占い師


 
「今日、少し面白い話を聞いてな」
 
博雅がそう言ったのは、そろそろ風も冷たくなってきた秋の午後のことである。
前に座った男が庭に向けていた顔をゆっくりと振り向いた。
手入れのされているようには見えない庭の、茶色く枯れつつある草の上を弱り始めた虫がひょん、と跳ねた。
 
「面白い話?」
 
そう静かな声で答えたのは、都一と名高い陰陽師。
振り向いた顔に、低く斜めに差し込む秋の日が当たって、その切れ長の瞳に光を射し、薄い色の瞳を金色に染める。
 
「面白いというか…。まあ、とにかく聞いてくれ」
 
そう言って博雅は話し始めたのであった。
 
 
 
ある山の中に一軒の貧しい家があったという。
その家には、娘がひとりで住んでいた。
母はとうの昔に亡くなっていたが、残った父も何年か前に亡くなって、娘はわずかばかりの痩せた土地を耕して、なんとか暮らしていた。
ある夜、その家の戸を叩くものがあった。
旅の途中の老人とその供であった。
聞けば、山を越える途中日が暮れて一夜泊めてくれないか、と言う。
「大したもてなしなどできませぬが、それでよければどうぞ。」
そう言って娘は二人を家の中に招き入れた。
白湯や僅かばかりの雑穀のかゆなどでもてなした娘に、老人はありがたいとお礼を言った。
 
そして、夜が明けて朝。
「これは昨夜のお礼でござります」
と、老人がいくらかの金子を渡そうとすると、娘は首を振って受け取らない。が、代わりにとんでもないことを言った。
 
「このお金はいりませぬ。それよりあなたさまから千文を返していただきたいのです」
 
「千文?」
千文といえば途方もないお金である。たった一晩泊めてもらったにしてはあまりにも法外な。
供が、この娘は頭がおかしいに違いありませぬ、放ってゆきましょう、というのを老人は待て、と制した。
じっと娘を見てそれはどういう言うことかね、と聞いた。
娘が言うには。
亡くなった父親が何年後の何月何日にこういう風体の二人が一夜泊めて欲しいとやってくる、そのひとに話をすればきっと千文返してくれるはずだから、と遺言していったのだと言う。
本当だろうか、と半信半疑に思っていたら本当にその日の夜にあなた方がいらしたので父の遺言は確かに間違いのないことだったのだと思いました、と。
 
「なるほど」
 
一部始終を黙って聞いていた老人は
「では、あなたに千文をお返しいたしましょう」
と言った。
そして、娘と家の中に戻ると一渡り家の中をみまわして
「その柱の中を見て御覧なさい」
と、家の一番隅っこにある柱を指差した。
 
よくよく見れば柱と壁との間に僅かの隙間。手伝ってもらって穴を広げてみてみると、中からちょうど千文の大金が出てきたのであった。
 
「あなたのお父様はさぞかし名のある占い師だったのですね」
驚く娘に老人はそう言って笑った。
かくいうこの老人も、実はまた名のある占い師であった。
娘の父は自分が亡くなった後、必ずこの娘が困窮するであろうことを卦で占って知っており、そのためにこの柱の中にお金を隠したのである。そして、それを話を聞いただけで理解してくれる占い師がそこを通る日も占いで知っていたのある。
すべてを見通した上で隠されていた大金。
 
「あなたを心配されたお父様のためにもこのお金は大切に使うのですよ」
 
そう言って老人は去っていったのであった。
 
 
 
「なるほど確かに面白い話だな」
聞き終えて晴明は言った。
「だろう?でも、それを聞いて俺もあることを思い出してな」
と博雅。
「何を?」
 
「うむ、もうずいぶん前のことになるな、あれは。」
ちょっと遠い目をして、博雅は今度は自分の話を始めた。
 
 
その頃、少年期も過ぎて背も随分と高くなり、家柄も良い公達となった若き博雅、年はもうすぐで二十になろうか、といったところであった。
幼くして許婚がいても当たり前の貴族社会、それがいない博雅にもいくらなんでもそろそろ通う姫が現れてもおかしくない年、というか、すでに遅いくらいである。
普通ならば、恋の歌を詠み、愛しく思う姫に花を贈り、香を焚き染めた文を送ってその返答を夜も眠らず待つ、せめてそれぐらいは同じような年頃の公達は皆している。が、この青年貴族はそののんびりした性格のゆえなのか、まったくそちらの方面に関心が薄く、笛ばかり吹いて家の者をやきもきさせていた。家人にしてみれば、もうすでに父も母もないこの屋敷の若い主には、早く跡継ぎを作ってお家を安泰させてもらいたいという思惑もあったのであろう。
あちらの姫、こちらの姫、といろいろと勧めてみるが、若き主はまったく気の乗らない返答ばかり。
ついに、あせった家令はある人物を屋敷に呼んだ。
その当時、都で名を馳せた高名な占い師である。
 
「わが殿はとても良い方なのですが、あのご様子ではこの先、心配でたまりませぬ。どうぞ、殿のお相手について占っていただきたい。」
そして、できることならお相手の姫をこの中から選んでもらえないか、そう言って家令は何人かの姫の名前を書いた紙を占い師の前に並べた。
「おい、私はそんなこと頼んでなどいないぞ」
顔をしかめて博雅は言った。
が、この際、殿は黙っていてください、と家令にひと蹴りされてしまった。
「黙ってろって…私のことだぞ…」
「ははは。まあ、博雅さま、皆様は心配されていらっしゃるだけですからそう嫌な顔をなさらずに。」
むう、とむくれた博雅に、白いひげを蓄えた柔和な顔をした占い師は、そう言って笑った。
それから、こうも言った。
「それにあなたさまは、とても不思議な相をしていらっしゃる。頼まれずとも私も是非にでも占ってみとうございます」
 
手の平を見て、顔を見て、なにやら紙に不思議な文字やら数字やらを書き連ね、さらに亀の甲のかけらを振ってその散らばり方を見て、占い師はふむふむ、なるほど、とあごひげをさすりながらうなずいた。
「ど、どうでございまするか?」
その長い一連の所作についに痺れをきらして家令が尋ねた。
「…ふむ…博雅さまには、この中の姫はみな合いませぬ。たとえどなたと一緒になっても、それは偽りの姿。博雅さまは不平など申されませぬでしょうが、決して幸せにはなれませぬ」
「なんと。みな良き家柄の姫ばかりでございまするぞ。」
「家柄と契るわけではございませぬからな。」
それとも、家柄の方がお大事ですか、と逆に尋ねられて家人は思わず、ちらりと博雅を見て黙ってしまった。本当のことを言えば、愛や恋などというあやふやなものより当家に釣り合う家柄の方が大事なのが本音だ。
「そ、それはもちろんそうですが…」
「なに、心配には及びませぬ。この姫様たちの中にはおられませぬが、博雅さまには誰よりも博雅さまを大切に想ってくださるお方が確かに現れますよ。それも特別に美しく賢いお方が。」
白ひげの占い師は卦をみてそう言った。
「おお、さようでござりまするか。それならば」
特別に美しく賢いと聞いて、家令はパッと顔を輝かせた。。
 
そのやりとりを苦虫を噛んだような表情で見つめる博雅。仕方なく黙って聞いてはいるが、心配してくれるのはありがたいが余計なお世話だと思っているのがその顔にくっきりはっきり。
その博雅の様子を見て占い師は博雅のほうへと向き直った。
「まあ、そのような顔をされまするな、博雅さま。」
「むう」
どんな姫と一緒になるかなんて想像したこともないのだ、綺麗だの賢いだの聞いてもちっともうれしくない。
 
「そうですね、後…三年。三年後にはそのお方と博雅さまは出会われますよ。」
「三年?」
 
たったの?
 
まるでそこで人生が終わってでもいるかのような心持ちになって、博雅の顔がますます難しくなる。
が、占い師はそんな博雅の顔を見てホッホッホッ、と笑った。
 
 


「あのときはまさかそんな馬鹿な話があってたまるかと、ばかばかしくてそれきりすっかり忘れていたのだが、千文の話を聞いてふと思い出してな」 
そこまで話すと博雅は手にした何杯目かの酒を干した。
話をしているうちに日は落ちてあたりは暗くなりはじめていた
晴明の式が灯していった灯明が、博雅と晴明の顔をほの明るく照らす。
「確かにそれから三年後、あの占い師の言ったとおり、誰よりも綺麗で賢いおぬしと出会って心奪われた。それまではそんなことになるとは思いもしなかったのにな。まるで千文の話に出てくる娘の父親のように、本当に先を占う力を持っていたのだなあ、あの占い師は」
そう感心した後
「だが、まさか俺の相手が姫ではなく男だとは、さすがにあの占い師にもわからなかっただろうな」
そう言って、俺にだってわからなかったものな、と、くすくすと笑った。
すると、今まで黙って酒を飲みながら話を聞いていた晴明が柱からその背を起こした。
 
「実に興味深い話だが…本当に話はそこで終わりか?」
 
コトリ、手にしていた杯を床に置いてそう聞いた。
 
「え?」
「その占い師、それ以上何も言わなかったか?」
「何もって…。ああ、待てよ、そういえば…」
聞かれて博雅は過去の記憶を探った。
 
「『へい』はいらない…とかなんとか…」
 
「なるほど。」
博雅の言葉を聴いて晴明は唇に笑みを浮かべた。
「なるほど、って、それはどういう意味だ?」
晴明の笑みの意味がわからなくて博雅は首をかしげる。
「おまえはそれを何だと思ったのだ?」
逆に晴明が聞く。
「う〜ん、昔のことだからよく覚えてはおらぬが…。確かあの時、礼の品とともに餅菓子みたいなものが出ておったからな。年寄りのことだから甘いものが要らぬという意味かと思ったな」
「おぬしらしい」
下を向いてクックックッ、と笑う晴明。
「なんで、笑う…」
なんとなく馬鹿にされている気がして博雅は唇をへの字に曲げた。
 
 
「俺たちに三日夜の餅はいらぬだろう?」
「え?…あっ!まさか…」
「そう、どこの誰かは知らぬが大した占い師だ、おぬしの姫が姫でないと、ちゃんと知っておったのさ」
 
そう言うと、晴明はびっくりして目を見張る博雅のあごを取ってくちづけた。
「わっ!きゅ、急に何をする!」
「おぬしに、その姫たちの中からこれがいいなどと適当なことを言ってくれなくてなによりだった。」
礼に目がくらんでそれぐらい平気で言ってのける輩はいくらでもいる。博雅のところに呼ばれた占い師は滅多にいない本物だったらしい。偶然とはいえ、そのあたりも千文の娘の話のようだ。
「そ、そこのところは心配には及ばぬ。俺にも己の意思というものがある。自分の好きな人ぐらい自分で見つける。」
フン、と鼻息を荒くして博雅が言う。
「そうか」
「勝手に見透かされてしまったが、放っておいてくれてもちゃんとおぬしを見つけたさ。」
「そうだな」
交わされる視線。我を取り戻した博雅がニッ、と笑う。 
「それにしても千文の銭でないところがちょっと残念だった気もするけどな」
 
「ばか」
 
いつものせりふを今日は晴明が言って二人は笑みを浮かべてくちづけた。
 
 
 
 
空にはぽっかり、秋の月。
 
真ん丸で黄色いそれは、まるで三日夜の餅のよう。








へたれ文へのご案内にもどります