いつかどこかで (3)
「ど、どうしたの?」
深草の顔に驚いて少しつっかえながら聞いた。
「…おまえってさ、な〜んにもわかってないのな」
冷たい声で深草が答えた。びっくりしてヘルメットを抱えたままの僕の腕をぐいっと引いた。ごとっと鈍い音を立ててヘルメットが落ちた。
「あ…!」
落ちたヘルメットを拾おうとした僕のもう片手も深草に絡めとられた。
「えっ!なになに…?」
わけのわからないうちに僕の体は深草の大きな腕の中にすっぽりと納まっていた。
「こっち向けよ」
そういって僕の顔をぐいっと自分のほうに向けた。怖いほどの目で僕のことを見つめる深草、その唇が僕の唇に重ねられた。
「…ん!」
目を丸くして驚く僕のあごに指をかけるとぐいと力をこめる深草、頤に力を加えられて思わず閉じていた唇が開く。
するりと深草の熱い舌が僕の口に中に滑り込んできた。その舌が僕の怯えた舌を絡めとった。
「んんっ!!」
逃げようとする僕の後頭部を大きな深草の手が押さえつける。
息もさせてくれぬほどの深い口づけ、生まれてはじめての本格的なそれに僕の頭の中は混乱しまくっていた。
…はずなのに。
僕の唇とは違う固い深草の唇、初めてふれたはずなのに、でも、なんだか覚えがあるような気がした。
そんなばかなはずはない。
深草の舌に翻弄され、朦朧としながらも僕の頭の片隅はそんなことを思っていた。
「は…ぁ」
ようやく唇を離してもらって、頬を火照らせ、額に汗を浮かせた僕はやっと我に返った。
治ったばかりの心臓が嵐のようにどきどきと脈打っていた。
激しい口づけにふっくらと濡れて膨らんだ僕の唇を、固い親指でぐいとなぞりながら冷たい目をした深草が言った。
「お前は俺のものだ…その女と付き合うなんて許さないからな」
「な、なに言ってるんだ…?」
うろたえる僕の目を、深草はきついまなざしでじっとにらむように見つめた。
「僕らはただの友達だろ…こんなの変だよ…」
真っ赤になって僕は深草から目をそらして言った。
友達はこんなことしない。
するわけない。
「悪いけど俺はただの友達のままでいるつもりじゃないんだ。そろそろお前もわかってもいいころだと思っていたんだがな」
「そんな…僕はただの友達だと思ってた…」
「ただの友達…いや、幼馴染だったのはもうずいぶん前のことだろ?」
僕の頬に手のひらを這わせながら言った深草の一言に、僕は本当にびっくりしてしまった。
思わず今のこの状況すら頭の中から吹っ飛んだ。
「お、覚えてた…の?」
「俺がすっかり忘れてると思っていただろ、おまえ」
にやりと口の端だけを上げて笑った深草は言った。
「最後にあったのは病院だったよな…俺は買ってもらったばかりのランドセルをおまえに見せにいったんだったな」
深草はあの日のことをしっかりと覚えていた。
「あれからしばらくして、次にお前に会えるのはいつだろうって母さんに聞いたら、もうあの子は遠くに行っちゃって会えないよ、っていわれてさ。…あの時、俺がどれほど悲しかったか、おまえ知ってた?」
いいながら僕のあごをとってくいと上げると、もう一度唇を奪った。
「…んんっ…」
熱くてぬめりとした深草の舌が僕の口内に再び滑り込む。
絡められた舌が熱を持ったように熱い。
「ずっと、お前のことが好きだったのに最後に裏切られたよなあ。」
唇をわずかに離して憎らしげに深草が言った。
「おまえってば、ほんと、ひどいやつだったぜ」
「僕はそんなつもりは…」
僕の存在など深草にとっては何の意味もないと思っていたのだ。
再度の口づけにどう対応すればいいのかもわからぬまま、僕は口ごもった。男にくちづけられたとういのに、なぜかいやな感じがしないことにもショックを受けていた。
女の子に告白された時には感じもしなかった感情の高ぶりに自身でも驚いてた。
「お前が目の前から消えてしまったあの小さかった時から今まで、俺には他に本当に好きになれるやつがひとりもできなかった。いつでも最後に見たベッドの中でさびしげに笑ってるお前の顔が目の前にちらつくんだ。」
言いながら深草の指先が僕の髪の中にもぐりこんできた。
「お前がアメリカから帰ってくるってかあさんから聞いて、俺、空港まで行ったんだぜ。まるで何かの呪いのように俺に付きまとって離れないこの気持ちは本ものなのか、確かめたかったからな。」
深草の硬い指先がそっと僕の髪をすいた。
「きっと子供の時に感じてたのは気のせいだったんだろうって…。でも、人ごみの中に俺はあっという間にお前を見つけることができたんだ。あんなに長い間、一度も顔さえ見たことなかったのにさ。」
来てくれていたんだ…あまりのことに僕は何にも言う言葉が見つからなかった。
「本当にぞっとしたぜ。」
「え…」
その言葉に僕はびくっと体を硬直させた。
「おまえに呪われてると思った」
そして怖くなって僕に言葉もかけずに逃げるように帰ったのだと深草は言った。そんな風に思われていたと知って、僕はまるで背中に冷水を浴びせられたような気がした。
「じ、じゃ、僕のこと入学してきた時からわかっていたのか…?」
おそるおそる僕は聞いた。
「一目見てすぐにわかった」
では、あの時、教室に入ってきた深草と目が合ったと思ったのは、間違いではなかったのだ。
「呪われてるなんて思ってるくせに、なんで僕と友達になろうなんて言ったんだ…?」
忘れられないことを怖がっていたというのに友達になろうなどと言うのはおかしな話ではないか、僕はまるで化け物のように言われて少なからず傷ついてそう言った。
「それは、あることを思い出したからな…」
妙に大人びた声で深草は言った。
「な、なにを…?」
「おまえが自分を思い出したら、詳しくおしえてやるよ」
「お、思い出すって…本当は幼馴染だ…ってこと?」
それはもうわかっているはずのことだった。
だが、深草は首を振った。
「そんなことじゃない。」
「え?」
「…おれの言ってるのはもっと前だ。」
「もっと前って…?」
「思い出せなければそれでもいいさ。でも、お前が俺のものであることには何のかわりもないからな」
僕の体をぐっと抱き寄せて深草は言った。
「だから、僕らはただの友達だって…」
すこしでもその大きな腕の中から逃れようと背を反らしながら、僕は言い返した。なんだかこの腕の中にいることに違和感のない自分に気づいて、僕は自分が信じられなくなり始めていた。
「友達はこんなキスをするのか?」
「…あ」
うろたえる僕をその腕の中深くに捕まえた深草はそう言うと、僕の唇に3度目のくちづけを落とした。
始業時刻を知らせる学校のチャイムも聞こえずに僕は、段々とその唇に溺れていった。
バイクを止めてある古い倉庫の中。薄暗い倉庫の一角に古ぼけたビニール張りのソファがおかれている、その上に重なる僕と深草。
僕の両手を動けぬように頭の上に押さえつけると深草は怖い目で僕を見下ろした。
「おまえが本当は誰のものか思い出させてやるよ、泰…いや、史人」
「や…やめ…」