へたれ文へのご案内



      いまひとたびの…(3)

朝もやにけぶる紅葉の中をアキラの乗る車が走ってゆく。
真っ赤に燃えるもみじの葉の朝露がキラキラと朝の光を受けている。
何もかもが洗い清められていくような清い空気が、辺りに立ち込めている。
京都の西の端、源元家のある辺り。
 
大きな門構えの邸宅だった。母屋は外の道からは見えないほど奥にあるようだ。
こんな朝早くでは失礼だったか、と思いつつも、アキラは車から降りるとインターホンを押す。
ややあって、使用人と思しき声が返ってきた。
「ハイ、どちら様でしょうか?」
「私、マレナ.コーポレーションの稀名 明と申しますが、源元 雅さまはご在宅でいらっしゃいますか?朝早く失礼とは思いましたが、是非お目にかかりたいのですが。」
「…。少々お待ちくださいませ。」
少しの間があったあと
「主はすぐ隣の道場の方におります。ご足労願えればお会いすると申しておりますが。」
「では、其方に伺わせて頂きます。どこから行けばよろしいかお教え願えますか。」
門が開く。車を乗り入れ邸内の私道に停める。教えてもらった通りに母屋の横手の道を入っていくと、左手に道場と思われる瓦屋根が見えてきた。
 …ターーン…。
弓を射る音が外まで聞こえてくる。
建物の入り口からは入らずに、外から音のするほうに向かって歩いていく。
(私も弓でタバコを射抜かれるかな…。)
口の端でうっすらと笑うと、取り出しかけたタバコをまたポケットに戻す。
 
彼の人の姿が目に入った途端、思わず足が止まる。
白い胴衣に肩当、濃紺の袴。
燃える紅葉の中、すっと伸びた背中をこちらに向けて、凛とした真剣な表情で的を狙って弓をつがえている
その綺麗に伸びた指先から矢が放たれる。
…ターン…。
的と共に心臓を射抜かれたような気がした。
彼がこちらに気付いて振り向いた。
驚いたようにこちらを凝視している。
(私がこちらに来ることは、知っている筈だろう?)
と、急に、表情を変え、にっこり笑って、弓を片手にアキラの方へ歩み寄って来た。そして、握手の為、手を差し出してくる。
「おはようございます。源元です。」
何故か、すこし震えているような、かすれた声。
身長はアキラより頭半分低いくらいだろうか。
日に焼けた小麦色の肌に少し癖のある髪がえりあしのあたりで軽くカールしている。にっこりと微笑む、なのに、目元がまるで泣くのこらえているかのように、やや、潤んでいる。
その瞳に驚いて、視線がくぎづけになりながら、無意識に握手の手を差し出す。
「…初めまして。マレナ.コーポレーションの稀名です。」
「マレナと言われると、もしかして、うちの土地を買収しようとしている,あのマレナ.コーポレーションですか?」
さっきまで泣きそうに見えていた彼だったが、どうやら見間違いだったらしい。今はもう、しっかりしているようだ。もう、声に先ほどまでの震えは無い、少し低めのよく通る声。
「ええ、その…マレナです。正確に言うと買収しようとしていた、ですが…。」
彼が怪訝そうな顔をした。
「実はリゾート開発の話は取り止めにしました。…この件ではうちが直接ではないにしても、貴方に多大なご迷惑を掛けてしまいました。どうしても、貴方にお会いして、謝罪しようと朝早くで失礼とは思ったのですがこちらへ伺わせて頂きました。」
深々と頭を下げる。
「ほんとうに申し訳無いことをしました。経営責任者として、心からお詫びいたします。」
それを聞いて、雅が心から嬉しそうな笑顔になった。まるで大輪の花が咲いたような…。
「どうぞ、顔を上げてください。それにしても…取り止め?本当ですか?それは有難い!
でも、私の方こそ先日は会社まで押しかけ、しかも、大声を出してしまって…、申し訳なかったです。」
彼が照れたように頭をかく。
「でも、その…開発を中止にして、あの…貴方の会社の方は大丈夫なのですか…? 私が気にするのも変な話ですが。」
この言葉にはアキラも面食らった。いままで散々、迷惑を掛けられた筈なのに、その相手のことを心配するとは…。
「大丈夫ですよ。うちの会社はこれくらいでは潰れたりしませんから。あ…、これくらいというのは失礼でしたね、すみません。」安心させるように言う。
「いいえ、とんでもない。…そうか、それなら良かった。…はあ…。でも、お陰でホッとしました。
どうしたらいいのか本当に困っていたところでしたので。何しろ、この地には色々面倒な方達が…!」
何か不味いことを言ったらしく、慌てて胴着の袖で口の辺りを押さえる。
その仕草を、いつかどこかで見たような…。またしても、概視感。
「せっかくここまで来て頂いたのですから、よろしければ、一緒に朝食をいかがですか?」
そういってアキラを促がすと先にたって、母屋へと歩き出す。
そのすっくりと伸びた背中を見つめながら、アキラの心の中は穏やかとは言いがたかった。
一昨日、思いたって今朝にはもうここにいる…。冷血だの鉄面皮だのと影で言われているほど、感情で動くことの無い自分のする行動とは我ながら信じられない。
謝罪のためにきたなど、実はほんの些細な理由に過ぎない。
何か分からないものに突き動かされるようにして、此処まできたのだ。
だが、前を歩いていく彼の後姿を見ていると、何故かとても大切なものを見つけにきたような、そんな気がしてしょうがないのだ。
源元家の朝食室。
ぐるりと見回すと旧家の家らしく、かなり年代の入った建物だ。しかし、そこここに最新の設備もちゃんと備わっているし、品のよい調度品や絵画もあってとても裕福な感じがする。
(ここを買収できると思っていたなんて、下請けも馬鹿だな。無理に決まっているだろうに…。)
「どうぞ。」
家政婦らしい年配の女性がアキラの目の前に、湯気の上がる椀を置く。
(これはまた、ずいぶんと和食だな。)
と、思っていると
「すみません、めちゃめちゃ和食で。私、朝はこれじゃないとダメなんですよ。、もし、お嫌ならすぐ違うものをご用意させますが」
申し訳無さそうに雅が言う。
「大丈夫です。わたしも和食の方が好きですよ。いただきます。」
「そうですか。よかった。」
ホッとしたように言うと、一緒に箸を取った。
見ていて気持ちがいいほどの食べっぷりだった。なのに、どことなく、品がよい。
(よほど、育ちがいいのだな。)
感心して眺めていると
「何か?」
きょとんとして聞く。
「あ、いいえ。…ところで今日は雅さんはお仕事ですか?」
「今日ですか?午前中はうちの学校の弓道部の子達が練習にくるので、少し見てやるくらいですね。何か?」。」
「そうですか。残念だな。実は私、休暇も兼ねてこちらに来ているんですよ。
京都は始めてなので、もし、お時間があれば是非、京都の町をあなたに案内して頂ければと…。
たった今、思いついただけなのでお気になさらないで下さい。」
このまま別れたくなかったので、本当に残念だった。
「ぜひ、ご案内させてください!練習も何が何でも私がいなくてはということではありませんので、少し待っていただければ。ダメですか…?」
身を乗り出して、誘ったこちらが驚くほど、熱心に逆に誘われた。
「…こちらこそ、ご迷惑でなければ、…ぜひ。」
「よかった!では、もうそろそろ生徒達も来ますので、せ…いや、稀名さんはその間どうぞ、我が家でゆっくりなさってください。図書室もありますし、庭だけはどこよりも広いですから、どうぞご自由に散策されてください。多分一時間かそこらで終わらせられると思いますから。」
そう言うと、食事もそこそこに、立ち上がった。今にも部屋を飛び出して行きそうな彼を思わず、手を伸ばして引き止める。
「ちょっと待って。まだ、行かないで。できれば、私もその練習を見に一緒に連れて行ってれませんか?
何だか、一人でいるよりそちらの方が楽しそうだ。」
そう言って彼を見上げる。
そのアキラを見下ろす雅の顔がぼっと朱に染まる。
(え…?)
 
 生徒たちと話しながらも、雅の視界の端には、懐かしい想い人の姿が映っていた。
紅葉の木漏れ日の中、的場の見えるベンチに腰掛けてタバコをくゆらす彼。
その姿は、見るものをぞくりとさせるほどの色気が漂っている。
白皙の面に紅を刷いたような薄く紅い唇、すっときれいな眉の下には睫毛の長い切れ長の冷たい美しい瞳、白くて細い左の指にタバコをはさんで、優雅に足を組み腰掛けている様子はまるでファッション誌のモデルのようだ。
 さっきから、クラブの女の子達はアキラのそんな姿に大騒ぎで、練習どころではない。
(やれやれ、これでは、どちらにしろ俺たちはいない方が練習になりそうだ。…しかし、相変わらず、晴明は美しい…。今生でも…。)
さっきは、急に手を取られて、つい赤面してしまった。おかしな奴と思われなかっただろうか?
何しろ今朝から思わぬ事態が続いていて、いまだ混乱状態なのだ。
来客があると告げられた時は、まさか晴明だとは思いもせず。
だが、一目で晴明だと分かった。
もう、このまま会えぬのかもと半ば諦めていたから、その人が晴明だと分かった時の、ショックはものすごいものがあった。
体中が痺れたようになって、寸の間動くことが出来なかった。溢れてくる涙をこらえるのに必死だった。
明らかに向こうは自分を覚えていないようだったから、泣くわけには行かなかった。
しかし…
(俺には散々、来世でも一緒にと、山ほど呪をかけておきながら、自分は覚えていないとはどういうことだ。晴明の奴…。)
気付いてもらえなっかたことに少なからず傷ついていた。
 
 
(随分と、もてているな…)
 背の高い雅が女の子に囲まれている。
男子生徒もいるにはいるのだが、断然女の子の方が多いようだ。半分くらいは雅目当てではないのだろうか。
タバコの煙に目を細めながらその光景を見やるアキラの眉間には、不愉快そうな皺がよっていた。
最近の女子高生は、先生を先生とも思っていないところがあるせいだろうか、何人かは雅に、必要以上にべったりくっついている気がする。
見ていると何故か、理由もなくむかむかしてきた。
その時、色づいたもみじを巻き上げて、ごうと突風が吹いた。女の子達がきゃあきゃあ騒いで道場の建物の中へ逃げ込んでいった。その強い風の中、一人佇む雅。
もみじの舞い上がる中、風に目を細めながら、アキラを見ていた。
風に乱れた髪をかきあげアキラが顔を上げたとき、風の中に立ち、自分を見つめる雅と眼があった。
先日、フラッシュバックのように脳裏に浮かんだ、あの光景を思い出させるような、そんな雅の姿だった。
風の中で笑っていた黒い着物を着た男…。確かに私を呼んでいたようだった。
あの時からだ。まるで何かに憑かれたかのように自分が動き出したのは…。
「君か…?あれは…?」
唇から問いが零れる。離れて立つ雅には聞こえるはずもない。
 
「では、行きましょうか?」
気付くと目の前に雅が立っていた、さっきのことで色々考えている間に、随分時間がたっていたようだ。
「練習の方はもういいんですか?」
「ええ、さっきの突風のせいか、貴方の姿に舞い上がっていた子達も、気持ちの切り替えが出来たようで。練習メニューの指示も出しておいたから、もう、大丈夫でしょう。」
「私の姿って…?」
立ち上がりながら聞く。
「そりゃあもう大変でしたよ。きゃあきゃあ、きゃあきゃあ。貴方のようにきれいな人は朝っぱらから、女の子達には目の毒ですよ。」
いっしょに並んで歩きながら、雅が笑ってアキラに説明する。
「目の毒…ですか。参ったな。そんな言われるほどの顔では無いんだが…。むしろ、あなたの方が人気があったように見受けられましたがね。」
唇の端に小さく笑みを浮かべて雅を見る。
「私が…?あはは。ありえませんよ。この歳までロクにもてたことも無いのに。」
アキラとは対照的に、大口を開けて、からりと笑って答える。
どこかにいたな、こんな風に恋愛感情に鈍い奴が。

 
「ところで、今日は、ぜひ行ってみたいという所とかはないんですか?稀名さん。」
雅は先ほどの道場着から、今は濃紺のざっくり編んだセーターに、ジーンズ、黒縁のめがねというラフな格好に着替えて、車のハンドルを握っている。
 地元ですから自分が車を出しましょう、と雅が申し出たのだ。アキラの車は雅のところにおいてある。
「そうですね…。何しろほんとに京都ははじめてで、右も左も分からないので…。
ああ、そうだ。あそこには行ってみたいな、…名前は知らないんですが道路に面した赤い大きな鳥居のあるところ。」
 昨日、誰か座っていたあの鳥居。
人ではないものだっただろうが、確実にこちらを意識していたようだった。あれはなんだったのか、明るいこんな時間では分かるはずも無いだろうが、一度見に行きたかった。もしかしたら気配ぐらい残っているかもしれない。
 ところが、雅の返事は意外なものだった。
「あそこですか…、平安神宮の大鳥居のことですね…、う〜ン、あそこはちょっと…。」
困ったような顔になる。
「今度の機会にした方がいいんじゃないかな…。そうだ!ここからなら嵐山とかの方が近いですし、今は紅葉も最高に綺麗ですからこちらにしませんか。」
 何故かはぐらかされてしまった。
(あの場所に何か、都合の悪いことでもあるのだろうか…。)
それなら、其処は今度にしますと、とりあえず答えると、雅はあきらかにホッとした様子だった。思ったことが素直に顔に出るタイプらしい。
 そんなふうに考えていることが顔に出ているなどとは露知らず、博雅はほっとしていた。
あそこは不味いだろう、やっぱり。
 何しろ、朱雀門がなくなってからずーッと機嫌が悪かったという、あのお方が今はあそこにおられているのだから。
 晴明とは対極にいるあのお方、人ならぬもの、朱呑童子。
 
 
 いまひとたびの…(4)