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牡丹 (3)
宮司のいなくなった部屋の中。晴明はポケットから小さな袋をとりだした。
「晴明、なんだ、それは?」
「これは、米だ。」
博雅の手のひらの上にその小さな袋を乗せた。軽く掴むと中の米がざりっと音を立てた。
「なんにするのだ。これを?」
「米や豆には害をなす霊物をうち払う力があるのだ。散供という呪法のひとつさ。打蒔ともいうがな。これは博雅、おまえが持っていろ。なにかあったら、これを相手に向かって投げるんだ。」
博雅の身を守るためにわざわざ、晴明が用意したものだった。そんな心配する晴明の気持ちを知ってかしらずか、博雅は素朴に感心していた。
「へ~。米にそんな力があるとはなあ。」
手のひらの上で、ぽんぽんと米の入った小さな布袋を弾ませている。
「呪もかけてあるから、普通の米でもないが。落とさずちゃんと持っていろよ。」
博雅の手で弾んでいたその袋を空中で掴むと、そのまま博雅の上着のポケットに突っ込む。
「おう。わかった。」
にっこりと笑って、米の袋の入ったポケットをぽんとたたく。
そこへ先ほどの宮司が戻ってきた。両手に古びた白木の箱を抱えている。
「ありました。ありました。」
遠い本殿から走ってきたのだろう、少し息があがっている。
床にその箱を下ろすとふたを開け、その裏に貼られた書付を見せる。
「これです。その着物に関するものかどうかは分かりかねるのですが、入っていた箱ですから、まさか無関係などと言うこともないと思うんですが。」
宮司の指差す先に、端が破れてぼろぼろになった古い紙がはってあった。
「何と書いてあるのかよくわからないのですよ。」
じっとそれを見つめる晴明。
「ふむ…。読めるわけないでしょうね。これは呪符ですよ。普通の人間には読めないようになっているんです。」
晴明がその古びた紙を人差し指でそっとなぞると、紙はわずかにぼうっと青い光をはなった。宮司はそれに気づかなかったが、博雅は気づいた。
(まだ、呪が生きているんだな。)
それぐらいはわかった。
「呪符?あの晴明さまが昔、使われていたと言うあの呪符ですか。と、いうとこれは晴明さまの書かれた字ということですか?」
襲のことも一瞬忘れて宮司は、あわてて聞いた。もし、晴明の書いた字ならばこの社にとっては、大変な宝である。
だが、晴明はあっさりと宮司の期待を裏切ることを言う。
「残念ながら晴明の書いたものではありませんね。時代が違うでしょう。ここに書かれている年号は晴明の時代ではありません。かなり後ですね。」
本人に書いた記憶がないのだから間違いはない。
「ほんとうですか…?残念ですね。」
本当にがっかりしている。
晴明としては、自分の書いたものでなくて何よりだと思っている。もし、自分の書いた呪符など残っていたら即、焼き捨てるつもりだ。
「しかし、人に読めないものをどうやって読むのです?」
気を取り直して宮司が聞く。
「呪をとけばいいのです。」
「どうやって…?」
興味津々できいてくるこの宮司には、そろそろ退散してもらわねばならないようだ。
二本の指をたて唇に当てると、小さく呪を唱える。
妖魔退散ではなく人払いの呪だ。
「…では、私はこれにて…。」
何の前触れもなく宮司はそういうと、晴明と博雅を残してあっという間に部屋からでていった。
「追い払ったな。晴明。」
一部始終を黙って見ていた博雅が言った。
「あたりまえだろ。いたって邪魔なだけだ。」
「まあ、それはそうだろうが…。もしかして、おれも邪魔か?」
邪魔だとは言われたくないが…。
晴明はうっすらとその紅い唇に笑みを浮かべると
「お前はたとえ邪魔だと言っても、いるつもりだろう?」
博雅の顔を見て言う。
博雅はその晴明の目をしっかりと見返す。
「それはそうだ。何事であれ、俺を排除できるなどとは思わぬことだ、晴明。お前の行くところ、俺は金魚のフンみたいにくっついてゆくからな。」
「金魚のフンなんかに自分をたとえるなよ。おまえは俺のパートナーだ。いつでも一緒さ。」
くくっと笑って答えた。
晴明は古い書付に向かって手のひらを当てると、小さく呪を唱え始めた。呪を唱える晴明の声が部屋の中に低く響く。やがて晴明の手のひらの下で書付がぼうっと青く光り始めた。
「む…。」
博雅が小さくうなる。
晴明の手の下でひときわ青く輝いたかと思うと、まるで何かのスイッチが切れたように光が消えた。
晴明が手のひらを外す。
「これでようやく読めるようになった。」
手に箱のふたを持つと、書付を読む晴明。
「なんと、かいてあるのだ?」
晴明の後ろから博雅も覗き込む。
「これは、さる身分のある姫の婚礼のために作られた衣装だったようだ。なにゆえかはわからぬがその婚礼は行われず、姫もなくなった。その姫がなくなって以来、この襲には色々な怪異がおこったので、これを封じた、と書いてある。」
「ふうん、随分とかわいそうな話だな。で、いったい誰がこれを書いたのだ?」
「俺たちの時代よりもう少し後だな。その頃の陰陽師…賀茂道平…。保憲様の一族ではないか…。」
ちっと舌打ちをする。
「だから、俺の仕事ではないと言ったのに…。」
眉間にくっきりと不快を表す立皺が入る晴明。何がお前の縄張りの仕事だ、だ。自分のほうの縄張りではないか。いっぺんにやる気が失せた。
「こんなもの、保憲様に任せればいいのだ。…!!」
振り返って博雅のほうを見た晴明の目が驚きに見開かれる。
「なんだ?そんな顔をして?」
きょとんとする博雅の背後に、襲の袖から長く伸びた白い手が今まさに博雅の肩を掴まんと迫っていた。
「博雅っ!!!」
手を伸ばす晴明。
しかし、後もう少しのところで晴明の手は届かなかった。
「うわああああっ!!」
肩を掴まれた博雅の体が、すごい速さで襲の方へと引きずられてゆく。
「博雅っ!!」
あわてて博雅を追う晴明。
だんっ!と、博雅の体が襲のかかった壁に激突する。襲がはらりと落ち、そのまま博雅の身体を覆う。
かけよってその襲をはらいのけ、博雅にかがみこむ晴明。
「大丈夫か!?博雅っ!!」
しかし、博雅はまるで気を失ったかのように瞳を閉じ、ぐったりと反応がなかった。
「博雅っ!…なんと言う失態だ…。博雅をつれてゆかれた…、くそっ!」
床に広がる襲をにらみつける。
意識のない博雅を抱き上げると部屋の片隅に置かれたテーブルの上にそっと、その身を横たえる。博雅の身体はここにあるがその心というか、霊体はどこか分からぬ襲の中へ取り込まれてしまった。
距離もあったし、気配も感じなかったのでうっかりしてしまった。しかも、まさか博雅が引きこまれるとは、予想もしていなかった。
あのトラブルメーカー体質を計算にいれなかった自分がうかつだった。(博雅が聞いたら怒りそうなせりふだ。)
「相手がどういうものか、まだはっきりと分かったわけではないが…。」
だが、博雅を追わなければ。今ならまだ、何とか魂の軌跡を追えるだろう。そのためには、まず入り口を開かなければならない。
「こいつ(襲)は俺などその身に取り込みたくなどないだろうからな。」
床に広がる襲を見下ろす。
手を伸ばして拾いあげようとしただけで、まるで意思があるようにざわりと蠢めいた。
「俺に触れられるのがよっぽど嫌なのだな、ふん。」
上等だ、こいつ。博雅ならよくて俺だと嫌だというのか。
ますます、気に入らない。
「急々如律令、式神天空、招来。」
内ポケットから人型に切った紙をとりだし、手の平にその紙をのせるとふっと息を吹きかける。
ひらりと人型の紙が舞ったかと思うと、晴明の前に水干をまとった見目麗しい女が現れた。式盤の十二の式のうちの一人である。
「俺はこれから博雅を追う。お前は、俺と博雅の身体を護っておれ。」
式神は黙ってこくりとうなずいた。
「鏡は持ってきたか?」
晴明の問いに式神は磨き込まれた銅鏡を差し出す。それを受け取ると、襲が映りこむ位置に鏡を固定する。
その鏡に向かって九字を切る。
と、襲が映っていたはずの鏡面がぼやけ、代わりに博雅の姿が小さく映った。
「いたか…。かなり遠いな。これは取り込まれたというより、別の次元に行っている様な感じだな。」
かなり厄介だ。ただの怨霊の癖に生意気な。
上着を脱ぐと鏡の前に座し、両手を印に組んだ。
「七難即滅七福即生…」
目を瞑り、呪を唱える。
「では、後を頼んだぞ。」
式神に目をつぶったままそう告げると、晴明の体はぴたりとその動きをとめ、その場で凍りつたように固まった。
「いったい、ここはどこだ?」
博雅は目の前に広がる見慣れぬ景色に戸惑っていた。
たしか、さっきまで晴明とともに神社の一室にいたはずであった。急に何かに後ろへ引っ張られて、気がついたらどこだか分からないがここにいたのだ。
「まいったなあ。これは多分あの襲の仕業だな。」
俺がまた、足をひっぱって、さぞ晴明が怒っているだろうなあと、気がめいる博雅。
いつの間にやら着ているものまで代わっている。
随分懐かしい…直垂姿。
しかも、ちゃんと腰から太刀だけは消えている。
「武器を持たせるつもりはない、ということか。」
明らかに何者かの意思が働いているようだ。
目の前にはどこへ続くのかあまり想像したくないような一本の道が続いている。
道の両端は白いもやに包まれている。なんだかこのもやの中へは、入らない方が身のためのような気がする。
「この道を来い、ということなんだろうなあ。」
ほかにいけそうな道も無いので仕方なく歩き出す。が、せっかく歩くのだったらと、懐から葉双を出すと吹きながら歩くことにした。
さっき、懐に手を入れたら、葉双と、晴明がもたせてくれた米の小さな袋だけは、そのままあることに気がついたのだ。
葉双はそれ自身が九十九神のようなものであるし、米の入った袋には晴明の呪がかかっている。
さすがに襲に憑いている何者かにも、それに手を出すことは出来なかったようだ。
こんな状況にさしてうろたえることも無く、のんきに笛など吹く気になるのが博雅らしい。晴明の言う懐の広さなのか、ただ単に神経が太いだけなのか…。
しばらく行くとあたりのもやが晴れてきた。
周りでざわざわ大勢の人の声がする。
まるであぶりだしか何かのようにじんわりと、景色が博雅の周囲に浮き出していく。
「これは…」
あっという間にあたりは往年の都大路へと変わっていった。
「なんと、懐かしい…。」
広い大路に物売りの声が響き、やんごとなき者をのせているであろう牛車がぎしぎしと横を通り過ぎる。
さすがにまったく同じというわけではないが、まるで昔の自分の時代に戻ってしまったようだ。
「まるで昔に戻ってしまったと錯覚しそうだな。」
気をつけないとまずいなと、思う。下手をすると本当に取り込まれてしまいそうだ。
葉双を懐にしまうと、油断しないよう気を引き締める。
と、目の前に小柄な老婆が立ち止まった。
その後ろには、大きな黒牛につながれた立派な牛車が止まっている。
こんな大きなものが目の前に止まったというのに気づきもしなかった。やはり、この世界はおかしい。
「源元 雅さまでござりまするか?」
老婆は顔を上げずに小さな声で問いかけた。
「いかにも。…何か私に御用ですか?」
(俺を雅の名で呼ぶからにはサエコから聞いたのだな。)
「はい。わが主が屋敷にてあなた様をお待ち申し上げております。どうぞ、いらせられませ。」
深々と頭を下げる。
「行きたくない、と言ったら…?」
「そのときは、あなた様の大切な方がここより戻れぬこととなりましょう。」
「俺の生徒のことか?」
「せいと…?はて、何のことやら…。私どもがお預かりしているのは、若いおなごのことでございまするが…」
「生徒などといっても分かるわけないか…。」
しかし、若い女といえば一人しかいない。間違いなくサエコのことだろう。と、言うことはとりあえず,無事ということか。
「どうあっても、行かねばならぬようだな…。では、そなたの主とやらのところへ案内していただこうか。」
博雅は老婆に促されて牛車に乗り込むと、この世界の主のところへと向かった。
牡丹(4)