牡丹(2)
「何だこれは…。」
晴明はその社の前に立ち、苦りきった顔をしていた。あちこちに自分の紋である桔梗紋が溢れている。灯明には大きな字で晴明神社の名が。
「何だ、知らなかったのか?お前を祀った神社だぞ。おまけに人気もある。」
博雅がひょいと親指を立てて向こうを指差す。何人かの女性がお守りを手にして喜んでいる。
「お前にも一個、買ってこようか?」
博雅のその言葉に晴明の目つきが、いっそう険しくなる。
「俺が俺に何を守ってもらうというんだ…、博雅?」
「…じょ、冗談だよ。すまん。」
不気味に静かな声で言われて、博雅はあわてて謝る。とても冗談が通じる雰囲気ではなかった。
「ここは、おまえの屋敷跡に建てられたといわれている神社なんだ。まあ、俺の覚えているところでは、お前の屋敷はもうチョイ向こうだったような気もするが…。」
確かにそうだった。しかし、まさか、神社になっているとは…。ご神体が自分かと思うとぞっとする。一体、どこの誰がこんなものを建てたのか…。
「なんだか懐かしいような、そうでないような…、お前でなくとも充分、複雑な心境だよな。」
博雅は何度かここを訪れたことがあるのだが、そのたびに、晴明のことを思い出して辛くなったものだ。今は、その本人が自分の隣にいる。
複雑な表情をしている晴明には悪いが、なんだかちょっとうれしかった。
「博雅…お前…、喜んでいるだろう?」
ちらりと博雅の方を見て晴明が言った。
「な。何でそんなことを言う…」
「見てれば、わかるさ。…ふん、まあいい。お前が喜んでいるんだから、この神社への文句は言わないでおこう。」
ポケットから濃いサングラスを出してそれをかける。視線が隠れてしまって、博雅には、晴明が何を考えているのかわからなくなってしまった。
今日の晴明は白のジャケットに濃紺のシャツ。
基本、白であることに変わりないのは昔も今も同じのようだ。遠い昔、白の狩衣に身をつつんで、濡れ縁で自分とともに、月を眺めていた晴明の姿を思い出す。
そんな感傷に浸っていた博雅に、少し先に歩いていた晴明が声をかける。
「おい、博雅、なに、ぼ〜っとしているんだ。とっとと奉納の舞とやらを見て帰るぞ。こんなところに長居は無用だ。」
昔も今も、感傷と無縁なのも変わらないなと、心の中で苦笑いをする。
奉納の舞が始まった。神社の内陣の前に特設された舞台の上で、若い女の子たちが数人、鈴を鳴らしながら舞を舞っている。
(この舞は、俺に捧げているわけか…。まったく。)
晴明は微妙な心境である。
たぶん、この世にないときでも、ここに自分はいなかったと思う。が、人の念いというのはすごいものだ。自分ではないが、確かに何かがここにはいるようだ。いや、「在る」というべきか。
エネルギーの集合体、とでも言えばいいのか、何かそんなものは感じられる。社そのものも結界がされているようだ。
(神とは結局、人が創り出すものなのだな。)
ここに在るべきなのは、別に俺でなくとも良いようだ。と、思う。
ふと、隣の博雅を見ると、なんだかまた、困った顔をしている。
「どうした、博雅?」
「いや…、見に来てくれといってた子が踊っていないんだ。」
「そうなのか?」
どれかはわからないがとりあえず、舞を舞う子らの方を見る。興味がないせいもあってか、みんな同じに見える。
「うん、あれだけ真剣に俺のこと誘っていたのに、どういうことだ?もしかして、からかわれたのかな?」
ほかの子と見間違えたかなと、人ごみの向こうに見える舞台に目を凝らす。
そんな気もそぞろの博雅に、さりげなく晴明が尋ねる。
「真剣にって…、どのくらいだ?」
「ん?ああ…、何しろキスまでされたからなあ…、やっぱ、あれって冗談だったのかなあ?」
何も考えずそう答えた。と、とたんに腕を掴まれた。
「わっ!?なんだ、なんだ?どうしたんだ?」
びっくりする博雅に、サングラスで目こそ見えなかったが、その唇に薄い微笑を乗せて、晴明が言った。
「どうせ、そんなことだろうとは思っていた。帰るぞ。博雅。」
博雅の手をひっぱって人ごみの中を歩き出す。
自分が何をしゃべったか、ようやく思い出した博雅は、あわてて説明する。
「いや、晴明、別にたいしたことではないんだ。その子も俺をちょっと、からかっただけに違いないよ。ほら、俺って、意外と単純だから。」
「だから、困るんだ。大体、お前はすきが多すぎる。だから、そんな子供みたいな生徒にも、うっかりキスなんてされるんだ。」
仮にも武士の端くれであると自覚を持っている博雅。さすがに、隙が多すぎると言われて、カチンときた。
「俺とて仮にも武(もののふ)の端くれだぞ。隙が多いとはあまりではないか。」
怒ると、昔の言葉に逆戻りしてしまう。
「だったら、子供のような女でも、隙を見せたりするな、この間の薬子のときもそうだったではないか。お前は女に甘すぎる。」
車のところまで博雅を引きずるようにつれてくると、助手席のドアをあけ、怒っている博雅を車に無理やり押し込む。運転席に乗り込みエンジンをかけたところでサングラスをはずし、博雅のほうを振り向く。
その瞳はちょっと困ったように笑っている。
「そんなに怒るな。…俺はちょっとばかり、嫉妬しているだけなのだ。ガキ相手にな。」
そういうと、博雅のあごに手をかけ、さっと唇を触れ合わせた。
「そういうわけだ。悪かったな。」
「ああ…。」
晴明のふれた唇が熱い。どぎまぎする博雅。
「しかし、近頃のガキどもときたら…。どうせ、むりやりキスされたのだろう?博雅。」
「まあ…な。すまん…。」
晴明に一回口づけされただけで機嫌を直す自分もどうかと思うが、などといらぬことを考えながら答える。
「やっぱり、もう一度呪をかけておいたほうが良くはないか?俺は心配だ。」
(これでは、うっかり留守にもできないではないか。)
「いやいや!あれは勘弁してくれ。首の見えない服しか着れなくなるし、大変だったんだぞ。」
あわててかぶりを振る。この前のは道着を着るとどうしても見えてしまうので、頼んでやっと、消してもらったのだ。
「まあ、首筋でなくとも、どこだっていいんだが…。」
にやりと笑う晴明。一体どこにつける気でいるのか…。
「いや、それでも遠慮しておく。俺に近づくやつ、みんなふッ飛ばされてはかなわないからな。」
「ちぇ。」
そんなことがあったその日の夕方。晴明をたずねて、保憲がやってきた。
「よう、晴明。」
にっこりと笑う保憲。その肩には今日は猫のままの沙門が乗っている。
「いらっしゃい。保憲さん。」
保憲をリビングに案内しながら、こちらも笑顔の博雅。
ニコニコする二人をよそにソファで本を読んでいた晴明は、しらっとした表情をしている。
保憲が笑顔全開で尋ねてくるときは、何かトラブルがらみだとわかっているからだ。
「…何の用ですか、保憲さま。」
本から目も上げずに晴明が言う。
「そんな、冷たい声出すなよ晴明。言い出しにくくなるじゃあないか。」
肩から沙門をおろすと晴明の向かいに座り、ひざの上に乗せてその背をやさしくなでる。
「あなたがそんな笑顔でいらっしゃるときは、私の記憶ではろくなことがなかったと思うのですが…。」
「おいおい、晴明、失礼なこと言うなよ。」
博雅が、たしなめる。
が、保憲は晴明の言葉に怒りもせず、大きな声で笑う。
「はっはっは!確かにそのとおりだったな。」
と、まじめな顔にもどって
「しかし、悪いが今度もちょいと頼まれてはくれぬか。」
「今度は何です?悪いのですが、私は今の世では陰陽師ではないのですよ。その辺をわかっていただきたいものですが。」
ニコリともせずに晴明は言った。なんだかんだと色々押し付けられるのはごめんだった。
「俺は表向きは、公認会計士なんてかたぎの商売をやっているが、実は裏では今でも陰陽師のままだ。
千年たとうが二千年たとうが、人の心なんてそうそう変わることなどないからな。怨んだり怨まれたり…。俺たちの仕事はまだまだ終わりっこないのさ。お前のその人並みはずれた能力、使わなければもったいないぞ。」
「保憲さまはそれでもいいんでしょうが、私は人の世のことなど、自ら関りたいとは思いませんね。」
「あいかわらず冷たいなあ。」
言いながらも、その実、全然気にしていないのが見ているだけでもわかる。
「まあ、話だけでも聞けよ。まんざら、お前に無関係ともいえぬことだからな。」
そう言って、保憲が話し始めたのは、意外にも博雅にも関係のあった話だった。
ことの起こりはちょっとした間違いからだった。
晴明神社の宮司が、出すべき箱を間違えたのが始まりだった。
薄暗い蔵の中、手探りで出したその箱に入っていたのは、探すべき衣装ではなく、もっと古い別のものだった。
その箱の中にはいっていたもの。紅い地に白い牡丹が今を盛りと咲きほこっている、とてもきれいな襲。いつからこの神社にあったのか誰にもわからぬほど古い、なのに、その鮮やかな色は少しもあせた様子はなかった。尋常ではない。それが他の同じような箱にまぎれて神社の外に出てしまった。
「たぶん、誰かがその襲に気づいて封をしてあったんだな。」
保憲が言った。
「と、言うと…?」
と、博雅。
「その襲になにかがとりついているということだ。博雅。」
保憲にかわって晴明が答えた。
「まあ。そういうことなんだが…。間に合えばよかったんだがな。」
「誰かに何かあったのですね?」
読んでいた本をあきらめたようにテーブルに放る。どうも風向きが怪しくなってきたようだ。
「うむ。今日の奉納祭で舞うことになっていた女の子が、その襲に取り込まれてしまったのだ。」
「まさか!?…保憲様、もしかしてその子の名前って、山科サエコと言うのではありませんか?」博雅は間違いであってほしいと思いながらも聞いた。
「よく、ご存知ですね。そうですよ。山科サエコというまだ高校二年生の女の子です。しかし、なぜそのこのことを?」
「その子は博雅の教え子ですよ。」
晴明が横から博雅の代わりに答える。
またしても、厄介な展開だなとため息が出そうになる。まったく、この男は何でこんなにトラブルに巻き込まれるのか…。
心配げに顔を曇らせている博雅を見つめて、まさに天然のトラブルメーカーだなと思う。
(ま、そのトラブルの最たる物が,俺と出会ったことかもしれないが。)
保憲の家は賀茂家の分家にあたる。賀茂家とは、言わずと知れた陰陽師の家系である。
今でもその伝統は守られているが、昔のような能力者はいない。
祭式をすることはあっても、それはただの形に過ぎない。
分家筋に当たる家に生まれた保憲は、本家にはもう失われてしまった、陰陽師としての能力を今も持つ、唯一の人間だ。
本家の老当主からも一目を置かれている上、跡継ぎのいない賀茂家本家を継がないかと常に誘われている身でもあった。
賀茂家で一番、尊ばれている賀茂保憲の生まれ変わりである自分だと言うことを、承知している保憲には、とてもではないが受けられる話ではない。
「本末転倒とは、まさに俺のことだよ。」
前に、保憲は博雅にそう言って笑ったものだった。
今回の件も、晴明神社からの依頼を賀茂家がうけ、そして、保憲へと持ち込まれた話だった。
「その襲が封印されてあったのは、他ならぬ「晴明神社」ではあるし、魂をとりこまれてしまったのは、博雅さんの教え子だそうだし…。」
保憲はそこで言葉を切って、にやりと笑うと、
「明らかにおまえの縄張りの中の事件ではないかよ。晴明。」
ずいっと、身を乗り出して言う。
「でも、保憲様にきた依頼でしょうが。」
受けねばならぬように追い込まれつつあるが、あっさり引き受けるつもりなど無い。冷たい顔で突き放すように答える晴明。
「でも、やってくれるのだろう?」
晴明は絶対、受けるはずだと確信を持っている保憲。そう確信できる根拠など、特にないのだが。
そこへさらに、博雅が追い討ちをかける。
「引き受ければどうだ。晴明。俺も教え子が心配だし。」
自分も必ず、その渦中に巻き込まれるであろうことを、どこまでわかっていて言っているのか。
(まったく、このお人よしのトラブルメーカーめ…。)
結局、博雅の言葉が、渋る晴明の背を押した形になって、晴明はこの件に関ることとなってしまったのだった。
不本意ではあったが。
サエコの身体は病院で眠っている。
保憲に依頼された晴明は博雅を伴って、件の襲が安置されている晴明神社の一室にいた。
賀茂家から紹介されてきた晴明を不安そうに見る神社の宮司。
(賀茂家からこの人物に任せておけば大丈夫だと、太鼓判を押されたが本当に大丈夫なのだろうか…?)
女性のように美しい抜けるように白い貌。すっと紅でもひいたかのような紅い唇。
その唇にはうっすらと笑みともつかぬものが浮かんでいる。まつげの長い切れ長の瞳。
身長こそ見上げるように高いが、すらりと細身のその体躯からは、とても怨霊や物の怪を相手に戦うようには見えない。
と、その心を見透かしたかのように、稀名アキラと名乗った男がこちらを見た。
「ご心配なく。こんな見かけでも、やることはやりますよ。」
少し不遜な感じではあったが、にこりと笑って宮司に話しかける。その瞳の奥に、見た目とは違う冷たい強さのようなものを感じて、宮司はぞくりとは肌があわ立つのを感じた。
決して、見たとおりの人物ではなさそうだ。
「おい、晴明。その着物とやらはどこにあるんだ?」
博雅が宮司との挨拶を交わし終えて、晴明に話しかけてきた。
「せ、晴明…?」
宮司がその名に驚いた。
「あ、いや…その…これは…間違えた。」
しどろもどろになる博雅に苦笑すると、代わりに晴明が答えた。
「彼は私の助手なんですが、安倍晴明にとてもあこがれていまして。今日はこちらに伺えるときいてから、ちょっと舞い上がっているんですよ。」
困ったものですと言いながら、その場をうまくごまかしてくれた。
「ああ。そうなのですか。晴明と呼ばれていらっしゃるのかと、驚いてしまいました。」
と、ほっとしたような宮司。
それはそうだろう、自分の社の御神体を軽々と呼びすてにされては、うれしいはずがない。
「こちらの御神体はやはり、安倍晴明ですか?」
「もちろんです。晴明さまは並ぶものなき陰陽師として、時の帝に寵愛され、亡くなられて後はその偉業を後世に残すため、帝によってこの社を建てられた尊いお方です。晴明様以外の御神体など考えられません。
ただ、御神体といっても、その遺髪であるとかそんなものはいっさいないのですがね。それだけが残念でなりませんよ。」
「ほう、そうですか。」
宮司の熱心な説明にも、淡々と返事をしている晴明であったが、博雅は晴明の考えていることが手に取るように分かった。
もし、自分の体の一部でも御神体として残っていようものなら、どんな手を使ってでも処分するつもりでいたに決まっている。博雅がそんなことを考えているのを知っているかのように、晴明の目がちらりとこちらを見た。
(俺の考えていることがばれたな。相変わらず鋭いヤツ。)
「こちらに、どうぞ。」
宮司がさらに奥の部屋の扉を開けて、部屋の照明のスィッチをいれた。照明がチカチカッと明滅して部屋が明るくなった。
窓すらないその部屋の奥まった壁に、それはかけられていた。
部屋の人工的な明かりの中でも、その鮮やかな美しさは、なんら損なわれることはない。
血の様に紅い襲。
宮司は恐れているのか、部屋の入り口より先には入ろうとしない。
何を感じているのか、晴明のその表情は淡々として変わらない。
「…ふむ。」
ひとことそう言っただけだ。
「さて、これからどうするのだ?せ…いや、アキラ。」
「まず、何がこの襲にとりつているのか、まず、それからだな。相手がわからなければ対処の仕様も無いだろう。
この、襲に関する何か文献のようなものはここにはありませんか?」
博雅の背に隠れるようにして、部屋の中をうかがっている宮司に聞く。
「これに関する文献…ですか…?さて、そのようなものあったかな…。」
「文献と言う大げさなものでなくても、何か、書付のようなものでもあれば良いのですが。」
晴明のその言葉に宮司が大きくうなずいた。
「ああ!そういうものなら、ありますよ。この着物が入っていた箱の内側に貼り付けられていたものが。ただ、もう古くてぼろぼろで…。はたして読めるかどうかも分からないくらいですが」。
「それで結構です。で、それはどこにあります?」
「あ。すぐに持ってまいります。確か、本殿のほうにおいてあったはず…。」
そういうと、宮司はあわてて廊下を走っていった。