牡丹 (11)

 
「さて、あなたは忠雅どのの?」
晴明が促す。
「私は忠雅さまと共に生きた陰陽師…安倍泰親。」
「陰陽師…。なぜその陰陽師が自ら霊となってここにいるのです?霊を鎮め、鬼を退治するのが陰陽師の役目でしょう?」
「はい…。陰陽師ともあろうものがこのように浅ましき姿となってまでもこの世にしがみついているなど、あってはならないこととは重々承知しております。」
「では、なぜ?やはり忠雅さまに何かかかわりが?」
「はい…。あの時…。」
泰親が遠い過去に思いをはせる。
「あの時…忠雅さまは私に化けた隆季に不意を襲われ深い傷を負われました。私は私の神である泰山府君に忠雅様の命を助けてくださいと懇願いたしました。でも、あまりにも深すぎた傷…。どうやっても,どんな呪をもってしても、もう忠雅様の命をこちら側に呼び戻すことなどできなかった…。自分の死が近いことを自ら悟られた忠雅さまは、泰山府君に己の魂と引き換えに、私に自分が生きるはずだった分の命をやってくれとそう願ったのです。私が病でもう長くは生きられないことを知っていらしたのです。泰山府君はその願いを受け忠雅様の命を私に、そして代わりに約束通り忠雅様の半分の魂魄を持っていってしまわれました。」
乗り移った靖の目から一筋の涙がつうっと滑り降りた。
「忠雅さまとあなたはもしかして…?」
「…たとえ奇しの恋といわれても、本当に想いの通じ合った仲でございました。忠雅様はたとえ私が男でもよいからと妻(さい)とまでして下されました…。」
「ほう…。」
そこまでするとはあまり聞いたことがない。忠雅というもの、なかなかに興味深い人物のようだ。 だが。
「しかし、なぜ半分なのです。忠雅殿は泰山府君に半分の魂をやると言ったわけではないのでしょう?」
「ええ…。」
忠雅を殺されたその憎しみのあまり隆季をあの襲に封じ込めた泰親。しかし晴明の時代とは違ってこのころの陰陽師にとって霊を封じ込めるということは大変な能力の要ることだった。そのころ都一と言われた泰親もその例外ではなかった。怒りの力があって初めてできたことだったと言えるかもしれない。
「封じられるのを抵抗する隆季が忠雅さまの魂魄に手を伸ばしてきているのに、一瞬気づかなかった。やつはいまだ体からも抜けきっていない忠雅さまの魂魄にその腕を必死で伸ばし、そしてその魂魄の半分をもぎ取っていってしまった。あの時、封印をといてしまえば泰親は忠雅さまの魂魄をもって永久に逃げてしまっていたでしょう。…だからそこに忠雅様がいるのに、その封印を解くことが私にはできなかった。」
「もしや自ら命を絶たれたか…?」
「…ええ。でも最初は生きようとしたのです。忠雅さまが俺の分まで生きろとおっしゃられたから…。生きて修行を積み、もっと陰陽師としての力をつけて忠雅様の魂魄を取り戻したかった。でも泰山府君は半分の魂魄の分だけしか私に寿命をくれませんでした。忠雅様を取り戻すためには時間も命も足りなかった。だから私は、自ら望んで命を絶ち、この衣にわが魂と想いを取り付かせたのです。忠雅様がまるでお前のようだと言ってくださった牡丹の花の一つとなって…。」
靖に重なったその姿が一瞬白い牡丹となって見えた。たった一枚の衣の内と外に一人の男をめぐってそれぞれの想いが凝ったように憑いていたのだ。
 
今宵、忠雅がついにあの襲の中より開放された。そして襲の牡丹の花模様にそっとその指を触れたのだという。その瞬間、靖親の魂もまた長き眠りから目覚めたのだ。
そして忠雅の後を追いここまで来たのだと泰親は言った。
「そうであられたか。」
晴明がそう答えたとき、その晴明の後ろで人の身じろぎのする気配がした。
「…う‥ん…。」
博雅がうめいてその顔をこちら側に向けた。
泰親の位置からその顔が境内の電灯の明かりの下ではっきりと見えた。薄暗い電灯の明かりの元でもわかるその端整な面。苦しげに眉間にしわを寄せてはいるが秀でた額やすっと伸びた鼻筋、伏せられた長い睫、遠い昔に自分の腕の中で逝ったあの人に間違いなかった。
「た…、忠雅さまっ!?」
驚きのあまり晴明を押しのけて博雅に駆け寄る。忠雅であると信じている博雅の体を借り受けたその身でしっかりと抱きしめた。
「う…せい‥め‥」
意識のないままに呼んだ名は晴明の名。どうやら博雅も目覚めつつあるようだ。
「忠雅さま!私でございます‥泰親でございますよ‥!」
忠雅を掻き抱いてはらはらと涙を落とす泰親。
遠い昔とまったく変わらぬその面差しの生身の体にその腕を掴む靖親の手が震えている。その震える手を博雅の腕からやんわりとはがす晴明。
「残念ながら違いますよ、泰親どの。この実体、生身の体は忠雅様のものでありません。私の大切な人なのです。」
泰親に並んだ晴明がまだ気づかぬ博雅の滑らかな頬に指を走らせて言った。
(俺を呼んでくれたか、博雅‥)
見ている方が切なくなるような目をして博雅を見つめた。
「忠雅どのではない?‥まさか‥こんなに似ているものなどあるものか‥。」
隣にひざをついた泰親は博雅の顔に目を奪われていて、その晴明の表情には気づかない。
「…そんなに似ているのですか?あのぬえという女もそのようなことを言っていたが…。いったい忠雅どのと言うお方、何者なのです?」
まだ意識を取り戻さぬ博雅を前に晴明が重ねて問う。この驚くばかりの魂のシンクロ率の原因がそこにあるような気がしてしょうがない。
 
促されて泰親が話し始めた。
「忠雅さまは正しくは近衛府中将従三位 花山院忠雅とおっしゃいます。あの藤原道長さまの片腕と言われたほどのお方。」
「近衛府中将、おまけに従三位…。やれやれ、そこまで博雅と同じか、なんともまあ…。まさか帝の血を引いてるとまでは言わないでしょうね。」
あきれたように晴明が聞いた。いつのまにかその腕の中にしっかりと博雅の体を抱きとめている。たとえ中に別の人格も入っているとはいえ、泰親の手にゆだねる気はない。
「忠雅さまはもちろん帝の血統のやんごとなきお方ですよ。」
当然だとばかりの泰親。彼にとっては当たり前のことらしい。
「帝の血筋であられるか‥なるほど…。ここまで同じならばこの相性のよさも納得できるというもの。」
同じ血まで流れているのならばDNAもさぞや近いことだろう。臓器移植と同じだ、ただ、実体のない魂魄というものだけにその融合の仕方がさらに早いのだ。やはり急がねば。そっと博雅の頭を自分のひざに寄りかからせるとポケットから細身のペンと折りたたんだ細長い紙を取り出しその紙にさらさらと呪を書き始めた。博雅と忠雅をひきはがすための第一段階だ。
「同じ…とは?」
泰親が不思議そうに聞いた。その目が晴明の手元に吸い寄せられる。見たことのない呪が驚くべきスピードで書き連ねられてゆくのを驚きの目で見つめる。古に聞いた事のある高度な呪のようであった。これが実際使われるなど初めて見た。こんなものを書けるこの人並み外れた美貌の人はいったい何者だ?冷たいまでの美しさを備えたその横顔に食い入るように見つめがら泰親は思った。その美貌の男がこちらに顔を向けた。
「今、忠雅殿の魂が入ってしまっているこの博雅という男も、実は近衛府中将、従三位という位にあるのですよ。というより、そうであったというべきか。そして彼もまた帝の血を引いた殿上人…。」
晴明の言葉に驚く泰親。
「まさか…」
「ところが本当のことなのですよ、驚いたことにね。さて、これで忠雅どのが博雅ととんでもなく似ているということはよくわかった。後はうまく引き剥がせるかどうかだな…。」
「引きはがす?どういうことです?」
泰親が晴明を振り返る。
「ぬえという女がいましてね。この女、どうやら隆季どのの乳母人のようでしたが、永き年月の間に隆季どのを思うあまり妖しと変じたらしく、忠雅どのと隆季どのを再びこの世に人として再生させようと二人の人間をさらったのです。そのうちの一人が私の大事なこの男、源博雅。これに忠雅殿の半分の魂を入れ込み、博雅の魂と混ぜて忠雅殿としてもう一度生き返らせようとしたのです。その上、隆季との間に敬愛の呪までかけて。」
ぬえの最後を思い出して晴明の唇に残酷な笑みが薄く浮かぶ。ただ、あの女、あのときにはもう忠雅と隆季の名を書いてあるはずの呪附を持っていなかったようだ。持っているとすれば‥隆季、あいつだろう。あれを処分しなければ敬愛の呪は解けない。保憲がやつを連れてくるのを待つしかない。
「敬愛の呪…あれですか…。しかし…源博雅どの?…確かどこかで聞いたことがある名だ…」
何かを思い出そうとするように借り物の体の眉間にしわを寄せた。
「どこにでもある名ですよ。」
と、晴明。
はっと顔を上げる泰親。
「源博雅!…稀代の笛の名手といわれたあの方??…では、もしやあなたは…阿倍晴明…どの?」
「…いかにも…しかしなぜ私の名まで?」
博雅と自分を結びつけて考える人間などそうそういない。思わず呪を書く手が止まった。
「なぜなら…私があなたの家督を継いだ人間だから…。あなたのことは誰よりも知っているつもりでした…たった今までは。…ではこの方があなたが命よりも愛されたという源博雅さま…。」
「安倍の姓を聞いたときにもしやとは思ったが‥。そうか、誰かに家督を継がせていたか保憲どのめ。にしても、私と博雅の関係を知っているとは‥。まあ、死んだ人間にプライバシーなどないからなあ。」
やれやれとため息をついた、再びその手は呪を書き始めている。かなり複雑で長い呪だ。
「ぷらいばしーって?」
「いやいや、何でもありませんよ。ただよく私たちのことをしっていたなあと。」
「知っているのはたぶん私だけでしょう。このことは安倍の名を告ぐものだけが知っていたことで他には口外無用の秘事でしたから。でも、私よりも絶対昔のあなた達がなぜこの時代に?」
 


ラストまであとすこし‥

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