「続・流鏑馬…恋文」


「で、無事うまく断ったのか?」
馬の轡をとって歩く隣の男に晴明は声をかけた。
「ああ、一応きちんとお断りはした。」
身分の高いくせに妙に気さくな恋人はどっちつかずにも聞こえる返事をした。
「一応?」
「うむむ、一応なあ…」
「なんだか歯切れの悪い言い方だな」
「う〜ん、まあな。悪いが俺には想う方がいるからお気持ちはありがたいが、って言ったんだが…」
馬番に手綱を手渡すと愛馬の鼻先をぽんぽんと優しく叩いて博雅は言った
「が…って。聞き入れてくれなかったのか?」
「うむ。あなたには自分のようなものこそふさわしい、誰にも渡すつもりはない…だそうだ。渡すつもりはないって言われたって、もともと俺はあの方のものでもないんだけどなあ」
まったく思い込みの激しいお方だよと博雅は困ったようにいってぽりぽりと顎を掻いた。
今を煌く綺羅星、紀友則から恋文を貰った源博雅。
普段は目立たないくせに、よ〜く見ると意外に目鼻立ちは整っているし、背はあるし、おまけに均整の取れたよい体格をしている。ぼうっとして見えるため、他にそのような本当の博雅の姿に気づくものはそう多くはないのだが。

「派手なだけの男かと思っていたが…」
意外に目利きなのだな、と晴明。
「へ?なにか言ったか?」
ぼそっと言った一言に博雅が首を傾げる。
「いや、なんでもない」
「そうか?…それにしても、どうしたもんかなあ」
晴明が焼きもち焼いてくれれば、それだけで充分満足だったのに、それだけでは収拾のつかない事態になって、博雅は本気で困っていた。元々、男色の趣味などない博雅。晴明以外の男に言い寄られても、困惑するばかりである。
「まあなんとかなるさ。」
心配するなよ、と博雅はのん気に笑ったのだったが。
 
「うわっ!」
一人徒歩でいつものように晴明の屋敷に向かう夜の道で、博雅は突然背後から羽交い絞めにされた。
「な、何者っ…うっ…!」
鼻にツンとくる何かを嗅がされて急激に意識がぼやける。その朦朧とした耳に友則のうれしそうな声が聞こえた。
 
「あなたは私のもの…あのような輩のもとになどやりはいたしませぬよ」
 
ククッと含んだ笑い声が遠のいた。
 
 
むせ返るような香の匂いに目覚める博雅。
「…む…なんだ、この香りは…」
「唐から渡ってきた、恋しいお方を虜にするという秘薬の香でござりますよ、博雅どの。」
「そ、その声は…友則どのか?」
「おううれしや、私の声を覚えていてくださってか」
薄暗い灯明がひとつだけの暗がりの中、さらさらと絹ずれの音をさせながら友則が博雅の体に寄り添う。
「ふふ…」
婀娜っぽい笑いを浮かべて、その白い手が博雅の狩衣の袷に滑り込んだ。幾重にも重なる絹を掻き分けて忍び込む手。
「おやめなさい、友則どの」
その手を掴んで博雅が止める。
「あなたとはこういう風にはなりたくない」
「私のことがお嫌いか…?」
博雅の胸に体を預けながら友則は切なげな声で聞く。
「い、いや決して嫌ってなど」
「ならば」
「き、嫌いではないが、そういう意味ではない。」
「今からそういう間になればよいではないですか」
友則の顔が上がって博雅の顔に近づきだす。
「な、ならぬならぬ。私には心に決めたひとがいるっ!」
つかの間の静寂。
「…あの陰陽師ですか」
ずばり言われた。
「あのような人か妖しの子かもわからぬ者のどこがよいのです。あなたにはあなたの身分に釣り合う相手のほうがふさわしゅうございます…たとえば私のような」
そう言うと友則は博雅の頬を両手で挟んで、博雅に驚く間さえも与えずにその唇を奪った。僅かな隙をついて友則の舌がぬるりと博雅の口の中に滑り込む。
「む…」
眉間に険しい皺を刻んで、博雅は友則の顔を両手で挟んで引き剥がした。
「お止めください。確かにあなたの仰るとおり、あの陰陽師が私の心に決めたもの。身分など関係なくあれが私のただ一人の恋人だ。あなたではない。」
「なんと頑固な…。でもそのような律儀なところもまた好きですよ、ふふ」
唇を離して婀娜っぽく笑うと友則は
「落としがいがある」
そう言って、自分の顔を押さえた博雅の手のひらに濡れた舌をれろりと這わせた。
「わっ!」
驚いて思わず手を離す博雅、その手をすばやく掴むと友則はパンパンと手を叩いた。
 
「お呼びになられましたか、殿?」
 
几帳の影から小さな声。
 
「結えるものを持ってきておくれ。きれいな絹の紐がいいな」
「かしこまりました」
 
「はっ?なんだって!」
手をとられた博雅はびっくりして聞き返す。
「まさか私を縛り上げるつもりか?冗談ではない!」
そういって手を振りほどこうとしたが。
「な、なんだ?」
手に、いや、体に力が入らない。それどころか力を入れようとすればするほど目の前の視界がクラリと揺れる。まるで夢の中にいるように周りの景色がゆらゆらと水底のように歪んでゆく。
 
「な、なにをした…?」
「香ぐらいではあなたの理性はびくともしないようなので、少しお薬をね」
そう言うと友則は桃色に舌先を小さく突き出して見せた。
「大丈夫、変なお薬ではございませぬ、心が自由になるとても楽しいお薬でございますよ」
 
「くっ…」
きりきりと後ろ手に縛り上げられて博雅は唇をかみ締めた。肌蹴られた狩衣の上を白い絹の紐がぐるぐると二重に巻きつき体の自由を奪う。
本来ならば、このように黙って括られる博雅ではない。薬によって、くたりと力の抜けた身体をようやくのことで座らせながら博雅は言った。
「このようなこと、今すぐお止めください」
ギッ、と眉を寄せて険しい目を友則に向けた。
正面に座って博雅が縛り上げられるのを楽しそうに見ていた友則、家人を下がらせると蝙蝠を口元に当て、目元を綻ばせた。
「おお、こわい。でも、そのきつい目つきで睨むあなたさまも素敵でございますねえ。普段はのんびりして見せておいでなのに、実はその心の奥には燃えるような炎をお持ちだ、素晴らしい…」
パチリ、少し開いていた蝙蝠を閉じると、じり…と博雅ににじり寄った。
「誰もあなたの本当の姿を知らない…ぼんやりして見えるあなたの身体がこのように素晴らしいことも…」
肌蹴られた衣をさらに開いて、博雅の硬く色の濃い胸に手を這わせる。
「この肌には、やはり白い絹がよく似合う…」
「や、やめなさい…友則どの!」
クラクラする頭を振って博雅がその手を押しとどめようとするが。
「私ほどよい恋人はおりませぬよ…きっと、あなたを夢中にさせてみせましょう」
「いや、そういうことではなくって…こ、これ以上はあなたに危害が及ぶ…悪いことはいわない、おやめなさい友則どの」
「脅かしても無駄ですよ。さあ、楽しい時の始まりです博雅どの…」
自分によほどの自信があるのか、友則には博雅の言うことなどろくすっぽ耳にも入っていない。止まるどころか胸に這わせていた手をさらに下に向わせた。
「天にも昇る心地にして差し上げましょう」
指貫の括緒にその指がかかった。
 
 
「誰が天に昇るだって?」
 
部屋の隅から低い声が発せられた。
 
「だ、誰だっ!?」
博雅の前に今にも屈みこみそうだった友則、ガバッと顔を上げて声の方を振り返った。
闇に沈んだ部屋の角に一人の影法師。
「だ、誰だ!?ここをどこだと思っている!」
影法師に向って友則は大きな声を上げた。どこの誰とも分からぬ輩が貴族の屋敷に勝手に上がるなど(たとえ人攫い中でも)許せることではない。
「紀友則さまのお屋敷と承知しております」
「知って…」
さらに言いかけた友則の声を静かな声が遮った。
「知って、なお、です。…私の背の君がこちらにお邪魔しているようですので迎えに上がりました」
「まさか…」
影法師が誰かに気付く友則、声が掠れて止まった。
 
「その先は言わぬがよろしいかと…。私、少々、呪など使いますれば…」
「ひっ!」
「…あちゃ」
 
「あ、安倍の…」
「おや、言ってしまいましたね」
影法師の右手がゆっくりと上がる。
「こ、これ!やめろ、晴明!」
とめようとして、これもまた、しっかりとその名を呼んでしまった博雅であった。
 
 
「あれでしばらくは大人しくしているでしょうよ」
牛車にガタゴトと揺られながら、稀代の陰陽師はうっすらと微笑んだ。
「…やり過ぎではないかな」
そんな陰陽師にチラリ視線を泳がせて、その恋人が言う。
「可哀想にかなりビビッてたぞ」
「あれしきのことで肝をつぶすぐらいならば、私のものに手を出さぬことです」
「あれを、あれしきのこと、などと言うのはおぬしか俺ぐらいなものだ…」
 
名を呼ばれた陰陽師は、博雅と友則の目の前で式神を召喚してみせたのだ。そういうことができるらしい、とは噂には聞いて知っていたが、どうせ大げさに言っているだけだとたかをくくっていた友則、見上げるほどに大きな鬼神を目の前にして腰が抜けそうになった。
「な、なななんだ、これは…ッ!」
「我は式神。今宵の敵はおまえか!」
爛々と光を放つ大きな目を、ぎょろりと友則の顔に据えて、そいつは割れがねのようなドラ声で言った。手にした三叉またが地面に突き刺さった。
 
「ひえええっ!!」
 
 
 
 
 
「まったく、あなたはまっすぐ我が屋敷にくることもままならないのですか、怪我をしたり賊に絡まれたり、あげくの果てにかどわかされて。」
「言うなよ、晴明、俺だって、いつもいつもそんな目にばかり会っているわけではないぞ」
「いいえ。あなたは歩くだけで厄介ごとを引き寄せます。大体において、ぼ〜っとしているのがよくない」
「へえ、そうか?俺にきりきりしていてほしいか?」
背筋を伸ばし、きりっと表情を引き締めて見せる博駕。とたんに雰囲気が変わる。それを見ていやそうに目を眇める晴明。
「…そっちもよろしくない」
「俺がもてるようになるから?」
「…なんだかムカつく言い方ですね」
「ふふ、でもそれでもおぬしよりはもてないがな」
また元のようにふわりと笑んで博雅は言った。
「人の目を引く恋人を持つと苦労するのだよ、晴明どの」
ツンと向こうをむいた晴明のあごを取ると自分の方に向かせた。
「そして、その目がいつも自分をみていないと…不安になる。」
熱のこもった瞳が普段は静かな水面のように冷静な瞳をじっと見つめる。
「…助けにきてくれてありがとう」
「しかたがないでしょう…私の屋敷に来るはずだった客人ですからね」
答える晴明の目の奥にもポウと火が灯る
 
「客人ねえ。」
やっぱりまだ怒ってるな、と博雅は口元を緩ませる。が、怒っているときのこの男は嫌いではない。もっと、怒ってても。
ニヤリ、笑うと博雅は言った。
 
「その困った客人をもう少し助けて頂けないかな?」
 
「は?これ以上なにを…」
いぶかしげに眉をひそめる晴明の白い手を取って博雅はその手を自分のある一箇所に引き寄せた。
「実は怪しい薬を盛られてこちらがやばいことになっている…ぜひ、おぬしに助けてもらいたい」
「な、なにい!?」
普段はクールな晴明が驚いて声を上げた。
「冗談ではなく本気なんだな、これが」
その晴明に顔を寄せてその耳元でひそひそとささやく博雅。
「おぬしに慰めてもらわねばどうにもならん」
そういって、晴明に向かって悪戯っ子のようにパチリと片目をつぶって見せた。
 
「ば、ばか…」
 
クールビューティ晴明の頬がほんのり赤くなったような、ならないような。
 


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