ものやおもふと(上)


博雅の屋敷は今時珍しいほどの広い敷地を持っている。
一時は晴明の持つ会社からその土地を狙われていたほどだ。(晴明の意図しないところでのことだったが)
その広い土地の一角に広葉樹がちょうどいい具合に茂った小さな林がある。よく手入れのされたその林は、天気のいい日には緑の葉を透かしてきらきらと陽光の差すとても居心地のよい場所だ。
博雅は幼い頃からこの場所が好きだった。
中でも一本の古いぶなの木が博雅の一番のお気に入りだ。大きな太い枝を広げたその木は、少し登ると張り出した枝がちょうど座りやすいようにうまくカーブしていた。特に今のような初夏の季節には緑の葉が生い茂って、下からはそこにすわる人の姿は容易には見えない。博雅にとっては内緒の隠れ家のような場所だった。
今,博雅は久しぶりにその木の上にいた。
幹に背中を預け目を閉じた。重なり合う葉の影から差し込む光がオレンジの色となってまぶたの裏側に踊る。風にそよぐ葉のさわさわと揺れる音と遠くのほうから聞こえる鳥の鳴き声、とても静かで平和だった。
「う〜ん、あったかいなあ。」
博雅は大きく伸びをした。
今日は休日、それも最近の博雅には珍しく、何一つ予定のない休日だった。
どうしてもはずせない用があるといって出かけた晴明もいない、ほんとに一人の休日。
晴明の張った協力な結界が張り巡らされているので敷地には妖しの影もない。呼べば式が姿を見せるくらいだ。
最初は本屋にでも行こうかと思ったりもしたのだが、あまりの上天気にそれもやめた。
建物の中にいるよりも太陽の光がいっぱい当たるところに行きたかった。それで久しぶりにここまでやってきたのだった。
手には本と葉双。
「コーヒーでも持ってくればよかったかな。」
ひとしきり笛を吹いた後でそう思った。
コーヒーといえば…。
ふいに昨日のことを思い出した。
教員室の横にあるコーヒー自販機の前で一人の先生に言われたこと。
「先生、彼女でもできました?」
自分よりもずいぶんと年上の先生にそう聞かれた。
「えっ?…そう見えますか?」
突然の言葉に驚いた。
「見えます見えます。なんだか、近頃の源元先生は中から輝いているようですからね。」
「はは、そんなオーバーな。」
博雅は笑って目の前で手を振った。
「いえいえ、ちっとも大げさなんかではないですよ。でも、先生のことだから相手はきっとかわいい女性なんでしょうねえ」
「はは…」
ニコニコと笑う年配の先生のせりふに博雅はただ苦笑するしかなかった。
 
「ふふっ。…にしても…『彼女』ねえ…」
あれはまちがっても『彼女』とは言えないな。
しかも『かわいい』となるとなおさら遠い。
女性だとすれば、あれは間違いなく美人の部類になる、しかもトップクラスの美人だろう。
色白できれいな顔に切れ長の薄い茶色の瞳、すっとのびた柳眉につんとした鼻、そしてそれらすべてをさらに完璧に見せているあの唇。男の癖にまるで紅でもつけたように紅い…。滅多に笑わないくせに、いったん微笑むとまるで花びらがほころぶように見える。
まあ喋らなければ完璧な美人だよな…しゃべらなければ。
綺麗な顔の癖にあいつはいったん話し出すと何というか…イヤミというか冷たいというか…なにしろ雰囲気ぶち壊しだからな。
それまでまるで白百合もかくやとばかりの風情だったとしても、あの綺麗な唇から冷たい言葉がこぼれだすととたんに毒の花のように見えるから不思議なものだ。
そんな晴明の姿が脳裏に浮かんで、一人、博雅はクスクスと笑った。
「でも、たとえあれが毒の花でもいまさら離れたくはないからなあ」
頭上を覆う緑の葉を見上げてつぶやく。
あれは間違いなく俺の半身。
あいつがいなければ、とても生きてゆくことなどできっこない。

俺がどれだけ毎日あれのことを想っているのか、知ってるだろうか…。
朝、目が覚めるといつも真っ先に晴明の姿を探す。
手の届くところにあいつがいるとほっとする。
その暖かい体に触れて、そこにいるのが幻ではないと確認するのが俺の毎日の日課だと知ったらあいつは驚くかな。
俺にはいつまでたっても、晴明が今ここにいるのがどうしても信じられない。
きっと待っていた時間が余りに長すぎたんだ。だから今でもその気持ちが抜けきらない。
頭ではわかってるんだが…。
「ほんと、俺って心配性…」
ふうっとため息をついた。
晴明は俺のそんな気持ちには感づいている、だから毎晩まるで呪をかけるように言うんだ。
「俺を感じろ、博雅。」
って。
もしかしたら、毎朝晴明のことが幻ではないと確かめていることにも気づいているのかもしれないな。
晴明の命の源のようなあれを体の中心で感じると本当にあいつはここに、俺の中にいるって感じられる,そして泣きたくなるほどほっとするんだ。
それを思い出して博雅の頬がうっすらと桜色に染まった。
うっとりとまぶたを閉じて晴明とのことを思い出している博雅の顔は、晴明に負けないほどに美しい。きりっとした眉の癖になぜだかどんな女性よりも艶めいて。
「まいった…なんだか体が…。」
変なことを思い出すんじゃなかったと博雅が思った時。
 
「おい、博雅!そんなところでなにをやってるんだ?探したぞ。」
樹の下から自分を呼ぶ声。
「…晴明。」
たった今まで心を支配していたその本人が博雅をまぶしそうに見上げていた。
滅多に見せない本当の笑みを博雅には惜しげもなく見せて。
「降りてこいよ。…それとも‥俺がそっちに行こうか?」
一瞬にして博雅の目の奥に艶めいたものを見つけた晴明。
‥口調が変わった。

 

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