「蘇る金狼」




「なんだ、あの騒ぎ?」
一人の生徒の声に源先生こと博雅は教科書を手にしたまま窓の方を振り向いた。
窓の外から聞こえる物音に教室中の生徒がいっせいにざわめき始める。窓際の生徒が大きな声で外の様子を皆に伝えた。
「うわっ!テレビ局じゃん!」
「えっ!マジ!?」
「おほっ!すっげ〜!」
あっという間に窓は生徒で鈴なりになった。
「おいおい、まだ授業中だぞ」
言いながら博雅も生徒の頭上から外を見た。
何人かのテレビクルーに囲まれてバラエティにもよく出ているアイドルグループの歌手がどうやら何かのリポートをしている様子。
そのすぐそばに白い昔風の装束にみを包んだ人物がひとり。
よく見れば烏帽子に白い水干。

晴明???

思わず博雅も授業をそっちのけで目を凝らした。

でも、よく見れば勿論それは晴明とは似てもぬつかぬ他の人間だった。
装束こそ昔の晴明を思わせるような格好ではあったが、衣を着ているというよりは着られていると言ったほうが近いような。
まっしろに(多分)塗りたくられた顔に気味が悪いほど赤く塗られた唇。遠目にはその顔立ちまでははっきりとはわからないが、とにかく晴明とはまったく違っていた。

ほっ…。よかった。まあ、晴明がこんなところであんな格好をしているわけがないものな。

「さあさあ。みんな席に戻って!きっと何かの撮影だろうけどこっちはまだ授業終わってないぞ〜!」
ほっと胸をなでおろして博雅は外の騒ぎに背を向けた。
「ええ〜〜〜!センセのけちぃ〜〜!」
生徒の一斉のブーイングにもめげずに博雅は授業を再開したのだった。


「源先生。聞きました?」
「は?なにを?」
授業を終えて職員室に戻ってきた博雅に英語教諭の木下が声をかけた。前々から博雅に気にあるこの教師はなにかというと博雅に話しかけてくる。今日も聞き及んだばかりの話をこれチャンスとばかりに博雅に話にきたのだった。
「さっきの校庭にいたテレビの撮影のことですよ」
「ああ。なんかいましたねえ」
さっきの光景を思い出して博雅が言った。
「なんでも旧校舎に来たらしいですよ」
「旧校舎?」
博雅の勤務するこの学校はこの地区でも戦前からある古い伝統校である。戦後になって新しく新校舎をたてたのだが古い建物で歴史的価値もあるからと古い校舎はそのまま壊されずに残っている。近いうちにその校舎を補強して歴史的建造物とかで一般公開するという話だ。
「なんでも町のガイドマップに載せて一般公開するとかきいてましたけど?」
博雅がそういうと
「そうそう。でも、なかなか工事進まないじゃないですか。それってなんでだか知ってます?」
「いや。工事が進んでないってことすら知らなかったです。」
「あら。じゃあ教えてあげますわ。」
木下教諭はに〜っこりと微笑んだ。よっぽど博雅と話が弾むのがうれしいらしい。
「あの旧校舎…出るんですって…」
自分で言って
「きゃあん!こわ〜いっ!!」
と、博雅の腕にべったりとすがって震えて見せた。
「き、木下先生…自分で言ってなに怖がってんですか」
博雅はははと呆れたように笑ってすがりつく腕をべりっとはがした。
「チッ…」
木下教諭は小さく舌打ちをして離れた。(女は怖い)
「は?今、何か仰いました?」
「うっ…!お、おほほっ!あら、ごめんなさ〜い、つい怖くなっちゃってぇ。」
「はは、でも出るって…幽霊かなにかですか?」
木下教諭の甲高い笑い声に一瞬引いた博雅、なんとなく気になって話の続きを促した
「ええ。なんでもあそこで工事をするたびにいろんな怪奇現象が起こるんですって。誰もいないのに急にドアが閉まって出られなくなったり、どこからともなく子供の泣き声がしたり…。」
「へえ、そりゃ怖そうですね。でも、それとさっきのテレビ局とどんな関係が?」

高校なのにこどもの泣き声だって?この学校は旧制学校の時代からそんな子供の学校だったことなんかないはずだぞ。

へんな話だなと思いながらも話の続きを促した。
「今はやりの霊媒師?のなんとか丸とか言う人が怨霊退治に来たんですよ。」
「違うよ、木下先生。霊媒師じゃなくって陰陽師。平成の陰陽師、安倍霧麻呂だよ。」
ひとつ置いた席の社会科の教師が口を挟んだ。
「えっ?お、陰陽師??」
さすがに博雅は少しばかり驚いた。
「いやだな、源先生、テレビ見てないんですか?最近やたらテレビに出てるじゃないですか〜。平成に蘇った伝説の陰陽師安倍晴明の再来!安倍霧麻呂!って。たしかこの間もどこかで怨霊払いの特番やってましたよ。」
「晴明…???」
おもわずぽかんと口の開いた博雅のそばで社会科の教師がひとりわけ知り顔でうなずく。
「何年かに一度の割でそーいう怪しいのが出てくるんだよねえ」
「ま、それでもあのいかにも出そうな旧校舎のお払いしてくれればそれに越したことはないですよ〜。うちのガッコのPRにもなるしねえ」
いつの間にか加わった英語の教諭もうなずいた。
何人かの教師がいつの間にやら博雅の周りに集まってその話題に盛り上がる。その真ん中で博雅は少々複雑な心境でいた。

晴明の再来だって…。

なにやら嫌な予感がしないでもないが、本物の晴明にはおまえはいつだってトラブルに巻き込まれるなどと散々言われてもいることだし、ここは触らぬ神にたたりなし、と博雅は今のこの話には関わらぬことと決めた。

まあ、どうせテレビ局が勝手にやってゆくことだし、俺には関係ないだろうけどな。

そんな風に楽観していた。
テレビの撮影はさっき終わったはずだし安心もしていたのだった。




「なのになんで、俺はここにいるんだよ…」
すっかりと夜も更けた旧校舎のおどろおどろしい雰囲気の教室の中で、博雅はがっくりと肩を落とした。
「すいません、そこの先生、声出さないでもらえます?マイク高性能なんで拾っちゃうんですよね〜。困るんだけど〜」
すぐそばのディレクターとやらがじろりと博雅を睨みあげた。
「あ…すいません」
なんで俺が謝んなくっちゃいけないんだよっ!と心の中で毒づく。
今日は晴明と久々に二人でゆっくり月見酒プラスらぶらぶ、と思っていたのに。校長の鶴の一声で全部ぱあだ。

「わが校の建物で撮影をするというのにうちの関係者が一人も立ち会わないというのはまずいだろう。誰かこの撮影に同行しなさい。」
博雅たちが職員室でわいわいと話していたとき、そこに校長が現れて博雅たちの話を聞きつけて急に言い出したのだ。大体において名門校のわりに、後先あんまり考えないタイプの校長、学校のいい宣伝になると撮影をほいほい承知したはいいが、皆が思った以上に騒いでいるのを見て急に不安になったらしい。誰か撮影に立ち会えと言い出した。博雅の周りでわいわいと騒いでいた教師たちがクモの子を散らすようにいなくなる。残ったのは元から自分の席に座っていた博雅と隣の木下教諭だけになった。
「む。なんと皆の逃げ足の速いこと…。仕方がない、源先生と木下先生、二人今日の夜の撮影にわが校の責任者として立ち会ってください。」
逃げ去ったほかの教師に苦い顔を向けた後博雅と木下y教諭にむかって校長は命令を下したのだった。
「え?え?僕らが?っていうかもう撮影終わったんでしょう?校長??」
あわてる博雅。
「い〜え。さっきのはなんでも下見だそうです。本格的な撮影は今夜です。ふたりともわが校のためにしっかり監視してくださいよ。」
「きゃっ!」
「げっ!」
博雅と一緒にいられると両手を目の前で組んで小躍りする木下の隣で、博雅はかえるのつぶれたような声を上げた。



あ〜あ。今頃、晴明帰ってきてるよなあ。あれは機嫌悪くなると大変なんだよ…まったく、カンベンしてくれよ…。

暗い教室の中でアイドルタレントのMCで撮影をしているインチキくさい陰陽師を見つめて博雅は心のなかでつぶやく。

「うっわ〜、なんかヤバイ雰囲気のところだなあ。霧麻呂さん、ここってやっぱりなんかいますか?」
軽いノリでアイドルがマイクにむかって、ありきたりなセリフをはく。
「はい…いますね。私には見えます。あなたの後ろのその机に悲しい顔の少年が座っています…」
暗闇の中でも浮き上がって見えるほど白く塗りたくられた不気味な顔で、にやりと笑う霧麻呂。笑うと顔のおしろいに線が入るように皺が刻まれた。
「ひやっ!!マジですかっっ!!」
アイドルが背後に目をやってあわててそこから飛びのく。
「ふっふっふっ。大丈夫ですよ。私のように修行を積んだ陰陽師にこの霊がかなうわけがありません。」
「さ、さすがですね」
こわごわお辺りを見回してアイドルが答えた。
その様子に博雅は大きなため息が出そうなのをぐっとこらえた。

こんなもののために俺の大事な時間が削られてんのか…。

博雅が思うのも、もっともであった。なにしろ、ここには何もいないのだから。晴明のような特別な力など持っていないが、博雅にだって妖しの類いぐらい見ることはできる。その博雅に何も見えないのだから少年の霊などいるはずもないのだ。
博雅のがっくりしたことなど、もちろん関係なしに撮影は進んでゆく。きゃあ、こわ〜いなどと大げさに震えて博雅の腕にびったりと張り付く木下の胸が、博雅の腕を必要以上にぐいぐいと押してくるのにも辟易しながら、博雅は、とにかくこの茶番劇が早くおわるのを待っていた。
うそ臭い陰陽師の霧麻呂が、博雅も何度か見たことのある九字を切る。指先に榊の葉らしきものを挟んでいかにもそれっぽく手先をシュシュッと動かすのだが、博雅から見るとそれでなにか特別なことが起こるわけでもないことは手に取るようにわかる。この場の除霊や浄化などももってのほかだ。むしろ…。

何もしないほうがいいんじゃないか…。

九字を切る霧麻呂を見て、博雅はむしろ、さっきより心配になってきた。博雅の目が何もない暗闇の天井に向く。

へたな術は何もしないよりタチが悪い…晴明が言っていたな、確か…。

ギシッ…と嫌な音を立てる天井に博雅の端正な表情が暗くなった。

そんな博雅の様子にもちろん誰も気づくはずもなく、「蘇った伝説の陰陽師、京の闇を斬る!」と派手なタイトルの撮影は順調に進んでいった…らしい。博雅には姿も見えない少年の霊とやらを霧麻呂は苦労して除霊しているので。

「ここはおまえのいるべきところではない!私の導きにそって天へと昇華するがよい!オンバザラタラ…」
まるで霊が見えているかのように真言を唱える霧麻呂。本人は怪しいこと限りなしだがそれでも結ぶ九字と真言は間違いなく本物だ。いもしないものをやっつけることはできないが、その真言を耳にするものはいるのだ。そしてそれは妖しと呼ばれるものにとっては、とても無視できるものではない。霧麻呂の力ではない真言の持つ力、それが相手も見極めず垂れ流しになっている。しかもこんなところで。

この場を荒らしすぎだ。これでは寝た子を起こすようなものだぞ。

もう一度ギシリときしむ音を立てる暗闇に沈む天井。

まずいな。

なんとかこのエセ陰陽師をとめなければ、そう博雅が思ったときだった。ライトの届かない暗い教室の天井からズズッ…と逆さまに何かが出てきた。

うわっ…!来た!

博雅はあわててそこから目を逸らす。そいつにこっちが見えていることを知られたらコトだ。

『…俺たちの砦を荒らすのは誰だ…』

低い声が言う。
チラッとそう言ったそいつに目をやる博雅。

あちゃ…志士か…。

こいつは妖しよりマズイ。妖しならば博雅の知ってるヤツもいるし、それなりに対応の仕方もわかるというものだが、志士の霊となると…。
なにしろこの連中は思い込みが激しい。多分鳥羽伏見の戦いあたりの霊だろうなと見当がつく。ここはその古戦場にも近いし。この建物自体は明治になってから建てられたものだがそれでもかなり古いことは古い。こんな霊がここを自分たちの砦と思い込んでとりつくには十分な下地はある。
しかし、天井から睨みつけるそいつに、霧麻呂やテレビのスタッフが気づくふうはなかった。

本当に陰陽師か、こいつ…。

その鈍さにあきれる博雅。と、その陰陽師の霧麻呂が急にくるりとこっちに振り向いた。思わずドキッ!とする。

「君。なにか私に言わなかった?」
「い、いいええ!な、なにもっ!」
思わず両手を前に出してふるふると振った。
「あ、そう。ならいいんだけどね…今肝心なところだから邪魔しないでくれよ」
つんと白い鼻を上に向けて霧麻呂はまた前に向き直った。

…なんつーヤツ。自分のことだけには異様に敏感なんだな…。

そんなに変な霊感があるんならこれに気づけよっ!と、思わず心の中でツッこむ。


ガタンッ!

どこからか大きな音が聞こえた。マイクをにぎりしめたアイドルがヒッ!と短い悲鳴を上げて飛び上がった。博雅にへばりついた木下教諭もさすがにびくっとして本気で博雅の腕にしがみつく。
思わず博雅は天井から志士が落ちたのかと、そっちを見上げた。が、それは血まみれの上半身で天板から逆さにぶら下がっているだけで落ちてはいない。
「案ずることはありません。」
動揺するクルーの間にめいっぱいの威厳を込めて霧麻呂が言った。
「だ、だだだ大丈夫なんですかっ!い、いいい今のお、おお音はっ!??」
カタカタと本気で震えながらアイドルが霧麻呂の近くに身を寄せるようにして聞く。暗いからわからないが顔はきっと紙のように血の気を失っているだろう。
「ふっふっふっ。私に任せておけば大丈夫でございます。今のは私の霊力にこの建物に巣食う悪霊どもが苦しんでのたうっている確たる証拠。私のたっか~い霊力を持ってくればこの悪霊どもの除霊なぞお茶の子さいさいでございますよ。」
そう自信満々に話す霧麻呂の顔は暗闇の中で下から当てられたライトに映えてどっちが悪霊だか、といった具合である。が、いったいこの妙な自信はどこからくるんだ?もしかしてこの天井からぶら下がっているやつとグルだとか??
妖しじみたこの怪しい陰陽師が人ではないとしても以外とおかしくないぞ、と思わず博雅は思いかけるが、人と妖しとの区別ぐらいはつく。やっぱりこの男は間違いなくただの人間。では、いったいこの自信はどこからくるのか?
そう思ったときだった。それまでぶら下がってなにやらブツブツと口の中で言っていただけの志士の霊が動いた。
「あっ!」
博雅は思わず声を上げた。
「しっ!」
テレビのスタッフが博雅を振り向いてうるさいとにらみつけた。
「危ないっ!!」
そのテレビのクルーを引き倒してガバッとかばう。
「な、なにをするっ!!」
台本を片手に顔を上げようとするそいつの頭をもう一回グッと押さえつけた。
「危ないですって!!」
言ったそのすぐ上を志士の刀が横様になぎ払った。テレビスタッフの手に掲げられた台本がスッパリと半分に断ち切られた。
その片割れがその顔の上にバサリと落ちた。
「わっ!プハッ!なんだ??」
自分の顔にかぶさったものを手にしてそれが何かに気づいたとたん悲鳴が上がった。
「わわわっ!!!なんだ、こりゃっ!!」
台本の半分を握り締めてガタガタガタッと震えだす。
「しっ!静かに!このままそっと床をはって外へっ。ほら、木下先生も。」
さすがに怖くなって声もない木下教諭とテレビのクルーに小さな声で言う。博雅たちとこのスタッフ(後で聞いたところによるとこの番組のプロデューサーとかいうそうだ)のところは撮影しているところよりほんの少しだけ離れているところだったせいか、チラッとこっちをみてカメラマンが迷惑そうな顔をしただけで、暗いせいかこっちのどたばたには大して気づいていないようだ。
そうっと見上げると顔面にぱっくりと刀傷のある志士は片目も斬れてつぶれているらしく平衡感覚と視界に問題があるようで伏せた博雅たちに気づかない。おまけに片方の耳も取れかけてぶら下がって役にたっていそうにない。
なるべく物音を立てずにすれば逃げ出せるだろう。ふたりを黙らせ教室の外へと送り出す。すばやい動きできりつけてきた志士だったが霊としては上級とは言いがたいそいつは、まるで夢遊病者か何かのようにひとつのことをやったらしばらくはぼうっとして動かない。たちが悪いといえば悪いが、こちらに余裕を与えてくれるだけマシなほうといえる。
「さっ。早くこのまま外に出てください。」
「せ、先生っ!い、今のな、何ですかっ?」
「さあ、僕もよくわかりませんけどなにか刃物を持った物騒なのがいるみたいです。とにかくここから逃げたほうがいい」
木下教諭にそういった。
「ぶ、物騒なやつって。で、でもまだ中に他のみんながっ!」
「大丈夫…。なんとかみなを外に連れ出します。」
そういってまた中に戻ろうとしたときに教室の外の廊下のところに人がいるのに気がついた。暗い中に目を凝らしてみれば手に音を立てる鳴り物を持っている。
「あれは?」
そう聞く博雅に
「あ。あれは…」
言葉をにごらすプロデューサー。
「もしかして…あれがさっきの音の正体?」
「う。…そうです…」
「やっぱり」

まだ撮影の続きをしている中の様子をちらっと窺って博雅は聞いた。
「では、あの霧麻呂という方は本物の陰陽師ではないのですか?」
「い、いえいえ!そんなことはないです。あいつらに効果音をだせと指示したのは僕たちテレビ局サイドなんです。これはここだけの話にしておいてほしいんですけど…」
何のハプニングもないと、こういう怖がらせる系の番組は視聴率が上がらないんですよ、とプロデューサーは言った。
「このことを霧麻呂さんはご存知なのですか?」
「ええ、一応、了解は取ってあります。そ、それより、さっきのあれはなんだったんですか?」

手にした半分にばっさりと切られた台本をぎうううっと握り締めて、彼は博雅にすがるような目を向けた。
「さっきも言ったように、あそこには刃物を手にした物騒なのが紛れ込んでいたんです…たぶん。」
「でも、僕には何も…いや、誰も…。あなたとそっちの女先生しか僕の近くにはいなかったはず…。そっちの先生は僕らの他に誰か見ました?」
博雅のそばでしきりに後ろを気にしていた木下教諭に聞いた。
「えっ?わ、私?私は暗くってなんにも…。でも、なんだか…ものすごく怖い…」
震える声で彼女が答えた。
「なにか…いるみたい…、気持ち悪い…」
女性のほうがこういった霊の出す念波に敏いのか、彼女は本気で震えていた。
「も、もしかして…ぼ、僕をお、おお襲ったのは…まさか…」
「いやだ…やめてよ…変なこと言わないでくださいっ!」
徐々に興奮してきた二人に、まあまあ落ち着いて、と博雅は手を上げた。
「落ち着いてください。二人とも。あなた方は暗かったからよく見えなかったらしいけれど、僕には見えましたよ。…あなた方二人が気がつかなかっただけであそこには、もう一人ちゃんといました。」
「で、でも、それって、お、お化けとかじゃないの?」
カタカタと震えながら木下教諭が聞いた。
「そんなものではなかったですよ。普通に人間でした。(ま、死んではいましたけどね)とにかくここにいては危険です。二人とも外に出ていてください。あっちの効果音を出している方たちもいっしょにね。」
廊下の向こう側でこっちを不審そうな目で見ているスタッフを指差して、博雅は二人を促した。
「ぼ、僕はこの撮影の責任者です。まだ中にカメラマンやタレントが残っているのに、おかしな奴が一人現れたぐらいで現場を放棄することなどできません!」
血の気を失った顔ながら、気丈にプロデューサーが言った。現場の責任を負うものとしては、なかなか見上げた根性である。それに、タレントの身になにかあったら、それこそお化けどころではなかろう。
「仕方がないな…。では、木下先生はあっちの人たちに説明してとにかく外へ。」
「は…はい。でも、源元先生、大丈夫ですか?」
「僕のことはご心配なく。さ、早く」
「じゃ、じゃあ、外へ出たらすぐに警察に連絡を入れます」
そういって彼女はケータイを握り締めた。
「ああ、警察にはまだ連絡なんかしないでください。何とか穏便に済ませますから。大体、こんな時間に学校に警察なんて呼んだらとんだスキャンダルですよ。校長のキレそうな顔が目に浮かびます。」
暗闇の中でニッと笑うと、博雅は彼女の背を押した。

心配そうに振り向く木下に軽く手をふると、博雅は再び教室に向き合った。気のせいか、闇が濃さを増しているように見える。
「あ、あの、先生…」
教室に入ろうとした博雅にプロデューサーがおどおどと声をかけた。
「なにか?」
「な、なんかおかしいです…中から何にも物音が…しない…」
そういえばあの怪しい陰陽師の甲高い声も、タレントのちょっと馬鹿っぽい声も、…何も聞こえない。
「時間を食いすぎたか」
しくじった、と博雅の眉がしかめられた。
「でも、血の匂いがしないだけマシかな」
「えっ?今なんて…?」
博雅の放った一言にびっくりするプロデューサーの横を博雅は駆け抜けた。

「あらら…」
思わずぼやく博雅、やけに静かだと思っていたら案の定、平成の陰陽師霧麻呂は塗った顔よりも更に白く…いや、蒼白になって古い黒板を背に張り付いていた。その隣にはアイドルのタレントと、カメラクルーらも同じような姿勢で並んでいた。というのも本人の意思で張り付いているわけではなく、物理的にそうなっているのだった。白っぽい銀色の糸のようなものが彼らの体を黒板につなぎ止めていた。

「志士だけじゃないな…さては、蜘蛛か」

見れば志士の割れた顔面から蜘蛛の子が無数に這い出してきている。

「うわ…気色悪いな」
別に虫嫌いというわけではないがこれはさすがに不気味というか、生理的に無理。
志士の霊とこの古い建物に巣食う蜘蛛がどうやら共存しているらしい。

「我らの砦だ…敵には死んでも渡さぬ…」
口の端からしゅうしゅうと銀の糸と青い炎をちろちろと吐きながら志士の霊が言う。
「死んでもって…もう死んじゃってるだろうが。」





      続きはWEBにて。



     へたれ文へのご案内にもどる