「そんなに弱いってわけじゃない」
「おいおい、あれが例の」
「おうおう、あれがのう」
夜の闇の中、崩れた土塀の影で誰かがひそひそ囁きあっている。闇にまぎれてはいるもののよくよく目を凝らしてみればどうやら話を交わしているのはひとではなさそうである。
暗闇の中でそのものたちの目がひとりは赤く一人は青くボウと光っているのだ。
「童ならばともかくあのようにでかく育ってしまっても旨いのか?」
「そうじゃの。しかしあの朱呑童子が目をつけ、おまけにあの黒川主でさえ気に入っておるくらいじゃ。きっと喰うのがもったいないぐらい旨いに決まってるさ」
「ふうむ。味は見た目ではわからぬということか」
「そういうことだ」
赤い目と青い目がぎょろりと同じ方向に向けられた。
その不気味な視線の先にその男はいた。
月明かりをきらきらと跳ね返して流れる川のほとり。そこに自らの奏する楽の音色に身も心も全て預けて一心に笛を吹く…源博雅。
やんごとない身の上でありながら供も連れずにただひとりこのような深更にいるのである。
どうやら妖しどもは噂に聞く殿上人がたったひとりでここにいるのを嗅ぎつけて寄ってきたものらしかった。どうやら真意が伝わっていない噂らしかったが、えてして噂と言うものはそんなものである。二匹の妖しは童子と黒川主が博雅をこっそりかくしているご馳走かなにかと思っているようであった。(ある意味正解であったが)
「今夜は童子も黒川主もおらぬようだな」
「それにいつもいるあの陰陽師もな」
きょろきょろと辺りを見回して二匹の妖しは顔を合わせた。
「おれらは運がいいな」
「まったくじゃ。ひひひ」
そういってコソコソと笑いを交わすとそこでひとつ大きくうなずきあった。
「では」
「うむ」
「あいつらより先に」
「喰らうか」
「おう。勿論よ」
言うや二匹の妖しは隠れていた暗闇から走り出した。
「馳走じゃ馳走じゃ」
「さてさて喰らうぞ」
歓呼の声を上げて博雅に向かって飛びついた…のだったが。
「ぎやっ!」
「ひいいっ!!」
一閃二閃。
月の明かりを鋭く跳ね返す硬質の光。笛の音の代わりにびゅうと風を斬る音。その途端、二匹の妖しの悲鳴が夜の闇に響いた。
「こ、こんなはずでは…」
べしゃりと地面に倒れ伏した妖しが土を掻きながら呻くように言った。
「こんなはずってのはどういうことだ?」
手にした太刀をブンと振って元の鞘に収めながら困ったように言ったのは襲われた当人、博雅である。
「お、おまえは…弱くて…何もできない…と…聞いた…ぞ」
「は?誰が言ったんだそんなこと」
ちょっとムッとして博雅は言った。
「は、話が…違う…ううう…」
「ま…まったく…じゃ…」
博雅の問いかけに答えもせず、ガクリ、二匹の妖しが事切れた。
「おぬしら相手ぐらいなら俺だってなんとかなるんだ…って、もう聞いてないか」
さらさらと灰のように崩れて散ってゆく二匹の妖しを見下ろして博雅は少し残念そうに言ったのであった。
天下一の陰陽師を恋人に持ち、都を牛耳る大妖しに想われている殿上人は変なところで苦労しているのである。
Pぃさまのところの笛を吹く博雅さまの絵から(勝手に)ネタを頂いたお話です。謝謝。
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