いまひとたびの…(2)

            

結局、海外のバカンスは取り止めにし、むくれる愛人をマンションから体よく追っ払った。
そして、秘書に、さっきの電話の相手の資料を届けさせた。

 源元 雅 (みなもと みやび) 
 二十五歳。独身。京都の旧家の一人息子。両親は飛行機事故ですでにない。
観光地からはかなり外れた京都の西の端に邸がある。
高校の教師をしながら自宅で弓道道場もやっている。かなり腕のいい投資家がついているらしく、財政状態は決して悪くは無い。
家の建っている場所は、確かにランクの高いリゾートにするにはもってこいの地のようだった。市内から程よく離れているのに決して不便ではないいい場所だ。しかも、山をいくつかえた広大な地所だ。
 (今時、こんなところにこれだけの土地がよく残っているものだ。)
確かに自分のような仕事の人間は、食指を動かされるような土地だ。だが、汚いマネというのは…。
色んなプロジェクトを抱えているのだ、全てに目が届くわけではない。ましてリゾート開発とはいえ、京都の一角など気にかけたこともない小さな話だった。
 資料には真面目そうな面立ちの顔写真が添えられていた。
きりっとした眉の下に潤むように黒目がちな瞳、通った鼻筋には育ちのよさが滲んでいるようだ、口の端を頑固そうに引き結んでいる。
こんな真面目な顔でなく笑ったらどんな表情になるのだろう…そう思った途端にフラッシュバックのように脳裏に笑顔が浮かんだ。

「おい、…めい。こっちだ…。」

 黒い昔風な着物を着た男が風の中で笑っている…。
その映像は一瞬で消えた。
(何だ?今のは…?)
胸がどきどきする。

何事にも動じない自分であったのに、これは一体どうしたことか?もう一度、写真を見る。
普段けっして、動悸など打ったことの無い胸が締め付けられるようにどきどきと苦しい。
生まれてはじめての経験だった。何故かこの彼とどうしても会わなければと、まるで脅迫観念のように強く感じる。理由など皆目分からなかったが。
 時間が立つごとに会わなければならないという気持ちが更に強まり、いても立ってもいられなくなってしまった。まるで何かに追い立てられるように、アキラは翌日には、京都に向かって車をとばしていた。
夕方に京都に入ったのだが、夕やけに染まるこの街に何故か強い概視感を感じた。
 「確か京都にはいままで一度も来た事など無いはずだが…何だか妙に懐かしい感じがする。」
 おまけに気のせいか、さっき通った赤い大きな鳥居の上に誰かが座っていたのを見たような気がする。
あんな高いところに、しかも、こんな遅い時間に人が登っていたりするものだろうか。
 「絶対人間じゃないな。ここのところあんまり変なものは、見ないようになっていたんだが、さすが千年の都だな、色んなのがいそうだ。」
 アキラにしては珍しく、楽しげな微笑が浮かぶ。
前は、人ではないものをよく見かけたものだった。
そう言うときは大概、むこうもこっちに気付いているようだったが、何故か自分は全然怖くないのに、あっちの方が自分を怖がって逃げていったものだ。
そんなことを思い出しながら、今日からしばらく滞在することになるホテルに、車を乗り入れたのだった。

シャワーを浴び、白いシャツと仕立ての良い黒のパンツに着替えると、コーヒーを片手に、問題のリゾート開発の書類に目を通す。
マレナ・コーポレーションの下請けとして入っている、地元の不動産会社がどうも問題であるらしかった。
マレナが提示している額にかなり上乗せしているようだ。しかも、マレナの名を借りて、暴力団まがいにかなり荒っぽく源元家に圧力を掛けているらしい。末端の下請けに時々、こんな不埒な連中がいる。
「目が届かなかったな。会社が大きくなるとママあることだとはいえ、悪いことをした。…しかし、これは、また…」
思わず笑みが零れる。
 報告書には、下請け業者に頼まれた暴力団の下っ端が源元家に押しかけてきた時のことが、克明に綴られていた。
この家の主の雅はその時母屋に隣接する弓道場にいた。
連中は彼を脅そうとして道場内まで、ドカドカとはいってきた。
「完璧な家宅侵入罪だな。」
そう言って、にっこり笑うと、その連中の親玉と思しき男が口に加えていたタバコを、あっという間に弓矢で射抜いた。しかも、そのまま後ろにあった的に射抜きとめたという。
 顔面のすぐ前を物凄い速さで弓が抜けていった恐怖で、そいつは腰を抜かしてしまい、ありきたりな捨て台詞を吐きながら、仲間に抱えられてほうほうの体で逃げ帰った。
下請けの社長はデカイ顔を真っ赤にして怒り心頭だったという。そこからまた、更に嫌がらせがエスカレートして現在に至っているらしい。
「こんなのを下請けに使っていたなんて、わが社の恥曝しだな。」
其処まで報告書を読むと傍の携帯に手を伸ばし、一本電話をかけるとあっと言う間にその業者との契約を切り捨てた。何の躊躇もなかった。
 真面目そうな報告書の写真をじっと見ていたアキラだったが、ついと立ち上がるとジャケットを手に取り部屋を出た。
(君に会いたい…)
心にそれだけを思う。
その気持ちが何処から湧いてくるのかも、分からなかったけれど。
 
 
       
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