日は今から始まる…。








へたれ文へのご案内にもどります