「と、いうわけで、これをあっちの俺に与えるときに、どうも俺は葉二を吹かねばならないらしい。それから…俺にはなんのことだかよくわからんのだが、神の依代を地に立てよ、と天女は仰っていた。どういう意味かとお聞きしたら、そういえば二人の陰陽師にはわかるから、とな。」
「なるほど神の依代か」
「確かに依代だな」
二人の陰陽師は、先ほどから博雅にはりついて離れない小柄な少年に視線をやった。おっかない陰陽師たちに見下ろされて、楓の精霊はビクビクと博雅の袖の陰にさらに隠れた。
「依代って…まさか、このもののことか?」
自分を盾がわりにする精霊を振り向きながら博雅が聞いた。
「それはそうだろう。依代なんてものは昔から神木と相場が決まっている。だから、わざわざ、こいつがここまで呼ばれたのさ。」
と、こちらの晴明。
「丸ごと木が一本いるというわけでもないから、そうだな、枝…つまり、腕の一本でももらおうか?」
年の若いほうの晴明がフッと笑って言った。
「ひっ!」
自分の腕をガシッと抱え込んで悲鳴をあげる精霊。
「からかうなと言っておるだろうが…。」
片袖が落ちそうなほどにギュウッと袖を掴まれて、博雅が「こら、やめろ」と袖を引っ張り返す。
二人の晴明が地面に円陣を描いた。
真円の中に北斗七星をかたどった白石を点々と置き、それを地面に描いた線で結ぶ。その第一番目の星、貧狼(とんろう)星の位置に楓の精霊が立ち、その最後の星、第七星、破軍星の位置に博雅が立つ。
紐でぐるぐる巻きにされて、今も耳に耐えない罵倒を続けている妖しと成り果てた博雅が、その二人の真ん中、円の中心あたりに縛されてあった。ただ、置かれたように見える白い石は、暴れる博雅に蹴られても晴明のかけた呪によって、びくともせずに動かない。
「さて、用意は整った。」
ぱんぱんと、手についた土ぼこりを払って、こちらの晴明が言った。
博雅と楓の精霊の位置のそれぞれ対角となる場所に二人の陰陽師が立つ。
まるで鏡のように、二人の陰陽師は指が複雑に絡み合った印を次々と結び始める。小さく呪を唱え始める先の世の晴明に代わって、こちらの晴明が博雅に向かって
「博雅、笛を。」
と言った。
「う、うむ」
ごくっと唾を飲み込んで博雅は答え、少しばかり唇を湿らせると葉二を唇に当てた。
ひるり…
博雅の笛の音が夜の風に乗って流れ始めた。
と、それまで「離せ、このクソばかやろー!」だの「てめえらハラワタ引きずり出して食らってやらあ!」などと、日ごろの博雅には考えられない情けない品のない言葉でわめき散らしていた妖しの博雅がピタッと黙った。
その博雅の周りに先ほどの光の粒が再び集まり始めた。まるで博雅の奏す笛の音色が、妖しと成り果てたもう一人の自分から、人でなくさせたその因を吸出し結晶化させているかのごとくである。
そして、博雅の笛の音にそこまで、はっきりとした目に見えるほどの力を与えているのは、どうやら天界からの助けのようだ。博雅の笛の音に合わせていつのまにやら楓の精霊の体がぼうっと金の光を放って明滅している。精霊自身も神の依り代となっているためにトランス状態で、心ここにあらずといった意思のない表情になっていた。
なるほど、これならば妖しと成り果てたものを人に戻すのも、たやすいことだ。
なんという強大な力。
いくら大物といえど所詮は妖し、神の力の前にはひれ伏すしかないな…朱呑童子。
印を結び呪を唱えながらこちらの晴明は思う。自分よりずっと先の未来から来たもう一人の自分をちらっと見て、いつの世も俺の苦労は絶えないなと。神に愛でられ、妖しに好かれ、あちこちの厄介ごとにいつの間にやら首を突っ込む、そんな恋人を持ったのは俺の不運か…それとも幸運か。
「幸運に決まっているだろうが。それより、さっきの神薬を。モタモタするなよ。」
「わかってるさ。ホント気が短いな、おぬしは。」
あっちの自分に心を読まれ、ジロッと睨まれて、晴明は肩をすくめて苦笑した。
まったく自分と同じやつなんてロクなもんじゃないな。
そして、これ以上心の中を読まれて文句を言われぬうちにと、懐から先ほどの真珠のような神薬を取り出した。赤い絹の上できらめく神からの賜りもの。
「紫微急西恒外大微官…足陽明薬通利人…」
神を言祝ぎ、その薬効を祈願する呪を唱え、絹の布ごと天に向かって放り上げた。
赤い絹はひらりと地に落ちたが、神の薬は意思を持った人魂のようにぽうと光を放ってきらめきながら、妖しの博雅に向かった空を行った。
そして、体中を金色の光の粒子で覆われてしまった博雅の心臓あたりに、すうっと吸い込まれていった。
まぶしいほどの光がスパークする。二人の陰陽師も思わず袖で目をかばった
やがて光が去ると、元の様に月明かりだけとなった地面にばたりと倒れ付す男がひとり。
すっかりと元の姿に戻った博雅である。
「おお、元の姿に戻ってる!やったな、晴明!」
葉二を唇から離して、開口一番、博雅は喜びの声を上げた。
「ああ。戻ったな。まったく世話の焼ける」
こちらの晴明がほっと息をついて言った。
「面倒をかけた…すまん」
言いながら若いほうの晴明が倒れている博雅を抱き起こした。土ぼこりのついたその頬をペチペチとたたく。
「目をさませ、博雅。」
「う…う〜…ん…」
焦点の合わぬ目を開けて博雅は晴明を見上げた。
「あれ…晴明…?なんで…そんなカッコしてるんだ…?ああ…そうか…夢の続きかあ…ふにゃ…」
どうやら今までのことを夢だと勘違いしているらしく、へへへっ…と笑って幸せそうにまた目を閉じる。
「俺さあ…変な夢…み…ちゃって…。昔のおまえに…会ったんだ…やっぱ相変わらず綺麗で…おまけに俺もいてさ…ふぁ…でも…なんかすっげ…疲れた…後で…話すわ…くぅ。」
言いながら博雅は今度は完全に寝てしまった。
「おい!こら、寝るな…って…」
もう一度ピチピチと頬をはたいたが、博雅は幸せそうな顔で小さくいびきをかくばかり。
「はあ…まったくお前って…」
「ククッ…。どれほどの月日を隔てても俺たちの博雅になんの変わりもないな。なんというか…天真爛漫ってか?」
こちらの晴明がおかしくてならぬと笑う。
「よく言えば…だろうが。なんだか俺はすごく複雑な心持ちだぞ。何年たっても変わらないっていうのは進歩がないってことだろ…。」
その隣で博雅が眉を寄せて言う。
「怒るな博雅。なにも変わらぬ、そこがお前のよいところだと言っているのさ。お前は変わる必要がない。おまえはそのままが一番よい。」
複雑な顔つきの博雅の肩に手を掛けて自分に引き寄せ、晴明は笑った。
「な、おまえもそう思うだろう?」
烏帽子が傾くからくっつくな、と文句を言う博雅をからかいながら晴明はもう一人の自分に尋ねる。
「ま、そういうことだ」
起こすのをあきらめてもう一人の晴明はよいしょ、と博雅を肩に担ぎ上げた。
「では、俺たちはもうゆく。」
博雅を担ぎ上げた晴明が言った。
「ゆくって、もうか?」
こちらの博雅が驚いた。
「ああ、俺はこいつを連れ戻しに来ただけだ。もう用は終わったからな」
「だが、せめてもう少しこちらにおればどうだ?せっかく来たというのに…。」
「いや、残念だが、長居は無用だ。」
月明かりに映える見目麗しい男は淡々とそう言った。
「だが…」
「やめておけ、博雅。もし俺がそっちの立場だったら同じことを言う。」
博雅をその腕に絡めとった晴明が言った。
「俺たちには俺たちが生きる時間がある。それは本来なら決して重なることのない時。あるべき姿でないものをいつまでもそのままにしておいてはならないのさ。」
「そのようなものなのか…?」
「ああ。それに俺の想い人は一人いれば充分だからな。邪魔者は早く消えろってな」
こちらの晴明はそういうとおもむろに博雅のあごを取って口づけた。
「むがっ!なっ…何をしゅるっ…!」
「そういうわけだ、早く行け、まだ年若い俺。後のことは俺に任せておけ。」
真っ赤になって怒る博雅の首に腕を回して、晴明はそう言った。
「…ああ、頼む。」
「それからその短気をもう少し治すことだな。お前のその感情が博雅にすべて向かったら、博雅の体がいくつあっても足りゃあしないぞ」
「はは。心得よう。では。」
切れ長の目をニッと細めて博雅を担いだ晴明は答えた。
「おい、戻るぞ」
懐からあの真っ赤に染まった紅葉の葉をピッと取り出すと晴明は楓の精霊に命じた。
「はっ、はいっっ!!」
楓の精霊がビシッと気をつけをして答える。
色とりどりの紅葉に彩られた葉が錦の渦を描き、三人の姿をこの世界から連れ去って行った。
暗い夜の森に一陣の風が巻き起こる。またしても集まりかけていた妖しどもがその風に乗って現れた人影に、あわててクモの子を散らすように逃げ去った。
「あの陰陽師が帰ってきたっ!」
「逃げろ逃げろ」
そうやって妖しの姿が消えた森の中に博雅を担いだ晴明、楓の精霊が二人が立った。
「ご苦労だった」
晴明が精霊に向かって言った。
「いえいえ、滅相もございません!お役に立ててなによりでございますっ!」
相変わらずびくびくとした様子で精霊が答える。
「で、あの〜…もうよろしいでしょうか…わたくし…?」
「ああ、もういい。」
「ああ、よかった…で、では、私はこれにて…」
あきらかにほっとして精霊は自身の本体である老木に消えようとした。その背に晴明が声をかける。
「ただし、こいつは貰っておく。また、お前に用があるときは呼ぶからな、そのつもりでいろ」
狩衣のふところから例の真っ赤な葉を取り出しひらりと振ってみせた。
「えっ!で、でも!もう…」
あせる精霊。
「なんだ、なにか不服か?」
「い、いえ…」
晴明の不機嫌満載のレーザー光線のような視線に精霊の言葉が立ち消えた。どうも、今この陰陽師に逆らうのは危険きわまりないと、いくら鈍い彼でもわかった。触らぬ神にたたりなしである。
この陰陽師はおっかないが、博雅さまと関わり続けられるのは決して悪い話ではない。と、あきらめて精霊はようやく自分の本体の中に消えていった。
さて、後に残ったのはいまだ意識のない博雅を担いだ晴明だけである。
「やれやれ、大騒ぎだったな。さて、どうしてくれようか…」
今はぐったりと体を預けている博雅をよいしょと担ぎなおして晴明はひとりごちた。
「…ん…」
なにかが額に触れた気がして博雅ははっと目を覚ました。
「ようやく気がついたか、博雅」
目の前に覗き込んでくる晴明の顔があった。どうやら額に触れたのは晴明の手のひらだったらしい。
「ここは…?」
半身を起こして辺りを見回す博雅。板敷きの上に畳が一枚、その上に衣を敷き横たわっていたらしい自身を見下ろす。浅黄色に地模様も鮮やかな狩衣。
「はあ…やっぱり夢じゃなかった…」
大きくため息をついて肩を落とす。
「夢じゃないとは?」
「昔に飛ばされてしまったのはもしかしたら夢だったのではないかと…そう、思ったものですから…それにしても、私は今までどうしていたんだろう…なんだか覚えがない…」
意識をはっきりさせようと博雅は頭を振った。
「朱呑童子はいたずらが好きですからね、あなたの頭の中を少し悪さしたらしい。でも、もう大丈夫…私がいます、安心してください」
白い狩衣に身をつつんだ晴明がに〜っこりと微笑んだ。
「私の世界の晴明とは随分ちがいますね。」
つられてにっこりと微笑んで博雅は言った。
「ほう?…そんなに違いますか?」
口の端をひくっと小さく引きつらせて晴明は優しく尋ねた。
「どうちがいます?」
「う〜ん、そうですねえ、なによりあなたのほうがずうっと大人だ。」
「へえ…」
「あっちのあなたは気が短いというか、すぐ機嫌が悪くなるのが悪いクセで、ホント時々いい加減にしろって思うことがありますよ。あれでも、まだ再会したばかりの頃はもっとましだったんですけどね」
そういって博雅はハハと笑った。
「それはきっと、あなたが相も変わらず色んな揉め事に自ら巻き込まれて回っているからではないでしょうか…?」
「は?」
急に剣呑な雰囲気をまとい始めた晴明に博雅は不安な目を向けた。
「あ、あれ?と、ところでもう一人の私は?」
きょろきょろとあちこちを見回して博雅は聞いた。なんだかものすごく嫌な予感がする。
「それに…そうだ!童子さまは??」
そういえば最後に一緒にいたのは朱呑童子だったと、ハッと思い出して博雅は聞いた。確か、昔の晴明と俺と一緒にいたところに童子どのが現れて…。そこから先の記憶がない。
「ほ〜。まだあの妖しの心配をするか…」
さらに剣呑なオーラが強くなった気が。
「あ、あの…晴明…?」
おそるおそる、そうっと声をかけた。
「も、もしかして…」
博雅が言ったときだった。
チャラリラリラ…。
どこからか小さな電子音。けっしてあの時代にはない妙なる音色?
「ま、まさか…???」
博雅の顔面から、さあっと血の気が引く音が聞こえた…気がした。
「…おかえり…博雅」
「せっ!晴明っっ!!」
まるであの時代のようにしつらえられた室内をバックに、狩衣姿の白い陰陽師が冷たく微笑んだ。
「なあ、晴明、あのふたりどうしたかなあ」
夜空にぽっかりと浮かんだ丸い月を暢気に見上げながら、博雅は尋ねた。
「さあな。」
手にした瑠璃の杯をクイと煽って晴明は答える。いつもの柱に白い狩衣の背を預けて片膝を立てたいつもの姿勢で。
「心配いらないさ、きっと今頃俺たちみたいに仲良く酒でものんでるさ」
「そうか。そうだな、きっと。どれほどの時がたとうと俺とおまえだものな。」
そういって博雅も前におかれた杯を取った。
「…そっか…よかった…」
にっこりと微笑んで杯を口にした。
どうだかな…長い時を隔ててしまった分、おまえに対する俺の想いは一層強くなっていた…
あまり博雅をいじめるなよ、もう一人の俺…。
博雅にはほんとのこと言うわけにはいかないな、と晴明は再び満たされた杯を手に取りながら思ったのだった。
「…あっ…ああっ…せ…めっ…ごめ…っ…」
「当分、外出禁止だ。博雅」
千年の時を隔てて月の明かりは今夜も蒼い光で地を照らす…。
終 劇
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