晴明は目の前の光景にため息をついた。その瞳はかなり機嫌が悪そうに半分閉じられている。
「どうした、晴明?なんだか機嫌よくなさそうだな。」
晴明の隣に来て声をかけたのは、黒川主。両手に持った酒のグラスの片方を晴明の手に押し付ける。
「まあ、飲めよ。今宵は誰も博雅殿をとって食おうというヤツはおらんから、安心しろ。」
そういって隻眼のその顔に、にっと笑みを浮かべた。
(これのどこが安心出来るというのだ…)
押し付けられたグラスの酒をぐっとあおる晴明。
博雅が大勢に囲まれて楽しそうに笑っている。そう聞くとそこまでは普通のように聞こえるだろうが、実際、目の前で繰広げられている状況は、決して普通とはいえなかった。
博雅を囲んで、飲めや歌えと騒いでいるのは人ではない。
青鬼、赤鬼、大入道、一つ目、一角翁、おまけに朱呑童子までいる。ほかにも、手足の生えた急須やら甕やら…。大きなものから小さなものまで、この世の変な連中がいっぺんに集まったかのようだ。
それらが朧月夜の下、博雅の邸の庭で宴を開いているのだ。
(腐れた死人のたぐいが来ていないだけまだ、ましというものか…。)
食べ物も,人の肉などは出ていない。昔は目玉をすすったり、手足をかじっていたりしていた連中なのに。随分礼儀正しくなったものだ。信用していいのか、こんなやつら。
それにしても、と思わざるを得ない。
この男は、いつからこんなことをやってきたのだ?と、博雅を見る。たしかに再会した時に、夜は色々な連中が来るからほかに人は置かない、とは聞いてはいたが。
とても、昨日今日はじまったという感じではない。妙にこの場になじんでいるというか…。
「いったい、こんな宴をいつからやってきたのだ?」
隣にすわる黒川主に聞く。黒い上着を脱いで横においてある。その下のシャツも黒、ネクタイも黒、ほっとくと闇に溶けてしまいそうだ。
「そうさなあ。博雅殿の両親がまだ生きていた頃は、こんなに派手ではなかったのだ。せいぜい、博雅殿の部屋のある離れでちょこちょこ飲んでいたくらいでな。
両親がなくなってあんまり博雅殿が寂しそうだったので、だんだん皆が集まるようになって、いつの間にかこんな風になったのだ。」
あごで、ひときわにぎやかな博雅のいる方を示す。
「みな、博雅殿のことが好きなのだ。俺たちは今の世では存在すら、忘れられたようなものだからな。誰にも、その存在を意識されぬということは、そこにいる意味がないということと同じだ。そうやって、人に忘れ去られて消えていった連中も多い。」
楽しそうに、妖しのものと笑いあっている博雅の方を見る。
「あの方は俺たちのことを怖がるどころか、よるべなき身となった我らに誠意をもって接してくれる。最初は、とりついて食らってやるといっていたヤツもいたのだが、今はそんなことを言うヤツがいようものなら、皆によってたかってそいつの方が食われてしまうわ。」
くくく、と笑う。
「よく、今まで無事にきたものだ…。」
自分の覚醒しない間に食われていても、決しておかしくはなかっただろう。
博雅を失ったからといって、悲しみに負けてあんな呪で自分を縛るべきではなかった。晴明は顔には出さないが結構、反省しているのだ、これでも。
 
「ところで、この間は大変だったそうだな。うわさは聞いたぞ。」
酒を勧めながら黒川主が言った。
「この間?ああ。薬子と仲成殿のことか。」
「おう。それだ、それ。危うく博雅殿が食われそうになったそうだな。何でも、朱呑童子殿が一枚噛んでいたとか…」
「よく、知っているな。」
「そんな話は疫病のようにあっという間にひろがるのさ。で、朱呑どのとやりあったらしいな。おぬし。」
「本当に詳しいな。まったく狭い街だ。」
思わず苦笑する晴明。
あの事件の後、晴明と朱呑童子は喧々囂々、けんかしまくったのだ。どっちも、お前が悪いと譲らず大変だった。博雅がふたりを怒鳴りつけなければ、片方はこの世にはもう、いなかったかもしれない。
そんな話をしていたとき、急に騒ぎがおさまってあたりがしん、とした。
何かと思って話をやめ、博雅の方を見ると、皆の座る中、一人立ち上がった博雅が葉双を吹き始めるところだった。
おぼろ月夜のほのかな月明かりの中、博雅の笛の音が響く。
誰一人、しわぶきひとつたてない。涙を流しているものさえいる。
と、その博雅の笛の音にもうひとつ、音が重なった。お互い、睦合うように音が絡まって空へと舞い上がってゆく。
清廉な博雅の音に、もうひとつの妖艶な音が重なり、絡みつく。
その笛を奏でているのは案の定、朱呑童子。
少し離れた庭石の上に腰をかけて、笛を吹く姿は美しいとしか言いようがない。時折、博雅と目を合わせて、楽の分かるもの同士だけに通じる何かを交わしているようだ。
気に入らないが、晴明の手の出せる分野ではない。苛立ちをおさえるかのようにくっとグラスに残った酒をあおる。
からになったそのグラスに酒をつぎたしながら、黒川主が言う。
「妬くな妬くな。心配せずとも、博雅殿はぬししか目にはいっておらんよ。まあ、もてる男だがなあ。男らしいかと思えば、妙に可愛らしいところもあるし、何よりあの純粋な心根にみな、惹かれるのだろうなあ。」
「言われなくても分かっているさ、それくらい。」
と、晴明。だから、心配なのだ。
 
そのとき、三人の人影が庭の隅に現れた。
それに気づいて博雅の笛の音がやむ。朱呑童子のも。
「おひさしぶりです、博雅様。」
中年の美しい婦人が博雅に向かって微笑みかける。
「白蛇姫さま!いつこちらに?」
博雅が歩み寄った。
「今朝の便でこちらにまいりました。晴明様がお帰りだとお聞きましたので。若い二人もぜひ、晴明様にお会いしたいと言うので、一緒に連れてまいりました。」
後ろの二人を振り向く。
後ろには長い黒髪のたおやかな美人と、背の高い精悍な顔つきのすらりとした若者が立っていた。
「やあ、おかえり。咲也さん、美鈴さん。」
二人に握手の手を伸ばす博雅。白蛇姫の娘、美鈴は頬をそめ博雅とそっと握手しただけだったが、咲也の方は博雅の手を取ると、そのまま博雅の体ごと勢いよく引っ張り、その胸にぎゅうと抱きしめた。
「会いたかったっ!博雅さんっ!!」
「わわっ!!」
ハグされて身動きならない博雅。
晴明ががばっとひざ立ちになる。
「あちゃあ…。」
思わず顔面を覆う黒川主。実は咲也は彼の息子の息子、つまり人間で言うところの孫に当たる。
彼の息子は昔、晴明にとりあげてもらった子であったが、人との間に生まれた半妖であったので、五百年ほど生きたが亡くなった。その息子は母が妖しであったため五百年を過ぎた今でも、あまり歳をとらない、見た目は二十歳くらいだ。
今は外国にいることの方が多い。人ならぬものを信じなくなった日本は妖しにとって、決して住みやすくはないので、彼のためを思った黒川主が、今では上海に住む白蛇姫に預けたのだ。
最初は行くのを嫌がっていたが、今では向こうの暮らしになじんだのかあまり文句も言わない。行くのを嫌がっていた理由はただひとつ。博雅と離れなければならないことだった。
「だれだ?あれは。」
駆けつけたいのだが皆の手前そんなことも出来ずにいらいらしながら、晴明が黒川主に聞く。
「…すまん。晴明。あれは俺のところの一族だ。まあ、人間で言うところの孫…だな。」
「おぬしのところの?だが、なんであんなに博雅に抱きついているのだ?」
俺の博雅にくっつくなと怒鳴りたい。だが、朱呑童子が小ばかにしたようにこちらを見ているのに気づいているのでそんなまねは出来ない。
どうせ、相変わらず心の狭いヤツだとか思っているに決まっている。
「アイツは博雅殿が誰よりも好きなんだよ。まだガキなんだ。許してやってくれ。」
五百年も生きていてガキもないとは思うのだが、確かに見てくれはまだ、ガキっぽい。
きりきりと怒りを抑える晴明の目に、新たな展開が飛び込んできた。
咲也はハグした上に、派手に博雅にキスをした。しかも、ふか〜く。
じたばたする博雅。周りではわけの分からぬ妖しどもがヤンやんやと囃したてている。
怒りが爆発するのではと、黒川主が晴明の方をうかがう。だが、妙に静かだ。
そっと晴明の目の色を見た黒川主。
(…これは、まずい。咲也、逃げろ!)
心で咲也に呼びかけるが、聞こえるわけもなく。
 
静かに怒る晴明は誰よりも怖いと知るのは,はたして咲也か、それとも隙だらけだといつも晴明に注意されている博雅か…。
朱呑童子はそんな晴明をみて、相変わらずアツイ奴だと、ふふんと笑った。


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