SYAMON(3)
「だってさ、沙門。どうするよ?」
保憲は、怪我から離れた沙門のおなかのあたりに背をもたせ掛けて、沙門の顔を見上げた。
(話せるところだけ話せばどうだ?ただ、お前の本当のことはなるべくなら、言わないほうがいいんじゃないか?
いくら神経の太そうなじいさんだって、ほんとのこと聞いたらひっくりかえるぜ)
目を瞑ったまま、沙門は保憲だけに聞こえるようにして答えた。
(そうだな…。)
「…よし。わかった!じいさん、ほんとのことを教えるよ。ただ、その前にひとつ頼みがあるんだけど…。」
保憲は沙門にもたせ掛けてた背をがばっと起こすと、道清に言った。
「なんだ?頼みとは?」
「さっきの管狐とのやり取りを見てたやつが、何人かいただろ?その人たちを集めてもらえないかな。出来れば隣の部屋あたりに。」
「集めてどうするんだ?彼らは信用できるものばかりだが。」
いぶかしげに道清が聞く。
「さっきのことを忘れていただく。」
妙に大人のように言ったかと思うと、今度はちょっとあわてたように言葉をつなぐ。
「信用するとかしないとかの問題じゃないんだ。俺は目立ちたくないんだよ。だから、一人でも俺の秘密を知る人は少ないほうがいいんだ。
別に殺しゃあしないから、呼んでもらえないかな、頼むよ。」
いざとなればこの家中の人間だってまとめて記憶を消すことも出来ないではないが、出来ることなら簡単なほうがいい。
「わかった。隣の部屋に集めればいいのだな。」
道清はその頼みを聞き入れることにした。
しかし、人の記憶を消すなど、まるで普通のことのように言うとは。
自分が言っていることが、とんでもない事だという自覚はあるのだろうか?
「うん、頼む。」
にっこり笑って答える保憲からは、そんな自覚があるとは感じられなかった。彼にとってはなんでもない普通のことなのかも知れない、と思わせられる。
そして、隣の部屋に三人の者が呼ばれた。確かに先ほど見た顔ばかりだった。
呼ばれた男たちは少し、戸惑ったような表情をしていた。何でそろって呼ばれたのかわからないので不安なのだろう。
先ほど見たことを誰かに話したかと道清が問うと、三人とも誰にも話していないという答えだった。あまりに超常的過ぎて、いまだに本当のこととはおもえないと、口をそろえていった。
むしろ、そのことで呼ばれたのなら、どういうことなのか教えてほしいとすら言い出すくらいだ。
聞きたくなる気持ちもわからないではないが。
かく言う自分がまさにそれだったから、と道清も思う。
そのやり取りを半分だけ閉められたふすまの陰で、立って聞いていた保憲。
やはり、どうしても忘れてもらわなければならないようだ。
いつもはにこやかな笑みをたたえている口元が、ちょっと気に食わないというようにへの字にゆがめられている。
ひとつ小さく息をつき気持ちを整えると、となりに座るもの達には聞こえぬように、小さく息だけで呪を唱える。そして、その呪にあわせるように両手でひとつ、ふたつと印を結ぶ。
印を結ぶ手を解くと、右手をこぶしに握り口元に持ってゆく。そのこぶしの中に息をふっと、吹き入れた。
それから右手を左手の手のひらに合わせるように乗せ、左手の手のひらをなでるように外へと向かって、開いた右手をすっと滑らせる。
すべてが何一つ止まることなく、滑らかに流れるように行われた。
「消えよ。」
小さく一言。
(保憲が、さっきのことをまだ覚えているか、ちょっと確認してみてくれないかといっている。じいさん、頼む。)
沙門の声が道清の頭の中に伝わってきた。
(わかった)
ついさっき保憲がふすまの陰で、なにやら呪を唱えていたのは気づいていた。記憶の操作などほんとうに出来るものなのか…?
「お前たち、先ほどのことはどうなった?」
わざとあいまいに質問してみる。
「お車なら、ちゃんと車庫に入れましたが?」
「お茶はさっき、おもちしましたよ」
「皆様、無事三々五々。お帰りになられました。」
それぞれがさっきの一件の前にやっていたことを答えた。見事なまでに記憶が消えていた。
(まったく、たいしたものだ…)
当主の道清は、ふすまの陰でにっこり笑って親指を立ててみせている背の高い青年をちらりと見上げた。
軽そうに見える外見からは想像もできない、底知れない力を持った青年を。
人払いのされた奥の部屋、もうすっかり真夜中である。
怪我をした沙門を動かすわけにもいかず結局、今晩はこの家に泊まることとなった。
保憲の家にはもう、ちゃんと連絡が行っている。
沙門は部屋の奥まったところで毛布やクッションに囲まれて、ゆったりと体を伸ばしている。
首から肩にかけての巻かれた包帯に血がにじんで痛々しいが、かなり元気が出てきたようだ。時折、人間一人くらい軽く飲み込めそうな大口をあけて、あくびをしている。
「さてと、ようやくゆっくり、話せるようになったの。」
当主の道清と差し向かいである。居心地が悪くてしょうがない。まるで校長先生に呼び出されたときみたいだ。。
保憲は完全に逃げ場を失ってしまった。沙門の方をうらやましそうにちらっとみる。
沙門は気づいているのかいないのかじっと目をつぶったままだ。
「まいったなあ。やっぱり言わないと…だめ?。」
沙門が助けてくれそうもないとあきらめて、ちょっとかわいく言ってみるが。
「どうしても知りたいのだ。」
まるでドーベルマンのようにしつこいじいさんだと、心中で悪態をつく。
つい、笑顔も引っ込む。
「しょうがないなあ。」
ふう、とため息をひとつ。
「俺に陰陽師の先生なんかいないよ。おれの力は生まれつき。誰にも教わったことなどありませんっ。」
少しやけくそ気味に言う。
「うまれつき…じゃと?」
「そう、生まれつき!小学生のころには、ある程度のことはできたからね。苦い風邪薬をあまくしたり、そのへんにうろちょろしてる子鬼みたいなもの捕まえたり。よく沙門にも怒られたよ。めったやたらと力を使うなって。なっ!?」
沙門に話をふった。
沙門は目をつぶったまま、のどの奥でうなった。
「しかし、生まれつきとはどういうことだ…?」
当惑する道清。そんなことあるわけなどないに決まっている。
「まあ、ぶっちゃけていうと…俺は昔の陰陽師の再生版てやつ?」
まるでDVDか何かのように言う。
「と言うと…?」
「じいさん、輪廻転生って言葉知ってるかい?それだよ。俺は、昔の陰陽師だった人間の再生バージョン」
「輪廻…生まれ変わりか?」
「あ。それそれ。」
わが意を得たりと保憲がぽんと手をたたいた。
「なるほど。」
意外と驚いたふうがないことに、保憲のほうが肩透かしを食らったような気分になった。
「あれ、驚かないの…?」
「輪廻をか?」
「うん。普通、驚くかなんかすると思うんだけど…」
「たいした力がなくても、わしのように陰陽師のような仕事をしていれば、生まれ変わりや怨霊などいくらでも聞く話だ。たいして珍しい話でもない。」
「そんなもんなの…?」
ぽかんとしてしまう保憲。
でも、自分だけかと思っていた肩の重い荷物が落ちたようで、なんだか気が楽になった。
なんだ、俺って意外と普通だったんじゃないか…。
「なるほど、それで君があのように呪を使えるのだということはわかった。…では、質問を変えよう。」
道清の目が当主のそれへと変わった。もう、わらってなどいない。鋭い目だった。
ちょっとほっとしていたときだっただけに、ドキっとする保憲。
「君は、誰だったんだ?」
単刀直入に聞いてきた。
「いやな聞き方するね…じいさん。はは。」
おもわず苦笑いがもれる。
「…もし、わからないといったら…?」
「わからないわけなどないだろう…?そこまで呪を使うことができて、しかも、あんなに強力な、式でもない妖しを使っているのだ。自分が何者かもわからぬものにそんなことが出来るとはとても思えない。」
沙門を振り返って言う、確かにそのとおりだった。
「さて、もう一度聞こう。…おまえは誰だ?」
保憲の背中に悪寒が走った。
(なんて聞き方をするんだ)
「誰だ、なんて…。まるで俺が誰か違う人間に化けているような言い方はよしてくれよ。俺は俺だ!ほかの誰でもないっ。」
保憲にしては珍しく気色ばんで言った。
「その『俺』というのが誰のことなのかを教えてほしい、と言っているんだよ。」
「そんなこと聞いてどうするんだ。知ったところでなにが変わるって言うんだよ?」
「確かに何にもなりはしないだろうさ。ただ、これは年寄りの好奇心だというだけだよ。老い先短い年寄りの好奇心を満たしてやるくらいいいだろう?」
「なにが老い先短いだ…。絶対、後二十年くらいは生きるって顔だぜ。じいさん。」
顔をしかめて保憲が言う。
「ははは。」
道清は大きな声で笑った。つい、保憲も釣られて笑ってしまう。
年齢ははるかに違う二人だが、なぜか通じ合うものがあるようだった。
笑ったらなんだかもういいや、と言う気持ちになった。このじいさん、悪いやつでもなさそうだし。
「しゃあないなあ。沙門、もういいよな。」
(好きにするさ。)
と、沙門。保憲の決めることだ、間違いはないだろう。
保憲は向かいに背筋を伸ばして正座している道清にちょいちょいと手招きをした。
道清が保憲のほうへ身を傾ける。
「なんだ?」
「実はここだけの話…、俺って、昔も今もなぜか、おんなじ名前なんだぜ。不思議だろ?」
こっそり内緒話をするように、保憲は道清のほうにささやくような声で言った。
「同じ名?」
道清も小さな声で聞き返す。
「そっ!おんなじ名前。…これでわかってくれると俺としては楽なんだけど。」
ひょいと背中を伸ばして、にやっと笑った。
「ちなみに俺の名前は加賀保憲って言うんだぜ。知ってるだろ?」
「…!保憲…賀茂保憲さまか!!」
やっとぴんときたらしい。その目が大きく見開かれた。
「おっと!じいさん!倒れるなよ!!目の前で心臓発作とかはごめんだぜっ!」
両手を顔の前にかざしてぶんぶんと振る。
「だいじょうぶだよ…。だが、驚いた…。本当に本当なのかね?君は…というか、あなたは賀茂保憲様なのか?」
「うわっ!!あなた様だの保憲様だのってのはやめてくれよっ!俺はただの高校生だ!」
これだから、ホントのことを言うのはいやだったんだ。