蘇る金狼 (3)



「そいつをどこで手に入れたのか聞かせてもらおうか」
志士の亡霊よりも、蜘蛛の妖しよりも怖い、本物の陰陽師の声がした。

「こいつには見覚えがある。」
そういって人気のない駐車場までやってくると、晴明は振り向いて博雅の左の腰元に手を伸ばした。
「あっ!」
何もない空間からすらりと長い朱鞘の長刀が晴明の手によって引き出される。パシッと片手にその太刀を持ち替えると、晴明はその太刀を抜き放った。磨きぬかれた刀身が月の光を受けてきらりと輝いた。
チャキ、と太刀を持ち替えて刀身になんの刃こぼれもないのを確認する晴明。
「しかもばっちり手入れまでされてる。こいつは吉野の山神、犬神どのの持ち物だったはず、それが何でここにあるんだ」
「なんでって…貰ったから」
気まずそうに博雅が答えた。
「貰った…?」
晴明の目がいぶかしげに細められる。

「そう、そいつは博雅殿に譲ったのさ」

晴明の背後で声がした。
「犬神…どのか」
「いかにも。久しいなあ、晴明。」
振り向けば遠い昔に見た男がそこに。ただ、あの時とは違って今は水干などは身に着けておらず、少しくたびれたネクタイによれっとしたシャツと短くなったタバコをくわえて。とても天の系統に属するお方には見えない。
「昔と同じに随分と男前に生まれたなあ、おぬし。昔も綺麗な男だったが、今生もまるで絵から抜け出たように美しい。その目つきはともかくとしてな。」
そこに停められた晴明の車体の低いクルマにその背を預けて犬神は言った。千年のときを隔てて再会したとは思えない気さくさ、これも天部のものゆえか。
「お褒め頂いたと解釈いたしますよ。そういうあなたも随分と時代に馴染んでおられるようで。」
「こいつか?」
よれよれのネクタイをちょっとつまんで見せた。
「まあ、いつまでもあんな昔の格好もしてられないからな。世の中に合わせるさ、あの大江山の鬼王みたいに見目麗しくとはいかないがね」
いくらかウェーブのかかった髪に優しげに見える瞳をきらめかせて犬神は笑った。
「で、そいつは役に立ったかい?」
博雅に向かって聞く。
「ええ。それはもう…でも、何故あなたがここに?」
突然ここに現れた犬神に、博雅もいくらか戸惑っていた。
「その太刀はいわば犬神殿の分身だ、抜かれればすぐにも分かろう。」
博雅の問いに晴明が代わって答える。
「はは、まあそういうことだ」

と、その時。
 
「おい!おまえっ!!」
きいっ!と甲高い声が割って入った。
あわてて声の方を振り向く博雅、車に背を預けたまま面白そうな顔をする大神。そして、刀を鞘に納めゆっくりと振り向く晴明。三人が三様の反応を示す。
後を追ってきたらしい例の霧麻呂がそこに仁王立ちして立っていた。白塗りの顔が険悪にゆがめられ、まるで鬼か幽鬼のように見えた。走ってきたようで分厚く塗った白粉が汗で流れ顔が汚らしくまだらになっている。その息がはあはあと荒い。
「なんです?まだ、何か用でも?」
晴明がいかにも面倒そうにゆっくりと答える。
「よ、よよ用もなにも!おまえ、よ、よくも私の邪魔をしてくれたなっ!!」
ぶるぶると震える指先で晴明を指差して彼は言った。
「邪魔?さて、なんのことだか」
「と、とぼけるなっっ!」
白く塗りたくられた顔に憎悪の瞳をぎらめかせて霧麻呂が叫ぶ。
「私をもう二度とテレビに出すなと言ったそうじゃないかっ!な、なんでお前なんかにそんなことをされなければならないんだっ!!私はこのテレビを足がかりにして有名になるはずだったんだぞっ!!」
口の端に泡を飛ばして喚く。
「有名ね。名を売ってどうしようというんです。くだらない」
ニコリともせず答える晴明。
「く、くだらないだとおっ!」
霧麻呂が目をむく。
「それにあなたが売ろうとする名というのは安倍晴明の名でしょう?」
晴明が冷たく指摘した。
「へえ」
興味を引かれた犬神が面白そうに言った。
「そうだ!なにが悪い。私は晴明の名を継ぐ天下の陰陽師であるからな!」
妖し一匹退治もできないくせに霧麻呂は大きく胸を張った。
「で、晴明の名にのっかって金儲けでもするつもりですか?」
「金儲けなどとは無粋な!だが助けてやった者たちが私にその褒賞をというのならそれを断るいわれはない。」
なんと都合のいい解釈。
「そいつを金儲けっていうんだぜ。」
くくっと笑って犬神が言う。
「まったく人間ってやつは飽きないな」
 
「と、とにかくだっ!私の邪魔をして、たっ、た、ただで済むと思うなよっ!!」
「ほお。いったいどうするつもりです?」
微動だにせず晴明は聞き返した。
「お、お前に呪いをかけてやる!そ、それも、ちょ、超きょっ、強力なやつをっ!」
甲高い声がさらにヒートアップして耳障りなほどに高い。
「へえ。呪いだって?陰陽の理りの中に呪いなどという言葉はあったかな。」
「それをいうなら呪詛だろ。昔よく俺の所で人間どもがやってたぞ。」
あれはなかなかに面白かったと犬神は言った。
が、そんな言葉など霧麻呂は聞いちゃいない。目を血走らせて呪いだ、呪いっ!っと喚きまくった。
「お、おまえが何者かは知らぬがなっ!私の呪いから逃れることなど、絶対、ぜ〜ったい!できないんだからな!!」
「まあまあ、落ち着いて。彼もなにもあなたの何もかもを邪魔するといっているわけではないのですから。今日の放送分だけは流さないでほしいと言ってるだけで…」
博雅がせっせとフォローに入る。
が、
「いいや、博雅。俺はこの男を二度とメディアに乗せるなと言ったんだ。」
と、晴明は博雅のせっかくのフォローをすべて吹っ飛ばすようなことをさらっと言ってのけた。
「ほ!ほら見ろっ!!やっぱりこいつは、わ、わわわ私を社会から抹殺しようとしておるのだっ!!今から呪いをかけてやるからなっ!!見てろっ!!」
そう大声で喚くと霧麻呂は懐からなにやら取り出した。
黄色というか黄土色に変色したなにやらぼろぼろの布切れのようなもの。
「ん?あれは…」
犬神が首を伸ばす。
「お、王子よ、王子よ、式王子!我が願いをかなえよ。こやつらを憑り殺し、わ、我に地位と名声を与えよ!」
両手にそのぼろきれを恭しく捧げ持ち、自分勝手な願いを叫ぶと、霧麻呂は実に嫌な下卑た顔をして、にやあと笑った。
「ふふふ…お前ら終わりだよ、わかってるかあ?あの黒板にへばり付いてるときはさすがの私も何もできなかったが、今は違う…。私が本当になんの妖力もなくここまで有名になったと思ってるのか?」
耳まで裂けるかと思うほどに真っ赤な唇の端を高く引きつらせて霧麻呂はヒヒヒッと甲高い声で笑った。とても、人とは思えない形相。欲に狂うと人は人としての品格をなくすというが、まさに今の霧麻呂はそれのようである。
「式王子…。いざなぎか」
と、犬神。
「にしては、ずいぶんと禍々しい妖気ですがね」
晴明の指先がピクッと動く。
「霧麻呂さん…」
ヒヒヒと笑う霧麻呂に晴明の横に立った博雅も言葉を失う。
「式とは陰陽師の手足となるべきもの…、だが、こいつは…」
博雅の前に守るようにすっと手を伸ばす晴明。
 
霧麻呂の手の中のぼろぼろに黄ばんだ紙から、ズワッ!と大きな影が盛り上がって飛び出す。
「おお!」
思わず博雅が声を上げた。
暗闇よりも暗い人の何倍もあろうかという巨大な影が晴明や博雅の頭上を覆うほどに大きく盛り上がる。
「下がれ、博雅」
手にした刀を盾のようにかざして晴明は博雅を押してゆっくり後ずさった。

グルルルル…

地響きのような唸り声がその巨大な影から発せられた。
よく見ればその影は何かの獣の態を取っているようである。
「獣か?」
と博雅。
「そのようだな。式は人の形をとることが多いが、四国のいざなぎのほうでは獣の態をとるほうが多いと聞く。狼や犬、あるいは狐などな。」
大きな影を見上げて犬神が教えてくれた。
「我ら都のものと違ってど田舎だ、式まで荒っぽい」
クスクスと笑って、まったく怖がるそぶりもない。
言っているうちに影がはっきりと姿をとり始めた。
真っ赤に爛々と光る眼、耳まで裂けた巨大な口。その隙間から見えるぎっしりと並ぶ鋭い牙。
が、獣のような顔を持つそれの体はというと、黒い剛毛で覆われてはいるが、まるで人のように二本足で立っていた。
「ずいぶんと手の込んだ式だな」
晴明の目もまた冷静だ。
「おまけにかなり年季が入ってる。まとった霊気のなんと禍々しいことよ。これまでにどれだけのものを食らってきたやら、わかったものではないな。」
片眉を上げて犬神が言った。
「どうやら古い御幣人形をどこかで手に入れたとみえる」
晴明の目が霧麻呂の手の中にあるぼろきれに向いた。
「御幣人形?霧麻呂さんが持ってるあのぼろっちい紙きれのことか?」
博雅もそっちを見る。
「そう。知らないものにはただのぼろきれにしかみえないだろうが…。それにしてもよく残っていたものだ。かなり古いだろうに」
「どこぞの古い社にでもあったのを見つけたんだろうな。」
と、犬神。
「…それとも、呼ばれたか」
と、今度は晴明。
「ああ、なるほどな。陰陽道をヘタにかじってておまけにあの馬鹿さかげんだ。さぞかしオイシイ匂いがしたことだろうさ。」
フフンと犬神が笑う。

「でも、こんなにでっかいヤツを霧麻呂さんがもっていたなんて…、まったく気づかなかった」
目の前でゆらゆらとゆれる巨大な影に眉を顰める博雅。自分だけならともかくも、あの晴明ですら気づかなかったなんて。
「こいつは本来ならば意思など持たぬ式にすぎませんからね。怨みに固まった怨霊とも本能だけの妖しとも違う。じっとしていれば誰も、たとえ、晴明といえど気づきませんよ。ましてや、あそこにはその両方がいた。その気配に隠れてますます見えにくくなっていたというところでしょう」
犬神が説明してくれた。
「…気にいらないね」
晴明の目がすうっと細くなる。
どうやら陰陽師としてのプライドに触れたらしい。
 
「なな、なにをゴチャゴチャ言っているんだっ。おまえらっ!!わ、わたしが今からお前たちを呪い殺してくれるというのに、す、すすっ少しは怖がれっっ!」
霧麻呂が無視されてヒステリックに声を上げた。
「おい、なんか言ってるぞ、晴明。でも、こいつに説明してやらなくっていいのか?」
にやにやと笑って犬神が晴明を促す。その鋭い目が大きな黒い影のような式を見上げた。
意思など持たない筈のそいつがピクッとその視線に反応した。巨大な顔がゆっくりと振り向き、真っ赤な目が犬神を見下ろす。
「せ、説明だって??いったい、何を言ってるのだっ…」
命じてもいないのに振り向いた式に、霧麻呂の声に小さな不安が混じる。語尾が震えた。
「おまえ、こいつをどうやって手にいれた?」
式と視線を合わせたまま犬神は聞いた。
「どうやってって…」
手の中の古い御幣人形につい視線を落とす霧麻呂。
その手がガタガタと震えだす。
「う…」
「覚えちゃいない…だろ?」
犬神が低くつぶやく。
「だろうな」
晴明も言った。
 
「呪うもなにも、魂を食われかけてるのはアンタのほうだよ」
さらりと犬神はいった。
「な、なな…なにを…。こ、こここれは私の式…」」
ブルブルと激しく震える霧麻呂。手にしたぼろぎれから目が離せない。
「式ね。まあ、こいつは確かに式…だった。」
「だった?」
晴明の言葉にハッとする博雅。
「それではまるで今はそうじゃないみたいじゃないか…」
 
グルルル…
 
喉の奥でうなる獣の声。
 
大きな黒い獣の影がさらに大きく膨れ上がる。 
「こいつをもう式とは言わないだろうな。それこそはじめは紙切れ一枚の式だっただろうさ。だが、長い年月の間にあるじを失い、誰からも忘れられ放って置かれてついに意思をもった…といったところだな。下手に力がある分、そこらの妖しよりタチ悪いかもな」
犬神が車に預けていた背中を伸ばした。
「うっ、うるさいっ!おま、おまえら何を言っておるのだっ!これは我が式っ!わ、わわわ私の手となり足となるものだっ!」
霧麻呂が何もかもを振り切るように声を大きくして言った。
「霧麻呂さん、こいつはそんなじゃ…」
「う、ううううるさいいっっ!!」
忠告しようとする博雅を振り切って金きり声をあげた。
「やれっ!式王子よっ、このやかましい連中をやってしまえっっ!!」
博雅たちに向って震える指を突きつける。
 
ググォオオオオオッ!
 
地響きのような声を吐いて、光るまなこをガッと開き式が晴明たちをねめつける。その視線の先が晴明ただひとりに向かう。
長い爪の生えた丸太のように太い毛むくじゃらの両手が翼のように広げられた。
「どうやら、おぬしの正体を知っているようだな」
晴明に目をやって、犬神が言う。
「え?どういうことです?」
と、博雅。
「晴明が陰陽師だと知っているのですよ、こいつは。」
化け物のような式王子に親指の先をクイと向けて犬神が言った。
「そんなことがわかるのですか?」
「ああ、こいつらの本当の主だからな、飼い主を知らない犬などいないだろ?」
「まさか、昔、晴明が作った式だとか?」
「いや、そういうことではない。こいつに分かるのは自分を本当に操る能力がこの男にはあるということさ、こいつにとっちゃ自由を奪う飼い主が本当に現れたようなものだろう。」
ガアアッと牙をむく式に犬神はにやっと笑う。
「あせるだろうさなあ」
笑う犬神に向ってグルグルと牙をむきだす式。
「おっと、待て待て。おまえを相手にしてくれるのはあっちだ、間違えるなよ」
晴明を指差して犬神は言う。
「い、犬神どの!」
味方してくれるのかと思えば、そんなことを言う犬神に博雅は驚く。
「悪いな、博雅どの、俺らは人間どもの争いには関わらぬことになっているのでな」
「でも、私には太刀を貸してくれたでないですか」
「あれは例外中の例外、博雅どのだけだよ」
ゆるいウェーブのかかった髪を揺らして犬神はめったに見せない優しい笑みを見せた。
その様子に今まで黙っていた晴明が
「…そういうことですか」
と、柳眉をわずかに上げて言った。
「そういうことなら、こっちはさっさと終わらせたほうがよさそうだ。」
晴明はそういうと、うなり声を上げて威嚇する式王子を見上げた。
「どれほど放っておかれたのかは知らぬが、式神ごときがあるじに歯向かうなど己の立場を忘れるにもほどがある。」
その手に印が結ばれる。
指が空を切り、九字を切った。
グガアアアッッ!!
式が牙を剥き晴明に襲いかかる。真っ黒な両手が、まるで雪崩れかかる闇のようだ。
「せ、晴明っ!!」
博雅が叫ぶ。が、襲い来る式に晴明は一歩も譲らない。
「己の分をわきまえよ」
静かな晴明の声とともにその背を覆うように金色の影が立ち上がった。暗い夜を背景に金色に燃える式よりも巨大な影。
「おおっ!」
今度は驚嘆の声が博雅より上がる。
「な、ななな…」
霧麻呂も目を真円に見開いて口をポカンとあけて見上げた。
「ほう、やるなあ」
ひゅうと口笛を吹いて犬神が言った。
晴明を食らわんと、耳まで裂けるほどにカッと口を開いて飛び掛る式に向かって、その金の影が跳躍した。
グギャアアアッ!
ガウッッ!
二匹の巨大な獣が互いに牙を剥き、吼え、噛みつき、互いの体に剣よりも鋭い爪を立てる。
真っ黒な邪悪な影のようないざなぎの式神と、晴明の出した金色の式神。
しなる鞭のような敏捷な体が黄金色に輝く。ふさふさとした金の体毛が怒りに毛羽立っているそれは巨大な狼の姿をしていた。黒曜に輝く瞳が闘志に燃えている。
その強い鋼を思わせる爪が式王子の体に食い込み、ザッと斬り下ろす。
ギャインンッッ!
犬のような悲鳴を上げて式王子が晴明の狼から飛び退った。
「あっ!」
霧麻呂が声を上げる。見れば手の中の御幣人形がちりちりと裂けてゆくではないか。
「あっ、ああっ!どうしよう!御幣がっ!」
式に向かって御幣人形を必死に振る。。
洞穴のように真っ黒な式の目が、霧麻呂の持つ自分の本体に向けられた。
グルル…。
のどの奥から低い声。
その目が霧麻呂に向いた。
とたんに霧麻呂が悲痛な声で叫ぶ。
「ぎゃああっ!ひいっ!ひいっ!!」
その手に握り締めた御幣人形の裂け目がすううっと修復されてゆく。が、それを手にした霧麻呂のうす汚れた水干が肩の辺りからばりばりと裂け、その下の生白い体から血が噴出した。さっきまで御幣人形につけられた傷と同じ位置に、人である霧麻呂が血を流し大きな傷を負っているではないか。
「ひいいいっ!痛い痛い痛いっ!」
立っていることもできなくなってゴロゴロと地面を転がって悲鳴を上げる霧麻呂、が、その手から御幣人形が落ちない、いや、離れないのだ。
「霧麻呂さんっ!」
博雅が駆け寄る。
「おっと!危ない、博雅どの!」
霧麻呂の元に駆け寄ろうとする博雅をその腕に絡めとる犬神。
「え?」
驚く博雅のすぐ目の前にドンッ!と式王子の長い尻尾が振り下ろされた、犬神が止めなければ、博雅はその大木のごとき尾の下になっていたはずだった。
「うわ…」
思わず後ずさる博雅。ますます、犬神の腕の奥深く抱え込まれたのにも気づかない。
「ね、危ないでしょ」
耳元に唇を寄せて低い声が囁く。
「はい、びっくりした…でも、あのままじゃ霧麻呂さんが」
「しかたないですよ、あの男はもう契約を結んでしまったようですからね、本人が知ると知るまいと。」
「け、契約?」
「そう、貰う代わりに与える。何事にも対価というものはあるのです。」
「そんな…」
「貰うものが大きければ、払うものもまた大きい。彼に同情する必要はありませんよ。あなたたちを呪い殺してほしいと願ったのはヤツです。それがうまくいけば、あそこで血だらけになって転がっているのは博雅どの、あなただったかもしれない。」
何も言う言葉を無くして、博雅は苦しむ霧麻呂を見つめた。
犬神の言うことは確かにその通りだとは思う。それでも博雅には霧麻呂を可哀相に思う心は止められなかった。
「まったく博雅どのはお優しい。そんなにあっちこっち同情していたら身が持ちませんよ」
耳元に柔らかく響く犬神の声。
「博雅!犬神どのから離れていろ!」
式を操って闘う晴明の険のこもった声が飛ぶ。
その声に、いつのまにか犬神の腕にすっぽりと収まっている自分にハッと気づいて、さすがの博雅もちょっとあわてる。
「あ、あ、あの、犬神どの、ちょ、ちょっと近すぎませんか?」
体に回された腕を解いて犬神から離れようとした。
「おや、こいつは失礼。」
両手をぱっと開いて犬神はにこっと笑って博雅を離した。その目がちらりと晴明を見る。こっちを見つめる晴明の目とバチッとその視線がぶつかる。
「こわいな。まったく」
くすくすと笑うと
「でも、やっぱり危ないですから、こっちへおいでなさいな、博雅どの」
そういうと博雅の腕をひっぱってゆく。
「そんな獰猛な連中の近くにいたら危険危険。」
傷の癒えた式王子が再び晴明の操る金の狼にゴウと吼えながら飛び掛る。博雅と犬神にもう一度、ちらりと視線を向けた晴明がチッと舌打ちしながら印を組みなおす。
ガアアッツ!
金の狼があたりの空気を震わすほどの吼え声を上げて、式王子を迎え撃つ。
再び掴みあう二匹の式神。
「でかい声だ。耳が痛くなるよ」
犬神の言った一言に博雅がハッとする。
「あ、まずい、まずいです。こんな派手なことやってたら誰かに気づかれてしまう。」
さっきのように狭い教室でのことではない。少し歩いたところにはまだ、テレビの連中だっているはずだ。
「犬神どの、まずいです。何とかなりませんか」
あわてる博雅に犬神はにっこりと笑みを返した。
「ご心配なく。この周りだけはしっかり結界を張ってあります。ほかの人間に気づかれることはないです。」
「ほ、ほんとに?ああ、よかった。でも、いったいいつの間に…」
「あなたに迷惑がかかるようなことを俺がするわけ無いでしょう?」
そう犬神は言って博雅に微笑んだ。
「離れろって言ってるだろうが…」
晴明は博雅にまとわりつく犬神にその目をくっと細めた。太刀を貸すなど博雅に近づくための手段に過ぎないとはわかっていたが、その真意のほどまではわからなかった。
が、あの様子を見れば全てではなくとも、その真意の一端はわかるというものだ。
「おまえなどより、あっちのほうがおおごとだ。」
言葉を発するほどの知恵もない式王子を、その冷たい怒りに光る目が捉える。
式を操りながらもジャケットの内ポケットに手を入れると、そこから一枚の呪符を取り出す。
「おまえなど、いくら引き裂いてもあの志士の骸と同じだ。…おまえの本体を撃つ。」
そういうと晴明の手が苦しんでのたうつ霧麻呂に向って呪符を放った。
シュンッ!
空を斬って呪符が飛ぶ。
その呪符が鋭い刃物のように霧麻呂の手首から先を呪符ごと斬り落とした。
「ぎやああああっっ!!」
霧麻呂の悲鳴が高く上がる。
血の噴出す手首を押さえて霧麻呂が泣き叫ぶ。
「ひいいっ!痛い痛い痛い痛いっっ!!」
「き、霧麻呂さんっ!」
犬神を押しのけて博雅がその元に走り出す。
「あ〜あ。逃げられたよ。残念だねえ」
空になった腕の中を見下ろして犬神は残念そうにつぶやいた。
「残念で結構」
晴明の声が冷たく返した。

「だ、大丈夫ですかっ!霧麻呂さんっ!」
博雅が自分の上着を脱ぎ捨てて、暴れる霧麻呂の手に巻きつける。あっというまにその服が血に染まってゆく。
「晴明っ!」
博雅が助けを求めるように晴明を見る。
「大丈夫、手の一本や二本なくなったって死にゃあしませんよ。それに、ほら。」
悠々と博雅に歩み寄ると、犬神は切り落とされて地面に転がる霧麻呂の手を指した。
「…う」
そちらに目を向けた博雅の表情が一瞬、固まった。
斬り落ちた手が、まるでそれでひとつの生き物のように蠢いているのである。斬られたところから生々しく血が滴り、地面にどす黒く染み込んでゆく。その黒い染みがまるで道のように地面に細く筋を作っていた。
地べたに爪を立て、じりじりと霧麻呂に向って這う手。
「これは、いったい…」
それに良く見ると、手に張り付いていたはずの御幣人形の姿が見えない。
「人型は?」
「まだその手の中にありますよ。まさしく手の中、にね」
犬神はそう言うと、這う手をつま先でひっくり返した。
「え…、あ!」
驚く博雅。
確かにまだその手の中に御幣人形はあった。
その端が見えているから間違いはない。
が…、その残りは柔らかい手の平の皮膚の下に透けて見えていた。
「中、って…」
博雅は言葉もない。腕を押さえてひいひいと悲鳴を上げていた霧麻呂ですら、それに目を奪われて青かった顔がさらに蒼白になっている。
「手ぐらいでよかったと思うよ、俺は。放っておけば体まるごと依り代にさせられるところだ。きっと、こいつは今までもそうやってきたんだろう。」
つま先で、元のようにひっくり返ろうとうごめく手をツンツンとつつく犬神。
「まるで蜘蛛のようにじっと餌がかかるのを待ち、捕まえたが最後、骨まで食らう。頭は悪そうだが悪知恵には不自由しなかったようだな」
そう言うと、這う手をその靴のかかとでぎりっと踏みつけた。手の平がビクビクと引きつける様に蠢く。
「宿り主のところに戻ろうと必死だな。」
犬神が笑う。
「それから、こいつもな」
ガウッと犬神の背後に飛び掛る式王子、その鼻先に犬神の拳がめり込む。
ギャインンッッ!!
背中を丸めて式王子が飛びのく。それを晴明の式が動けぬように二本の前足で押さえつける。
犬神が這いずる手を踏んでいた足をどけた。
地面にべたりと潰れて広がる手、犬神に踏まれて変な形に折れ曲がった指がピクッピクッと引きつける様に蠢く。
もう自力で這いずることなどできそうにないその手の血の滲む切り口から、ウゴウゴと気味の悪い触手のような筋が這い出てくる。
「うわっ!なんだ、これ!?」
博雅が気味悪そうな声を上げた。
「なんとまあ、しつこいヤツだね。」
犬神が呆れた。
蛇のようにも、蚯蚓のようにも見える黒い筋のごとき触手が、霧麻呂の方へと向かって伸びる。
「ひいっ!嫌だっ!!寄るなっっ!!」
長く伸びて今にも自分に絡みつきそうなそれに、霧麻呂の悲鳴が上がる
「寄るなっ!あっち、いけっっ!!」

ダンッ!

ギイイイイイイイイイッッ!!

晴明の手から博雅が持っていた太刀が投げられて、蠢く手を地面に縫いとめた。同時に晴明の式に押さえられた式王子が断末魔の悲鳴を上げて天に向かって咆哮した。
しゅうしゅうとこの世のものとも思えぬ腐臭を放ち、見る見るうちに手がどす黒い紫色に変色し、ただれ腐ってゆく。腐った肉がぼとりぼとりと泥のように落ちて、中から白い骨が現れる。が、肉がすっかり落ちてしまうと、今度はその骨が茶色く変色し、ぼろぼろと崩れ落ちていった。
そして、式王子自身もまさにその手と同じ最後を辿っていた。苦しげに身もだえしながらも、腐れ落ちる自分の体をどうすることもできない。剛毛の覆われた肉塊が、ぼとぼとぼと、とまるで土くれのようにその身からこそげ落ちていった。

ギヤアアアアァァ……

半分以上、肉のはげ落ちたその巨大な顔を天に向けて、悲鳴のようにあがる咆哮。片方だけ残った目が肉塊とともにどろりと崩れ落ちる。

グ…ガ…ガ…ガ……ガ………

最後はその巨大な骨格が、雪崩のように一気に崩れ落ちた。
腐った肉の山と化した式王子の体が紫の炎を上げて発火する。めらめらと燃えあがる炎。
最後に残ったのは犬神の太刀に縫いとめられたぼろぼろの御幣人形だけとなった。
歩み寄りサクッと御幣人形ごと太刀を抜く晴明。
燃え上がる炎に刀をかざす。
薄っぺらな古い御幣人形に炎が移るのはあっというまである。どれほどの時を越えてきたであろう式神が、今、この世からようやく姿を消していった。
「式を使いっぱなしにしていった、どこぞの陰陽師もこれで浮かばれるな」
炎をみつめて犬神が言った。
「いい迷惑ですがね。」
すっ、と犬神に太刀を差し出す晴明。
「なんだ?」
「お返しいたします」
「なんでだ。博雅どのは何も言っておらぬぞ」
霧麻呂の介抱をしていてこっちを見ていない博雅をちらりと見て、犬神は言った。
「必要ないからです」
「はは。ばかな。毎回こんなものに巻き込まれるあのお方は、これぐらい持っていたほうがよかろうよ」
犬神は受け取らない。
「あなたの刀だというのがどうもね」
「なんだ、嫉妬か?」
「違いますよ。ま、それもなくはないですが。…なにか裏を感じますので」
晴明の目が、ついと細められた。
「裏などない…って、言っても信じないか」
やれやれ、これだから鋭すぎる人間ってやつは、と犬神が肩をすくめた。
燃えるような金の瞳、にこやかに見えたはずのその瞳は、今、本来の神としての力を現して光る。
「その太刀は俺のいわば分身だ。」
「知ってます。どうせ私たちを見張るのが目的でしょう?」
「なんだ。わかってるではないか。なら、何も説明などいらないだろう?」
「わからないのは、なぜ、我々が見張られなければならないのか、ということです。私は何もしていませんよ」
「よく言う」
犬神は呆れたように笑った。
「ぬしらは二人揃ってからというもの、妖し退治はもとより、今日みたいに妖しに追加して怨霊の除霊やら、その活躍というか、行動は逐一俺らのところに届いてくる。そこまではまだよかった。妖しも怨霊も人の領域だからな。だが、先日のことはまずかった。」
「先日?」
「ぬしらは越えてはならない時を越えた。それは本来ならば神にしか許されぬ領域。侵しがたい神分だ。」
「ああ、あれ」
犬神の言葉に晴明はなるほどね、とうなずいた。
「簡単に言うなあ。だが、この間のことは博雅どのの笛の件もあって、あえて不問にすると天界は決められた。ただし、ぬしらがまた神分を越えることのなきように、お目付け役をつけることに決まったのだ。そいつがこの俺、というわけだ。」
「神…ですか。」
なんて面倒な存在だ。
「まあな」
大神がにやっと笑う。その唇の端に鋭い牙が光る。
「で、こいつがその追跡装置というわけですか」
手にした太刀を見下ろす。
「そういうことだ」
「では、やっぱり返します。」
犬神に太刀をつき返す晴明。
「じゃあ、そうですか、と監視装置もらう馬鹿などいませんからね」
「博雅どのが怒らないかな」
ちらっと博雅を振り向く。
「ちゃんと話をしておきますから」
「さっきのことも言うのか」
神の領域に関わったなどと博雅には知らせたくない、あのまじめな男はさぞ、気に病むであろう。
「言いませんよ。あれにこれ以上、心配かけさせたくないですからね」
「お優しい恋人だな」
「当たり前です。」
太刀を受け取る犬神。
「まあ、お目付け役に俺を選んだ時点でこれは天界のミスだと俺は思うがな」
緩やかな髪のウェーブの間にきらめく金の瞳に今度こそ本当に笑いが浮かんだ。
「俺にとっちゃいい暇つぶしだし、時の狭間でもまた越えない限り、天もなんにも言うまいよ。そうだなあ、強いて見張るとすれば…博雅どのがおまえにぶっ壊されないように監視しとくぐらいかなあ」
くくっと笑って大神がいう。
「ほっとくと壊す寸前までヤル男だからな、おぬしは」
晴明は心の底から嫌そうな顔をして返した。
「そこまで愚かではありませんよ。まったくもって、余計なお世話です」
「とりあえずこいつは受け取っておく。博雅どのには適当に言い訳しといてくれ。ただし、俺を悪者にするなよ、晴明。」
晴明から返してもらった刀を手に、ニヤと笑う犬神。
「ついでにここもちゃんと収めておけよ。俺は人の世には関わりたくないからな。」
そう言ってこの場を去ろうとする犬神を、晴明が引き止めた。
「おや、犬神どの、それはないでしょう?あなたも随分関わったじゃないですか。せめて、手の一本ぐらいサービスしていっていただけませんかね」
顔面蒼白の霧麻呂に視線をやる晴明。
「なんだ晴明、おまえ、あんなのに同情するのか」
「あのような者に同情する気など、さらさらありませんが、このままだと博雅に迷惑がかかります。あなたも神に属するお方なら、あのような者の手の一本や二本なんとかなるでしょう?博雅のためと思ってなんとかしていってください」
霧麻呂に対する同情など、欠片も見せずに晴明は言った。
「おまえ、もしかしたら、最初からそのつもりでアイツの腕を切り落としたな?」
俺の足元見やがって、と犬神はぶつぶつと文句を言ったが。確かにいくら結界を張っていたとはいえ、手首から先が落ちるなどというのは人間にとっては大変なことだ。博雅に迷惑がかからないとは限らない。
「…ったく。大概、おまえは策士だよ」
そう言って肩をすくめると、犬神は博雅たちのほうへと歩み寄った。
 
「博雅どの。」
「犬神どの。」
呼ばれて、ぶるぶると震える霧麻呂を支えていた博雅が顔を上げた。
「大分、汚れちまったな」
血が飛んだ博雅の服を指さす犬神。
「ああ、しょうがないですよ。それよりこの人を病院につれていかないと。出血がひどくて、このままじゃショック症状を起こして危ない」
「ショック症状ねえ。人間ってのは面倒だな。妖しなら手の一本や二本、取られたって走って逃げてくけどなあ。でも、その前にそいつ、精神状態のほうがショック症状とやらじゃないのか」
がちがちと歯をかみ鳴らし、じっと一点を見つめて顔も上げない霧麻呂を見下ろした。自分の手首が化け物のように自分に襲いかかってきたのだ、普通の人間なら、そりゃあショックも受けるというものだ。
「ええ…なんだか呼びかけても、まともな返事が返ってこなくって…。大丈夫かな…」
不安げに、博雅は霧麻呂の眼前で手のひらをひらひらと振った。
一点を凝視した霧麻呂の目は、それすら追わない。
「やばいなあ」
困ったように言う博雅。こんなヤツ、放っといて帰ればいいものを、責任感の強い博雅がそんなことをする気配はない。
「ふむ、確かに晴明の言うとおりだな。ここは手を貸すか」
手を貸すっていうのもなあ、と一人ウケる犬神。
「??」
くすくすと笑う犬神に、博雅はきょとんとした顔を上げた。
「医者などゆかなくても大丈夫。俺がそいつの手をなんとかしよう。」
「え?」
まだ少し笑いながら犬神の手が霧麻呂の頭の上辺りに広げられた。
「失われし枝の先よ、もう一度、芽吹け」
小さく厳かな声で命じた。
「…ひっ!」
博雅の上着にくるまれた手首を、無事なほうの手で掴んで、霧麻呂が怯えたような小さな悲鳴を上げた。
「ひっ!…ひっ!!…ひっ…!!!」
その悲鳴が一段階づつ上がってゆく。
「ひいいっ!嫌だ嫌だ!!」
その悲鳴が頂点に達した。
腕を目いっぱい伸ばして上着に包まれた手をブンブンと振り回す霧麻呂。
「まあ、体の中がかなり気持ち悪いだろうが、少し我慢しろよ。何しろ俺は山神だ。桜の木の枝を再生するすべとかしか知らないものでな」
振り回されて、霧麻呂の腕の先に巻かれてあった博雅の上着がすべり落ちた。
「ぎやあああっ!」
霧麻呂の精神が完全におかしくなったとしか思えない悲鳴が響く。
 
めきょ…めきょ…
 
不気味な音を立てて、切り落ちた手首の断面から指が一本づつ生え始めていた。
血にまみれた肉塊が搾り出すようにぶくっと盛り上がり、指の形を成してゆく。見ているだけで、すさまじく不気味な光景であった。
ましてやそれが、自身の腕の先で生々しい感触とともに感じられるのだ。いくら腕が再生すると言われても、気味が悪いこと、この上ない。おまけに何も無いところから作るわけでないので、体の中から再生する指の分だけ色んなものが引っ張られてくる。肉と、それに伴う神経や血管。それらが体の中をずるずると移動する。
痛みと、体の中を無数の蟲が這うような感覚。
既におかしくなり始めていた霧麻呂にとっては、許容範囲を超えた事態であった。
 
「ひ…ひ…ひひひひっ!」
悲鳴ではない甲高い声を上げて、霧麻呂は突如笑い出した。ついに精神が崩壊したのだ。
「だ、大丈夫…うわっ!」
思わず声をかける博雅をドンッ!と突き飛ばして霧麻呂は駆け出した。
「ひゃははははっ!ひーひひひひっ!!」
まるで踊ってでもいるようにピョンピョンと、妙に体を飛び跳ねる。ぼろぼろに薄汚れた水干の垂れを引きずって、笑いながら霧麻呂は夜の闇に走り去った。
「き、霧麻呂さんっ!!」
あわてて後を追おうとする博雅を晴明が止める。
「いい加減にしておけ。博雅。」
「で、でも…」
「これ以上関わるな。」
「俺もそう思うな。今宵はこれぐらいにしておいたほうがいい。とりあえず、あいつの手は再生する。放っといても命に別状はない。」
晴明の言葉を受けて犬神も言った。
「もう今夜は十分だ。」
これ以上のごたごたはごめんだ、と晴明の目が言っている。
「妖しに、亡霊に、にせ陰陽師に式神。オールスターだもんなあ」
くすくすと犬神が笑う。
「おまけに山神。」
晴明が付け足す。
「なんだ、俺もそっちの部類扱いかよ」
「似たようなものです。あなたも、とっとと帰ってください」
しっしっ、と、晴明は手を振る。
「ひでえなあ。昔、俺にあれほど世話になったくせに、おまえ冷たかないか?」
「なんのことでしょうか。若い私には、そんな昔のことなど全然わかりませんが。」
「聞いたかい、博雅どの?」
そらとぼける晴明を指差して、犬神は博雅に訴えた。
「はあ」
「昔のことだってよ。こいつは俺がジジイだと言いたいんだぜ!」
「いや、そんなことは…」
フォローする博雅の声に晴明の声が重なる。
「どれほど生きてるのかもわからないんですから、年寄りには違いないでしょう。お年寄りはとっとと山に帰って、日向ぼっこでもしてればいいんです」
「だ、誰が年寄りだっ!」
どこから見たってナイスガイだろうが、と言う犬神に、今時、ナイスガイなんて死語もいいとこです。と、ばっさり切り捨てる晴明。
先ほどまで、式王子や霧麻呂などを冷静にさばいていた二人と、同一人物と思えないほどに大人気ない晴明と犬神に、思わず呆れる博雅。
「フフン」
柔和な表情はどこへやら。髪を逆立てる犬神と、その白い鼻をツンと天に向けて冷笑する晴明。
「ちょ。ちょっと、晴明、犬神どの…あ、あれ??」
二人の間に割って入ろうとした博雅、急にごしごしと目をこすった。
 
見間違いか???
 
二人の背後になにかの影が見えた気が…。
 
ゴシゴシ。
 
やっぱり見える…。
 
もう一度、目をこすってみても、やっぱりそれは見えた。
 
犬神のうしろに、鼻先に皺を寄せて牙を剥きだしうなる、金色に輝く狼。
 
そして。
晴明の背後に浮かび上がる大きな影は…。
 
金の狼を氷のように冷たいアイスブルーの瞳で睨み返す

…真っ白な狐。
 
いやいや。これは幻覚。…そうに決まっている
 
きっと。
 
 
               終。



ようやく最後までうpできました。ほっ…。





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