ものやおもふと (下)
「えっ?」
と博雅が驚いているうちに晴明は身も軽くあっという間に枝に手をかけ、ひょいと身を翻らせて博雅の前に腰掛けた。太く張り出した枝はふたりを乗せてもびくともしない。
「で、こんなところに隠れてなにやってるんだって?」
目の前に迫る晴明の顔。
思い出していたときの記憶の中の晴明よりも現実の晴明のほうが何倍も美しかった。
「な、何も隠れてなんか…」
晴明の少し色の薄いその美しい瞳に吸い込まれてしまいそうな気がする。
「…なにを考えてた…?」
紅い唇の端をちょっと引き上げて微笑む。
「な、なにって…」
博雅の頬が素直にぼっと赤くなる。
「わかりやすいヤツ…」
くすりと笑って晴明は博雅のあごに手をかけて自分のほうに向けさせ、口づけた。指先に力を少し込めて口をあけさせると舌を滑り込ませる。
「…んっ!」
幹に背を押し付けられる博雅。その手からまだ1ページも読んでいなかった本が滑り落ちた。
ばさっと音を立てて下に落っこちた本をチラッと見て、唇を離した晴明が言った。
「ここから降りるぞ博雅、次に落ちるのはどうも俺たちらしいからな。」
おまけのようにさっと軽く唇を触れ合わせると、先に軽々と晴明は木から飛び降りた。
「ほら、博雅、俺の腕に飛び降りて来いよ。」
博雅に向かって手を広げた。
「ばか。女の子じゃないぞ。」
少しぽうっとした頭をぶんぶんと振った後、苦笑いをして博雅もひらりと飛び降りた。
「女を扱うよりも丁寧なんだがな。」
目の前に降り立った博雅を腕の中に絡め取って笑う。
「にしてもずいぶんと早く帰ってきたものだな。はずせない用というのは終わったのか?」
「ああ。ちょっとクライアントがこちらまで来てたのでな。社長に会いたいとあんまりしつこいから、ちょっと顔だけ出してきたんだ。」
実はそれが妖艶な美女で、仕事以外の理由で晴明に会いたがっていたとは博雅に言うわけにはいかなかったが。
「また冷たい態度をとったのではあるまいな。」
そんな事情も知らずに心配げに言う博雅に、ただ黙ってにやりと笑う。
答えは聞くまでもないようだった。
「まったく。」
「いいんだよ、俺はたとえ仕事でも人には媚びたくない。俺が媚びたいのはお前だけ。」
そういって腕の中におとなしく納まったままの博雅に口づけを落とした。
「な、媚びてるだろ?」
「ばか。」
苦笑いの博雅。
「で、あんなところで隠れてなにを考えてたんだ?」
「え?…い、いや、と、特に何も。ただ葉双を吹いてただけだ。な、何にも考え事なんかしてないぞ」
「ふうん…」
少し体を離して博雅を見おろす晴明。
(晴明はこういうとき、妙にカンがいいからやなんだよ)
博雅はさりげなく目をそらした。
それを見て晴明がわかったとばかりに、にやりと笑った。博雅の言う毒の花のような微笑み。よくないことを企んでいるときの笑みだ。
「な、なに笑ってるんだよ。」
「い〜や、別に。それよりもう家に戻ろう。そろそろ降ってきそうだしな。」
空を見上げるといつのまにか日差しが陰り、風上のほうからどんよりとした黒い雲が近づいてきていた。
「晴明、あの雨雲お前が呼んだのではないだろうな。」
ベッドの上でぐったりとうつぶせた博雅が言った。
外は先ほどまでとは打って変わって激しい雨模様だ。
家まで戻る途中から土砂降りになり二人はぬれねずみになって帰ってきた。
そのままバスルームへ直行し…その後は当然のごとく晴明に襲われた。散々なぶられて力の抜けた博雅を、晴明は軽々と抱きかかえてベッドにおろしたのだった。博雅は情けないことに腰に力が入らなくって歩けなかったのだ。
「まさか…いくら俺でもあんなに早く雨は呼べないさ。ま、いいタイミングだったがな。」
裸の博雅の背に覆いかぶさるようにして晴明が言った。首筋にかかる髪を掻き分けて口づける。
「おかげで昼間だと言うのにおおっぴらにお前を抱ける。」
まるで夕暮れのように薄暗い室内、雨の音に博雅からあがる甘い声が混じる。
「…あ…」
博雅の体が晴明の下で仰け反った。何度も挿れられてすっかり解けきった博雅のそこは何の抵抗もなく晴明のものを呑み込んでいる。背後から貫かれる博雅、その細い腰を両手で自分の体へとさらに引き寄せながら晴明が耳元でささやく。
「俺のものが感じられるか博雅?」
「…う…んんっ…!」
唇をくっとかむ博雅、晴明がなにか聞いているのはわかるのだが熱に浮かされたようなその頭だはそれがうまく理解できない。ずっ、と、大きく晴明のものが引き抜かれた。
「あっ!いや…だ!」
体の中からその存在を見失って博雅が泣き声を上げた。
「俺がいないと寂しいだろ?」
先のほうだけを博雅の体の中に残して晴明がもう一度聞いた。博雅が晴明を感じたくて自ずから動こうとするのを、腰を掴んで引きとめる。
「う…っ…」
体が震えだすのを止めようと博雅はぎゅっとシーツを握り締めた。目尻にじわっと涙の粒が浮かんだ。
「さびしいって言えよ博雅。」
博雅のそこが晴明をさがしてひくひくと引きつれる。
「ほら、はやく…。」
晴明の手のひらが博雅の双丘をなでる。そして二人が繋がりあっているそこをそっと指先でなぞった。博雅の体がびくんと反応した。
搾り出すような声で博雅が言った。
「…さ、さびしい…お前がいないと…あっっ!」
博雅の返事を聞いて、ずずっ、と晴明のものが博雅の中に深く突き立てられた。まるで串刺されるように晴明のものに繋ぎとめられてなめらかな博雅の背が大きくしなった。
「博雅がそう言ってくれる限り俺はどこへも行かない。…もちろんお前がもういやだと言っても離す気もないけどな。ふふ…」
博雅の足を大きく割って晴明のものがさらに深く穿たれた。
「言っておくが、俺は幻などではないぞ。博雅。」
「…何でそのことを…ああ…」
はっとしたがもうそこから先は聞けなかった。
晴明のものが博雅の一番感じるところを突いたからだ。脳を突き抜けるしびれるような快感に博雅の思考が停止した。
「はあ…っっ!」
ぶるぶると大きく体を震わせて博雅がイッた。晴明のものが何度めかの精をその中で放つ。
「幻にはこんなことなどできぬだろう?」
晴明の言葉を耳元で聞きながら博雅はくずれるように意識を手放した。
「まったく、あいつはああやって人の心を読むからいやなんだ…。」
テレパスでもないだろうに、なんでいつも自分の考えていることが晴明にはばれるんだろう?
重だるい腰の痛みに、うっ、とうめきながら博雅は校内の廊下を歩いていた。
あの後も散々に声が枯れるまでに泣かされて、腰も痛いがのども痛い。なのにあいつは何であんなにけろっとしてるんだ。今朝方のご機嫌な晴明の姿を思い出す。
ああ、不公平だ。
ぶつぶつと一人、文句を言う。
でも…。
あんなに体を繋げられまくられれば、さすがにあれの存在を幻とは思えないな。
今朝などは目覚めてあれの顔を一目見た途端に、昨夜のことを思い出して軽くぞっとした。だから、そ〜っと起こさぬようにベッドから抜けだそうとしたのに、つかまってとどめに朝っぱらからヤられてしまった…。
幻はあんなに元気でもしつこくもないものな。
と、むこうからおととい博雅に彼女ができたのではないかと尋ねた年配の教師が歩いてきた。
「おはようございます。」
博雅にこりと微笑んであいさつをするとむこうも笑みと挨拶を返してきた。
「ああ、おはようございます。」
「あ、あの先生?ちょっとうかがってもいいですか?」
「はい?なんでしょう?」
「昨日のことなんですけど…。」
「昨日?」
「ほら、先生昨日私に聞かれたでしょう。彼女ができたのかって。なんで先生は私に彼女というか、恋人がいると思われたのですか?」
少し照れるように博雅が聞いた。晴明といいこの教師といい、なんでみな自分の思っていることを当ててしまうのかどうしても知りたい。
「源元先生、万葉集の歌をご存知ですか?」
にこにこと微笑んでその年配の先生は言った。
「ええ、ほとんど。」
それを歌った本人だって何人か知ってるくらいだ。
「平兼盛のうたにあるでしょう。『しのぶれど色にでにけりわが恋は…』って。」
それだけ言うと、さあ、もう授業がはじまりますよと言って歩み去ってしまった。
「ものや思ふとひとのとふまで…。」
下の句をそっと口ずさむ博雅。
そんなに俺って顔に出るのか…。
今頃気づく博雅であった。