雪まろばし




「と、殿…これはいったい…」
 
家人の俊宏が目を見開き、口をあんぐりと開けてそれを見上げた。
「なんだろうな…?」
その隣で博雅もいっしょにそれを見上げた。
そして、そんな二人のまわりでは、家の者たちがそれこそ大騒ぎである。
「な、なななんだ、あれは!」
「恐ろしや、きっと誰かの呪いじゃ」
「と、殿っ!そのように近くに寄っては危のうござりますっ!」
口々に色々なことを言いながら、皆一様に恐れおののく。
この時代、少し日常とは違ったことが起こると、やれ鬼だ、妖しだ、と人々は騒いだものである。大抵は鬼も妖しも関係のないことばかりであったが、だが今度のことは明らかに人にあらざるものの仕業に間違いはなさそうであった。
「こういうことはやっぱり、アレに頼むしかあるまいな。」
人の仕業ではないと見てとった博雅、あご先にトントンと指を当てて言った。
「アレ、って…もしかして、あの陰陽師のことですか…?」
ポカンとソレを見上げていた家人の俊宏、眉を不審げに寄せて博雅に聞き返す。
「決まっておるだろう。誰ぞやって、こちらに来てくれるように迎えを出せ。」
 
 
ほどなく。
 
「なあ、晴明、こいつはいったい何だ?」
「ふむ」
 
博雅に尋ねられて、その隣でうなずいたのは安倍晴明。
抜けるように白い肌に血のような紅い唇、切れ長の美しい瞳の女性(にょしょう)と見まごうばかりの美しい男である。が、狐の子と噂されるその男の瞳は氷のように冷たく、よくよく見ればとても女のような弱さはかけらも感じない。必要とあらば、鬼の一匹や二匹あっというまに封じ込める稀代の陰陽師である。
その陰陽師が博雅のことを振り返った。
 
「博雅様には何にお見えになりますか?」
「何って…見たままを言うならば…雪のかたまり…かな?」
それにしてはでかすぎるが、と博雅は目の前のものを見上げた。

二人の前にあるのは博雅の言ったとおり、確かに雪の塊であった。そして博雅の思ったとおり、それはとんでもなく大きかった。上は屋敷の端隠をも超えるほど。幅は少なくとも五間はあろうかというとんでもない大きさの雪の玉。
朝、目覚めたら、これが母屋のまん前の庭に、ドン!と鎮座ましましていたのだ。
確かに昨日はかなりの雪が降ってはいた。だが、博雅の屋敷の庭にこのような雪の玉を作ったものは誰もいない。貴族の中には雪遊びと称して雪で築山を作ったりするものもいないではないが、博雅にはとりあえずそんな趣味はない。
それに庭中の雪をかき集めてもこれほどの量には到底足りるとは思えない。おまけにここが一番肝心なところなのだが…庭の雪は昨日積もったまま、広い庭を白く覆っているのである。
「昨夜、博雅さまにおかれましては、どちらかにお出かけになられましたか?」
丁寧にへりくだった口調で晴明が聞いた。
「昨夜……!」
うっ…、と博雅が答えに詰まる。
 
昨夜…といえば。
恋人の屋敷にゆくと約束をしておきながら、月の映った鏡のような水面と、真っ白な雪景色がこの世のものとも思えぬ美しさの神泉苑につい釣られて、思わず笛を吹くのに夢中になってしまった。そしてハタと気がつけば夜半をすっかり過ぎていて。…おまけに俊宏に見つかって屋敷に引き戻されたのだった。
このような雪の夜に外で笛を吹くなど言語道断です、と、こってりと絞られた。雪こそ積もっていたが、風もない良い月夜ではないか、といくら弁解しても、今夜はもう絶対外に出てはいけません、と、それはきつくきつく言われたのであった。
 
「どこぞであの妖しの笛を吹かれませんでしたか?」
答えに詰まる博雅に、陰陽師の冷たい瞳がさらに冷たさを増した。
「は、はて…」
あらぬほうを見て視線を逸らす博雅。

「俺のところに来ずに、どこにいたのかと聞いておる」

その博雅の耳元に蝙蝠を寄せて、晴明がひそひそ声でもう一度聞いた。その声はかなり険しくて、先ほどまでの殿上人に対する慇懃さはかけらもない。
「あ、その…神泉苑でちょっと…」
「神泉苑ですか…では、その近くで童の作った雪まろばしなどございませんでしたか?」
博雅からスイと離れると、晴明はまた先ほどまでのように丁寧な口調で言った。
「雪まろばし?ああ、そういえば…」
あ!と博雅は思い出した。
昨夜、神泉苑の前の通りに、昼間童らが作ったらしい雪まろばしが立っていたのを。
月夜に映えて銀色に輝いて、まるで生きもののように見えた。
 
「まさか?」
博雅は目の前のどでかい雪の塊を見上げた。
「そのまさかですね。」
隣の陰陽師はあっさりと答えた。
晴明の言うには。
どうやら昨夜、この雪まろばしは博雅の笛の音をたっぷりと聴いたらしい。丸々とした形ながら、一応は人に似せた雪まろばし。石でつけた目もあれば、小枝でできた耳も手も口もある。博雅の笛の音と月明かりが、そんな人型とも言える雪まろばしを一種の式に代えたのだと、晴明は言った。
そして、俊宏に引きずられて屋敷に戻った博雅、つまり、あるじを追いかけてここにきたのだという。
 
「ただ、雪まろばしには足はありませぬからな。ここへはせっせと転がってやってきたのでしょう。道々の雪をどんどんとその身につけてきたのですから、まあ、これぐらいの大きさにはなりましょうな。」
「なんと…」
博雅、言葉がない。
その博雅に、もう一度顔を近づけて陰陽師が言う。
 
「だから、とっとと俺のところに来ればよかったのだ。寄り道などするから、このようなワケのわからんものに好かれるのだ、おぬしは。」
「せ、晴明…」
「春になって溶けるまで、こいつと遊んでおればよかろう。」
 
フン!と博雅に向かって文句を言うこの男こそ、昨夜、博雅が約束をすっぽかした恋人であったのだった。
 
 
小声でいさかいをする恋人同士を、大きな雪まろばしが何も言わずに見下ろしていた。そんな雪の朝。









  雪まろばしとは平安時代の雪だるまの呼び名のことだそうでございます。

  うpするのをすっかり忘れておりました小話でございます。雑記SSより。


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