「都一のヨキオトコ」
今宵も月が美しい…。
博雅はひとり鴨川のほとりにいて蒼く輝く月を仰いだ。もうすっかりと日は落ち今はもう真夜中に近い。美しい月の光に誘われて博雅はこっそりと屋敷をぬけだしてきたのであった。
川面にきらきらと月の光が跳ね返っていた。
なんとも趣のある夜だ。
唇の端に満足げな笑みを浮かべると博雅は懐から取り出した葉二にそっと唇を当てた。
博雅が息を吹き込むとたった一本の竜笛から妙なる調べがこぼれだす。
凛とした中にもあでやかにすら感じられる雅を醸して高く低く笛の音色が辺りに広がってゆく。その音が届いた所から順に雰囲気が変わってゆくのが手に取るようにわかった。まるで自然が博雅の奏でる音色に感応してゆくかのごとくであった。月の光までもがきらきらとその音を跳ね返して瞬いているようだ。
が、博雅本人はそんなことに露も気づかず自分の奏でる音色の中にその身も心もどっぷりと浸かっていた。
そんな博雅を少し離れたところから見ている一つの影。白いかんばせに紅い唇。切れ長の冷たいまでに美しい瞳。
晴明ではない。
人にあらざるもの。
都で一番の妖し。
大江山の鬼王、朱呑童子である。
稚児をさらい、人を食らうこの時代きっての最強最悪といわれる妖し。
その妖しが見たことのない優しげな瞳をして博雅のことを見つめていた。
「元気そうで何よりだな、博雅どの。」
一曲終えたところで朱呑童子は博雅に声をかけた。
「え…?…あ、これは朱呑童子さま。いったいいつからそちらに?」
博雅は月明かりの作る黒い影の中から姿を現した童子に少し驚いたように答えた。
「ふふ…博雅どのの笛に釣られてな。」
そして手にしていたものをべしゃりと地面に放った。
引きちぎられてぼろぼろになった妖しの残骸。まだいくらか息があるのかびくびくと蠢いていた。
「そ、それは…」
「おぬしを狙っておったのでな。」
朱呑童子はふっと一息つくと
「まったく、おぬしは無用心に過ぎるぞ。あの陰陽師はいったいなにをやっておるのだ。おぬしの想い人ではなかったのか」
そういった。
「お、想い人って…。」
夜目にも赤く頬を紅潮させる博雅。
「なんだ、違うのか?」
片眉をくいっとあげて童子は博雅のほうを見る。
「ち、違いはしませぬが…」
「なんだ、面白くないな」
ふんと童子は鼻をならした。
「自分の大事な恋人を無用心に夜出歩かせるなど我ならば考えられぬものだがな。おぬしのような極上の血の匂いを撒き散らしている殿上人はこんな夜更けには我ら妖ににとっては格好に獲物だぞ。まったく。」
ぎいっと声を上げて博雅のほうに最後の力を振り絞って飛びかかろうとしていた先ほどの瀕死の妖しを童子は顔色ひとつ変えずにぐしゃりと踏み潰した。
「ぎいいいいっ!!」
断末魔の叫びを上げて妖しの頭が潰れた。
「おう…」
博雅はそのすいと伸びたきれいな眉をひそませてそのさまを見つめた。
「こいつだけではない。おぬしを食らおうと闇のなかにはまだ山ほどの妖しがざわめいている。ただ、襲ってこないのはひとえにおぬしの吹く葉二のおかげにほかならぬ。おぬしの吹くそいつの音色にはあいつらを寄せ付けぬ不思議な清浄な力があるからな。」
だが、と童子は続けた。
「それを吹いていないときのおぬしはあまりに無防備だ。」
葉二のほうにあごをくいっと向けながら童子はいった。
「お言葉ですが童子さま、私は子供ではありませぬ。これでも剣の腕には少々覚えがありますよ。」
「妖にはそんなもの通じぬ。それに先日は人にも通じなかったのではなかったか?」
にやりと笑って童子は言った。
「先日…ああ…まあ…でもあれは不意打ちというか…」
「それでもおぬしの剣の腕ではなかなかかなわなかったのだろう?あまり自分を過信してはならないということだ。」
「やれやれ、童子さま、あなたまでお説教ですか?」
少し頬を膨らませて博雅はいった。
「なんだ、その様子では我と同じことを言ったやつがいるのだな?…ははあ、それこそ晴明だな?」
童子はにやっと笑う。
「まあ…そうですね…」
博雅はしぶしぶといった様子で答えた。
「人がよすぎるとでも言われたか?」
「…う。」
言葉に詰まった博雅の様子に朱呑童子はおかしそうに笑う。
「図星だな。クククッ…」
紅い唇の端に人にはあらざる証の鋭い牙がきらりと月の明かりを跳ね返して光った。
「ほんに博雅どのは人がよいからなあ。宮中でも殿上人を名乗るろくでもない連中にいいように扱われているのであろう?」
「そ、そんなことはありませぬよ。」
まさに図星を指されて博雅はややあせった声で返事を返した。実際、宮中でそのような目にあったのだ。
「ふふん、その言いようでは当たりだな。」
白い水干の腕を鷹揚に組んで橋の袂の欄干に背を預けると朱呑童子はなにがあったのだと博雅に問うた。
「お頼み申します、博雅どの。具合の悪い母に、どうしても私に傍にいてほしいと泣かれましてなあ」
「それは大変ですね。…その…私でよければ…」
「おおう!お願いされてくだされますか!それはありがたい!!では、母がまっておりますゆえ私はこれにて…」
「…はあ…」
戸惑いを浮かべたままの博雅を渡殿に残してその殿上人は小躍りせんばかりの足取りでその場を去っていった。
「…参ったな、これで4日連続だ。」
一人取り残された博雅はため息とともにつぶやいた。
「母君の様子が心配だと言うんだ、…仕方がないか」
がっくりと肩を落としはしたが、これも仕方がないとあきらめた。これで直居がなんと4日連続になってしまった。朝になると屋敷に戻るとはいえ、これは尋常なことではなかった。
本当のところ、人のいい博雅は本当は女のところに通いたいだけの他の連中にいいように利用されていたのだ。博雅自身もなんとなくおかしいなとは思ってもいるのだが、母が具合が悪いとか、父が危篤だとか悲痛な声で聞かされれば、まさかうそでしょうとも言えずついつい代わりを引き受けてしまうのだった。
「はあ…」
二度目のため息が出た。
別に直居がいやと言うわけではない。これも帝の御為と思えばつらくもない…が、ただひとつ。
晴明に会えない。
それがつらい。
ずっと、友として付き合ってきたのだが、その友情以上の感情が実は恋であったと気がついたのはついこの間のこと。源融の横恋慕が起こした事件でようやく博雅は自身の本当の気持ちに気づいたのだった。晴明もまた自分を同じ気持ちで見ていたことも初めて知って今、博雅はこれ以上ないほどの幸福に包まれていたのだった…が、こうも連続で直居が続けばいかな博雅といえど屋敷に帰ればあっという間に睡魔に襲われて気がつけばまた夜、といったところでまったく晴明の屋敷に近寄ることすらできなかった。
「会いたい…」
まさか自分が恋に身を焦がすことがあろうなどとは夢にも思ったことなどなかったが、今の自分はまさにそれだった。世の中恋の歌で満ち溢れているのも今ならわかる気がした。彼の人を想うだけでじんわりと胸が熱くなってくる。
「なんと女々しい…参ったな。」
自身がこのように恋に弱い体質だとは思ってもいなかった。武士としてあるまじきことだなあ、ともうひとつため息をついたとき、小さな声がした。
「博雅どの。」
足元から聞こえるその声にはっとして下を見ると博雅のつま先の辺りに小さな白い萱ねずみがいた。ちらりと辺りをうかがってまわりに人影がないのを確かめると博雅はひざをつきその小さな生き物を手のひらに乗せた。
それは博雅の手のひらでひょいと立ち上がるとその小さな前足を腰に当てて博雅を偉そうに見上げた。
「晴明…か?」
博雅が聞くとそれは
「当たり前でしょう。こんなねずみがそこらにいるものですか」
と、いつものちょっと低い声で答えた。
「それはそうだな。はは。」
久しぶりに聞けた恋人の声に博雅の頬が緩んだ。
「はは、ではありませぬ。いったいいつになったら私のところに顔を出す気ですか、博雅どの?」
萱ねずみは少しばかり機嫌の悪そうな声で言った。
「ああ、それを言われるとつらいな。実は今日の晩にでも行きたいと思っていたんだが…そのお役目を言い付かってしまって…。だから…たぶん、明日にでも…」
「お役目って…、また直居ですか?」
歯切れの悪い博雅の言葉に萱ねずみはずばりと聞いた。
「う…まあな」
「また、適当なことを言われて、どこかの馬鹿に直居のお役を押し付けられましたね?」
小さな手を腕組みして、後ろ足で立ち上がったねずみが言う。
「適当ではない…為末殿の母君が具合が悪いのだそうだ、だ、だから断れなかったんだ。」
小さなねずみににらまれて博雅は目をそらす。悪いことなどしてはいないのにもかかわらず。
「ふん。それが適当だというのです、そんな言い訳、博雅どのは本当に信じたのですか?」
「だが、うそともいえないだろう?…真剣に言ってたぞ」
「なんと人のよい…。ああ、それとも私などの屋敷などいらっしゃりたくないか。それならばせいぜい人の恋路の世話をしていらっしゃればよろしかろう。そのほうがあなたは楽しそうですからね、好きなようにされたらいい。」
小さなとがった鼻をふん!と天に向けるとその小さな客は博雅の手のひらからひらりと飛び降りて庭の中の植え込みに、あっというまに消えていった。
「せ、晴明!」
博雅が呼んだが、木の葉が一枚ひらりと地面の落ちたっきりで、もうそれは姿を見せることはなかった。
「…くそっ!」
キュッ!と博雅は唇をかみ締めた。
あれから七日ばかりがたって博雅はようやく直居のお役から開放された。
不思議なことに晴明の萱ねずみと話をしてから、誰も博雅に直居を代わってほしいとは言ってこなくなった。もともと何にもこだわらない性質の博雅はそんなこともあるんだなと、大して不思議にも感じていなかったが。
だが、そんなのんきな博雅ではあったが、いくら夜に時間ができたとはいえ、けんかのように物別れに終わった晴明の元へは足が向かない。
せっかく人のためと思ってしていたことで、まるで馬鹿のように言われたのだ。決して低くはない自尊心が結構傷ついていた。
「あんな風に言われて、誰がのこのこ行くものか…」
まるで依怙地のように博雅は晴明に会いたい想いを押さえつけた。
だが、今日の夜のような月の美しい晩には、彼の人を想って耐え難い恋心に胸が焦がれる。博雅はじっとしていることができずにそっと屋敷を抜け出して、一人、心を静めるため笛を吹きにここまでやってきたのだった。
「まあ、そんなわけです…」
胸にもやもやとわだかまった思いを朱呑童子に少しばかり話して、博雅は自嘲気味に笑った。
「ふふん。おぬしも馬鹿だが晴明も馬鹿だな。」
朱呑童子はにやにやと笑って言った。
「…馬鹿…ですか?」
釣られて苦笑いをする博雅。
「せっかくの月夜に何をやっておるのだ、おぬしらは。」
「はあ…」
「おまけにふらふらと出歩いて妖しに狙われはするし。」
欄干から身を起こすと、朱呑童子は博雅の背後からそうっと忍び寄った黒い影をぎゅっと踏みつけた。
「ぎいいいっ!」
平たいはずの影がぐわっと盛り上がったが、朱呑童子にもう一度力いっぱい踏みつけられてまたべしゃりと潰れてそれっきり動かなくなった。
「まったく、無用心にもほどがある」
そういうと博雅の頬に手のひらを当ててその唇を近づけた。
「な、なにを…!」
「言ったであろう?妖しに狙われると…」
「んんっ…!」
人では考えられない力強い手に押さえつけられて博雅は朱呑童子に唇をふさがれた。
ようやくのことで朱呑童子の手から逃れて、博雅は抗議の声を上げた。
「な、なにをされるかっ!朱呑童子どのっ!」
こぶしで口をぐいっとぬぐう。
「おやおや、ずいぶんと嫌がられたものだな。」
「あ、当たり前ですっ!突然こんなことをされれば誰だって嫌がりますよ!」
そういって博雅はきっ!と朱呑童子をにらんだ。
「だから、今言ったであろう?妖しに狙われると。妖しも、馬鹿の一つ覚えのように何もそなたの命だけを狙うとは限らぬだろう?今の我のように、そなたの血や肉ではなく別のものを狙ってくるものもおる。そうなれば、命をとられるよりひどい目にあわされることもあるぞ、博雅どの。」
そういって朱呑童子は悪そうな笑みを見せた。いったい、博雅を狙うのは誰だか知れたものではない。
「私を狙うですって?そんな物好きな輩など、たとえ妖しといえど、いるわけないではないですか。」
ふざけないでくださいと博雅。
その博雅のあごにとがった爪を持つ冷たい指先を滑らせて、童子は、ニイッと笑う。
「我がふざけていると言うのかな、博雅どの?だが、そなたは自分では気づいておらぬようだが、我ら妖しにとってもとても魅かれるものがあるのだよ。食欲とはまた別の欲が沸いたとしても何の不思議もない。」
「なにをばかな…」
童子によって持ち上げられたあごをぐっと振り切って、博雅は目をそらした。
「馬鹿かどうか試してみるか?博雅どの…?」
支えるものをなくした指先をじっと見つめる朱呑童子。その切れ長の瞳が月の光できらっと光った。
「は…ははっ!や、やめてください童子どの。食欲ではない別の欲とやらが何であるのか考えたくもないですが、もし、あなたが私にそれを試そうとされているのならば、私は抜かなくてもよい刀を抜かねばならぬことになりそうです。どうか、私にこれを抜かせないでください。」
腰に携えた大刀に手をかける博雅、本当に抜く気などもちろんないのだが、それでも鍛え上げられた神経は、その機があったならばすぐにでも反応できるほどに研ぎ澄まされている。
「なるほど、確かに人にしてはなかなかの使い手と見えるな、博雅どの。だが、悪いが我にはそなたの刀など、全然、怖くもなんともなくってな。」
そういうと朱呑童子は、博雅の柄に置かれた手をほんの人差し指一本で、ぴたりと押さえた。
「…うっ!」
手どころか、体の自由が利かない。それこそ、つま先ひとつ動かせなくなって博雅は言葉を失った。
「ほら、みろ。我にかかればそなたの自慢の刀など児戯に等しいのだよ。」
「ど、童子どの…」
「ふふふ。このままどこかにさらってずっと我のそばに侍らせてさしあげようかな、博雅どの?」
「ば…」
「ばかなまねはおやめいただきましょうか?朱呑童子どの…」
童子に言い返そうとする博雅の言葉にもう一人別の人物の声が重なった。
「おやおや、やっぱり出たな。」
にやっと朱呑童子が笑う。
「出たとは失礼な…。どこぞの妖しのように仰るのはやめてください」
不機嫌さを隠そうともせずにそう言いながら古い柳の木の陰から出てきたのは、博雅の恋人、今は少しばかり諍い中のはずの陰陽師であった。
「せ、晴明っ!」
久方ぶりに見る恋人の姿に博雅の声がうわずる。
「まったく…なにをやってるのです、博雅どの。いくら待っても来ないと思えば、こんなところで固まっておられるし。」
ちろりとつめたい目で博雅を見やる晴明。やはり、機嫌はいまひとつのようであった。
「童子どの、私の博雅にくっつくのはおやめいただきましょうか」
いつのまにやら博雅の首に腕を回し、その肩先にあごを乗せてにやにやと笑う朱呑童子に晴明の目が険しくなる。
「なんだ、晴明、おぬし、博雅どのには、すきなようにしていろと言ったそうではないか?」
「あいにくと事情が変わりました。すきにされよとは言いましたが、どこぞの妖しと親しくなれ、とは言いませんでしたのでね」
つっけんどんにそういうと、晴明は童子の袖を嫌そうに人差し指と親指でつまんで持ち上げた。
「さあ、早くお退きください。」
「まるで害虫のように扱うのはやめてくれないか。気分が悪い。」
眉間に不快げにたて皺を寄せて、朱呑童子はつままれた袖をひったくった。
「せっかく博雅どのとこれから楽しいひとときをすごそうかと思っていたのに、なんという心の狭い男だ。」
じろっと晴明をにらむ。
「狭量で結構。これは私のですから。」
鬼王と呼ばれるほどの妖しににらまれているというのに、晴明はそんな目など気にも留めずにそういって、童子の腕の中から博雅を引き離した。
「わわっ!」
バランスを失って、体の自由の利かない博雅が晴明の懐に倒れこむ。
「自分のものにしては随分放りっぱなしではないか。博雅どのは先ほども小ざかしい妖しどもに狙われておったぞ。我がいなければどうなっておったことか。今ごろ引きちぎられ心の臓を食われておったやも知れぬ。」
空になった腕を面白くなさげに組むと、朱呑童子はいかにも恩着せがましく言った。
「ふん、大丈夫ですよ。食われる前に私がきっと間に合いますから。」
「ほう、ずいぶんな自信だの。この間で懲りたか?」
片眉をくいっと上げて童子が問う。先日に起きた事件のすべてをどうやら知っている様子である。
「もう二度とあのような醜態は見せませぬ。私の目の黒いうちは博雅を決して危険な目にはあわせませんよ。」
構ってくれるなと言わんばかりの晴明。当代一の陰陽師と都の闇を支配する大妖、二人の間にバチバチッっと火花が散って見えるようであった。と、そんな二人の間に当の本人が割り込んだ。
「おいおい、なんだよ、それではまるで俺がか弱いおなごのようではないか。やめてくれ、晴明。」
自分を抱え込む晴明の腕を押しやり、童子の呪の解けた博雅が不服げに言う。さっきは朱呑童子にしてやられたが、これでも都を警護する役職の身である。まるで庇護されるべき対象のように言われるのはどうにも我慢のならないところであった。
晴明の体をぐいっと押しやると腰の刀をしっかりと差し直し、背筋を伸ばした。
…ちょっとばかり烏帽子が傾いていたが。
「おなごのほうが夜中に出歩かないだけ、まだましです。」
自分の腕から逃げ出した博雅に面白くない視線を投げて晴明が言った。童子の目の前で、博雅が自分から離れたのがどうにも気に食わない。声に棘が混じる。
「な、なんだと…?今なんて言った?」
晴明の放った一言に、今度は普段温厚な博雅の目が険しくなった。
「ほうほう…」
ただでさえ諍い中の二人がまたしてもにらみあいを始めたのを見て、朱呑童子がにんまりとほくそ笑む。
「女ごのほうがマシだ、と言ったのです。」
「お、おなご…だと…」
「あなたがどこぞの姫ならば、屋敷の奥にでも引っ込んで夜中に出歩くこともなく私は安心していられようものを…なまじ男なばっかりに。」
はあと晴明はため息をつく。
「な、ならば、俺のような無粋な男など、あ、相手に、し、しなければよいではないか。」
まだ成ったばかりの自分たちに自信のない博雅、少々やけっぱちになっている。
「そうだそうだ、晴明には例の…ほらなんといったか…源融どの…だったか?あれがいるではないか。姫ではないが、あいつなら晴明に一晩中でもくっついて離れないぞ。」
にやにやと笑った朱呑童子、もちろん何もかも知っていて煽っているのである。
「融…どの…。」
博雅の表情がカキンと固まった。源融の名はいまだ博雅にとってはNGワードである。その名を聞くだけで苦い思いが蘇ってくるらしい。
「童子どの、余計な事を仰るのはやめてくださいませんか。」
晴明がキッと朱呑童子をにらみつける。そして博雅の腕を取るとぐいと引っ張った。
「晴…」
引きずられるようにして歩き出す博雅、はっとわれに返って、文句のひとつも言おうとしたのを晴明に乱暴な口調で制された。
「うるさい。もう何も言うな。」
「今夜のことは貸しにしておくからな、晴明!」
ずるずると博雅を引きずってゆくその背に朱呑童子が声をかけた。
「知りませんよっ!」
振り向きもせず晴明が返す。
「いいや、しっかり貸しにしとくぞ。覚えておけよ、晴明!」
二人の後ろで朱呑童子の笑い声が響いた。
どこにこんな力があるのかと思うぐらい、晴明の手はがっちりと博雅の二の腕を掴んで離さない。
黙ってずんずんと自分を引きずる晴明に、たまらず博雅が声をかけた。
「こらっ!晴明!いったい俺をどこまでひきずってゆくつもりだっ!」
前を行く晴明の足がぴたりと止まって、くるりと振り向いた。
じっと自分を見つめるその目に
「な、なんだというのだ…」
おもわず声が小さくなった。
「…ふん」
また前をむくと、博雅の手をしっかりとつかみなおしてまた晴明は歩き出す。
「ふん、って…。おい、晴明!」
「待てど暮らせど私の大事な恋人は来ない。せっかく直居のお役から解放されるように手を回したのにもかかわらず、だ!」
振り向きもせずに晴明が言う。
「な、なんだって…?直居から俺が外れるよう細工したと言うのか?」
「そうでもしなければ、あなたは一生、毎日だってその役目をやりかねない」
「い、いくらなんでもそんなことは…」
そこまでばかじゃないと博雅は首を振る。が、晴明はいたってまじめだ。
「あなたは馬鹿がつくほどクソ真面目だ」
あさっりと否定した。
「それなのに、せっかく自由にしてやったのにあなたはまったく顔も見せない。もう今日で七日です。いかな辛抱強い私といえど忍耐も切れようというもの。」
「え?だって…」
おまえだって怒っていたじゃないか、と返す間も無く
「一人むなしくあなたを待ってみれば…夜風に乗ってあなたの奏でる笛の音。そんなに私をイラつかせて、あなたは楽しいか」
「え…っと…」
あれはお前を想って葉二に想いを込めて…と、言えばよいものを晴明の自分に向けられた想いの深さについ頬が緩んで何もいえなくなってしまった。
なんだ、怒っていたのではなかったのだ…。
ほっとしたのも同時に感じて博雅は、にへら〜っと笑った。
「おまけにたまらず来てみれば、あなたはあの節操のないタラシの妖しの腕の中だ。」
ぴたりと立ち止まった晴明は、氷のような冷たい眼で再び博雅を見つめた。
思わずへらへら笑いが引っ込む博雅。
「…それとも私など端から眼中にないか?どうせ私は、あなたとは違う、身分いやしきもの。元々、殿上人のあなたと肩を並べるなど論外であったのだ」
冷たい瞳のなかに傷ついたような影がちらりと見えた気がして博雅の心がずきりと痛んだ。
「そ、そんなわけないっ!俺はお前との間に身分の壁など感じたことなどない!」
思わず晴明の腕を掴みかえして博雅は声を上げた。
「…では、それを証明してもらおうではありませんか」
「しょ、証明って…?」
きりっと晴明に睨まれて博雅の言葉が尻すぼみになる。
「来ればわかります…」
晴明の手がぐいっと博雅を引っ張った。
…博雅は麗しいばかりと思っていた恋人の本当の姿を、今から知ることになるのである。
「…あ…っ…」
博雅の唇から耐え切れずに声が上がる。
晴明の紅い唇がその唇にかぶさりもれ出る声を飲み込む。
晴明に無理やり押し込まれた牛車の中。暗い明かりもない中で博雅は晴明に追い詰められていた。
「逃げても無駄ですよ。」
角の追い詰められて背中をぴったりと側板につけてしまった博雅、もうこれ以上後ろはない。その博雅の両脇に手をついて晴明が黒い影のように目の前を覆っていた。
「せ…」
「あなたと私の間には遮るものなどないと証明してくださるのでしょう?」
耳元にささやかれる密やかな吐息のような声。
博雅の皮膚がその声に粟立つ。
冷たい晴明の指先が博雅の唇をゆっくりとなぞる。
「しょ…証明って…ど…どうするつもりだ…」
晴明の触れた唇が燃えるように熱い気がするのはどうしてだ…。
「…あなたを本当に私のものにします」
そう静かに告げると唇をなぞっていた晴明の手が、博雅の直衣の蜻蛉をゆっくりと外した。
博雅の耳元でささやいていた唇は頬を伝って博雅の唇に再びたどり着く。いまだ驚いたままうっすらと開いたその唇を晴明の薄い唇が覆う。ぷちゅと軽く口づけて、それからふっくらとした下の唇にれろりと舌を滑らせた。
「わっ…!な、舐めたなっ!」
その感触にびっくりして、行き場もないのにさらに博雅は後ずさった。背中はこれ以上ないほど牛車の側板にぴたりだ。
「なんて色気のない…」
ククッと笑う晴明。
「い、色気だとっ…?そんなもの…あ、あってたまるか…っ!」
わたわたと慌てふためく博雅。天下の近衛府中将もかたなしである。
「大丈夫、色気などなくってもあなたは十分に可愛い方ですよ…」
「か、かかか可愛いって…」
言葉ももつれる博雅の目の前いっぱいに晴明の顔が迫ってくる。
「ずっと私を待たせた罰です…博雅…」
晴明は親指を博雅のあごにかけてグイッと下に押し下げた。
「…わ…」
思わず開く唇に晴明の唇が重なる。少し斜めに重ねられた晴明の唇から博雅の口内にぬるりと舌が滑り込んだ。後ろが側板の博雅はこれ以上下がれない。晴明のくちづけが角度を変えてさらに深くなってゆくのをもう止める術はなかった。
おびえて引っ込む博雅の舌を晴明の舌が迎えにゆく。舌の裏を晴明の舌に掬い上げられて博雅の鼻からついに熱い吐息が漏れた。
「…ん…っ…ふ…」
その吐息に、重ねられたままの晴明の唇の両端が満足げに小さく吊り上げられた。その笑みとともに晴明の手が博雅の衣にかかる。とんぼを外された直衣の袖が博雅から滑り落とされる。重い絹のシュッ…っと滑る音が牛車の中に思ったより大きな音で響いた。
単衣の袷を割って晴明の手のひらが博雅の胸に滑る。滑らせた腕が普段はきっちりと整えられている衿を大きく広げた。
「こ、こら…せ、せせ晴明っ!」
ひやりと冷たい夜気をじかに肌に感じてあせる博雅、晴明の口づけを無理やりはずして晴明の手を掴んだ。
「こっ!こ、このようなところで何をするんだっ!」
「何って…さっき言ったでしょう?もうお忘れか?」
掴まれた片手を博雅の胸に這わせたまま、晴明はもう一方の手で博雅のあごを捉え直した。
「あなたを私のものに…って」
晴明の甘い吐息が博雅の唇の上をなでる。
「た、確かに聞きはした…で、でも、何もこんな、と、とと所で…」
そこまで言って口をつぐんだ博雅の後を取って晴明が続ける。
「『ヤル』なんて?」
「せっ!晴明っっ!!」
あえて言わなかったのにズバッとはっきり言われて博雅は顔から火が飛び出したのではないかと思うぐらい真っ赤になった。(暗くてはっきりは見えないが)
「クククッ…なんと可愛い。そんなところもたまらないのですよ。ますますヤリたくなった」
ばかっ!とかなんとか、あらゆる言葉で晴明に悪態をつく博雅を軽く無視すると、かの陰陽師は自分の腕を掴んだままの博雅の手をグイッと外した。華奢そうに見えて思いのほかに強い晴明の手、博雅の腕をそのまま自分の腰に回させた。
「どうせしがみつくならば私になされませ」
肩から絹ずれの音を立てて単衣が滑り落ちる。その後を晴明の唇が追う。点々と口付けが首筋を降り、滑らかなその肩先に歯を立てた。
「…痛っ!」
カシッと本気で噛まれて博雅は小さく悲鳴をあげた。
くっきりとついた綺麗な歯並びの歯型にぺろっと舌を這わせて
「これくらいは痛い目にあっていただかないとね」
そう言って晴明はフフッと笑った。
「ほ、本気で痛かったぞ」
言いながら単衣の肩をあせって引き上げようとする博雅の手を、しっかりと掴んで止めると
「大丈夫ですよ、…今からは甘い声しか出せないようにして差し上げますから」
ニンマリと晴明は微笑んだ。
「なんだ…それ…」
その笑みに思わず背筋がゾワッとする。
もしかして俺の恋人って…。
「…はあっ…」
単衣を割って大きく広げられた博雅の両脚の間に、晴明の腰がしっかりと収まっていた。単衣一枚にさせられた博雅とは違ってしっかりと衣を身に付けたままの晴明の腰が博雅のそこでゆっくりと緩慢な上下を繰り返している。
「んっ…!」
博雅のひざの裏を両手で捕まえて更に広げると、晴明はそのさらに奥にとどくようにと強く腰を突き入れた。
「や…あ…ぁ…」
ここがどこかも忘れて博雅が声を上げる。イヤだのなんだのとの抵抗もむなしく博雅は晴明の手に落ちていた。確かにここに至るまでにはなんのかのと色々あったがお互いの思いはもう既にしっかりとつながっていたふたり。ましてやウブを絵に描いたような博雅が、晴明のようなそっち方面の手熟れにかなうはずもなく。
…本人は勝てるつもりでいたようだったが。
体中の隅々にまで口付けられてぼうっとなったところで、初めての場所に指を滑り込まされた。
「な、何をするっ!…んむっ!」
と色気もなくわめく唇をふさぐのは、晴明にとってこの上もなく楽しいことで。博雅の甘い咥内を蹂躙しながら下のほうもしっかりと征服してゆく。はじめは入り口もきつく、博雅にとっても楽しいことではなかったであろうがここは大事なところ、後からつらい思いをさせたくはないと、晴明は己の心を鬼にして嫌がる博雅をほぐしていったのだった。
イヤだ、痛いと泣く博雅も実は結構そそったりもして。
でもはじめの抵抗はどこへ行ったのかと思うほど、今の博雅は恍惚とした表情である。明り取りの小さな御簾から注ぐ月の光に浮かび上がる博雅の姿態。肌蹴られた単衣からのぞくその肌は、しっとりと汗ばみ、その胸に咲く小さな突起は歓びをあらわして硬く立ち上がって色を増している。
その色づいたそこを人差し指と中指に間にそっと挟んで摘み上げた。
「…あ…んんっ…」
喉元を仰け反らせて甘い吐息が漏れる。とうに解けた髪がその端整な顔にかかってなんとも色っぽく見えた。これが天下にとどろく剣の達人とは到底見えない。
「言ったでしょう?甘い声しか出せないようにして差し上げると。おまけにここも…。甘い蜜で溢れてる」
つながった二人の間を楽しげに見下ろした。そこには二人の体の間に挟まれて窮屈そうに天をむいてそそり立つ博雅の熱茎。胸に与えられた刺激と繋がった秘孔の中の晴明に煽られてその頂から薄く白濁した体液が溢れ出していた。
「あなたはどこもかしこも…甘い…」
その博雅の、熱く脈動する証をなで上げ、その溢れる蜜を指先に掬ってぺろりと舐めると晴明は博雅の耳元で囁く。
「ば…ば…か…っ…」
相変わらずその口から出る悪態も、今はもう、ただの睦言にしか聞こえない。
悪態をついてわずかに身を捩じらせた博雅、その体がさらにビクンと跳ねた。
「あっ…っ!」
「おや、私は何もしていないのに…。」
唇をかみ締めて苦しそうな表情の博雅に、楽しげに首を傾げてみせる陰陽師。
「さては、よきところを自分で見つけられましたか?どうせならば私が見つけて差し上げたかったが、仕方がないですね」
ずるずると側板から滑り落ちた博雅を、絹の波打つ床に自身の楔で縫いとめる晴明。博雅のそのすんなりと伸びた脚を片方、自分の肩にかけさせると、博雅が自身で見つけた歓びの小さな場所を何度も何度もすり上げてやる。
「ああっ!…だ…だめ…だっ…!や、やめ…っっ!」
絹の波の中で月の光を、ただ一枚、身に残された単衣を乱してのぞく半身に浴びながら、身も世もなくあえぐ博雅。
「だめではありませぬよ、博雅…。ここが悦いのでしょう?知っていますか…男にも気をやってしまうほどの蜜壺があることを。」
晴明がその楔を打ち込むたびに博雅のそこから隠微な粘着音が聞こえる。晴明の言うように、気をやってしまいそうな快感の中でも、その音だけは博雅の耳にひどくいやらしく響く。
「や…だ…。やめ…うぁっ…」
「やめませぬ…さあ、もっと乱れて、全てを明け渡してください…あなたは間違いなく私のものだと私にわからせてください」
ひときわ激しく博雅のそこを穿って、晴明は言った。その声は色に迷ったものの声ではない。まるで、何か聖なることを誓うような厳かな声。
「な、なぜ…疑う…お…俺は…いつだって…」
博雅の震える手が晴明の衣をガシッと掴んだ。
その晴明の体を自分のほうに強引に引き寄せると、乱れた息のまま、博雅は晴明に歯もぶつかりそうなほどの熱い口づけを送った。その動作のせいで博雅の後孔の中を晴明のものが更に奥へと引き込まれた。
「…んっ!んんん…っっ!」
まぶたの裏に、星だか火花だか、なんだかわからないまぶしい光が飛び散る。それでも博雅は引き寄せた晴明を離そうとはしない。なぜだか、今が一番大切なときだと感じていた。自分でも知らなかった体の最奥に晴明の分身を感じて、博雅はなんだか泣きたくなってしまった。
「お、俺は…い、いつだって…おまえのことが…一番大事に…愛しく想っているに決まって…るだろがっ!ばかっ!」
言ったとたんにブワッと涙が溢れた。
「まさにその言葉が聞きたかった」
「ば、ばかって…?」
「違うに決まってるでしょう。そのもうひとつ前の台詞ですよ…、まったく、とぼけたお方だ。もっといじめちゃいますよ…いとしい君」
大切な恋人の口からなによりも聞きたかった言葉を手にいれた晴明、うるうると目に涙をいっぱいためた博雅をしっかりとその腕の中に抱きしめた。
「あっ…!は…っ…!」
重ねた体の間で熱く張り詰めていた博雅の熱茎に晴明の冷たい指が絡まる。輪を作ったその指が、器用に博雅のそれを悦の極みへと押し上げていく。
もう博雅からの抵抗はない。両手が晴明の衣の中へと入り込み、その白い胸を愛しげに滑る。本来ならばまったく違う博雅の色の濃い肌と、晴明の透き通るような白い肌が、月の光の中で同じように蒼く染まっていた。
晴明の優雅な指先が博雅のもののくびれた部分をきゅっと締め付けながらその先をクイと刺激する。力を加えられたその頂点から、またひとつ、ぷくりと丸い雫が溢れた。流れ出すその蜜を更に博雅のそれに絡めて晴明の慰撫は途切れることなく続く。後孔の刺激と相まって博雅は息をあえがせて、その身を仰け反らせる。
「はっ…はあ…はっ…」
晴明の腕の中で仰け反る博雅の喉、耳に心地よい声をつむぐその喉仏が空気を求めて上下するさまを晴明は見つめる。その瞳は誰も見たことのないほどの独占欲に満ちて。
「愛しい博雅…」
「せい…め…あっ…」
想ってくれるひとに答えようとする博雅の声が途切れる。
「さあ、私の腕の中でその悦の頂きに上り詰めなされませ」
逃げられぬようにその肩に脇から手を入れて、動けぬよう博雅をつなぎ止めると晴明は最後の挿送を始めた。
熱く鍛えられた錬鉄のような晴明のそれが、誰も知らない博雅の最奥を抉る。突き上げられるたびに背筋を駆け上る、覚えのない始めての快感に、博雅の唇から泣き声ともつかぬ声が絶え間なく洩れた。
「せ…あっ…ああっ…!」
「私の可愛いひと…さあ、イッて…」
ひときわ奥を摺り上げられるのと同時に、蜜に濡れそぼる自身の熱茎の頂点を晴明の爪がカリッと引っかく。それを最後の引き金に博雅は小さく叫んで意識を手放した。
「おや、ちょっとやりすぎましたか」
くたりと腕の中で意識をなくした博雅を見つめて、晴明は困ったように笑った。
「これくらいで気をやっていたのでは困りますよ、博雅。」
返事をしない博雅に晴明は優しい声で話しかける。
「愛しすぎてあなたを壊さないように気をつけないとね、ククッ…」
博雅、もしかしたらとんでもない人物を恋人にしたのではないだろうか。
実はこの安倍晴明という御仁、博雅はまったく知らないことだが、都でそれなりの地位をもち、浮名を流す女御や、男色の貴族たちの間での晴明の評判は、実は大変なものがあった。
一度、晴明と夜をともにしたものたちは皆、その夜が忘れられなくなるとか…。あの浮名を流すことで有名だった源融を、一晩で首っ丈にしたほどの手練れ。
そこまで融をぞっこんにしながら、あのときの晴明は本気ではなかった。今、その晴明が本気になって博雅の恋人になった。
ある意味、博雅、人生最大の危機であるかもしれない。
都一の悦き男を恋人にしてしまった近衛府中将、源博雅の運命やいかに。
とりあえず完、としておきます。(なんだ、そりゃ)
まったくな〜に書いてんだか…(汗)こんなのばっかでスイマセン。
ちょいやばにもどります