いつかどこかで(1)

  


「いつかどこかで…」


大きく笑う声に史人は顔をあげた。
うるさそうな前髪がメガネをかけた顔にかかってその表情を暗く見せていた。読んでいた本から目をあげると教室の向こう側の方で仲間に囲まれて深草雅臣が楽しそうに笑っていた。
友達も多く女の子からもよくもてているとうわさの深草。色の白い自分とは違って彼は健康そうな浅黒い肌に、きりっとした目鼻立ちの男らしい顔をしている。勉強もスポーツも万能で人気も高かった。

(すごいな…。僕とは全然別世界だ…。)

そんなことをぼうっと史人は考えていた。と、その深草の視線が史人の視線とぶつかった。
ぱちっと音がするかと思った。
史人は、はっ!と気づいてすぐに目をそらし、さっきまで読んでいた本にあわてて目を落とす。

(びっくりした…)

心臓がどきどきと脈打った。その心臓の辺りに手をやりぎゅっとシャツを握った。もう、大丈夫なはずなのにまた心臓が止まるのかと冷や汗が額に浮かぶ。
昨年心臓の大手術をした史人。ようやく今年から普通に学校に通えるようになったのだった。それまでの長い間、ほとんど学校にも行けず友達もできなかった。ただ病室で勉強だけはしっかりやっていたので体がようやく治ってきた今年無事に高校へと進学することができた。
ほとんど初めてといってもいいほどの学生生活、すべてが新鮮で驚きに満ちていた。ただ、あまりにも周りの生徒たちと感覚が違いすぎて、共通の話題もなくいつの間にかクラスから浮いた存在となり友達と呼べるものもいまだに一人もできていなかった。さびしくないわけではないがこれも仕方がないことだと妙に納得している史人。周りの楽しそうに騒ぐ同級生たちをいつも遠くに感じていた。

(学校に通えるようになった…それだけで充分じゃないか…。)

ただ、ふつうに学校に通えるようにはなったが今でもまだ激しい運動ができるわけではなく、体育のときなどはいつも見学ばかりだった。
体育の授業はほかの生徒の見学をすること以外することがない。いつの間にか史人は一人の生徒ばかり目でうようになっていた。

深草雅臣。

きっと僕のことなんて覚えてないだろうな…ちょっとさびしい気もするが仕方がない
彼と一緒に遊んだことなんて数えるほどしかないし。

でも僕にしてみれば彼はずっと僕の心の中に住んでいたのに。

体育館の片隅で白い半そでのカッターシャツに黒のズボンという制服のままでひざを抱えながら座って皆がバスケットのミニ試合をしているのをぼんやりと眺めていた。

「あぶねえっ!」
大きな声にはっとして史人が顔をあげると、目の前に大きな体が突っ込んでくるところだった。
「わあっ!!」
驚いて避けようとしたが間に合わなかった。

どかっ!!

「ぐうっ…!」

おきな体に全力でぶつかられて息が止まった。目の前が暗くなる。

「おいっ!大丈夫か!?」
誰かが声をかけているのと周りのざわめく声が遠くに聞こえて史人はそのまま気を失った。


消毒の臭いに目が覚めた。
気がつけば史人はいつのまにか保健室の固いベッドの中にいた。
「…痛た…」
体中のあちこちがずきずきと痛んだ。額に手をあててみるとそこにはどうも絆創膏が張ってあるようだった。
「お、気がついたか?」
ベッドを囲むカーテンがしゃっとあけられて深草が顔を覗かせた。
「深草くん?」
「悪かったな、覚えてるか?ぶつかったの俺なんだ…勢いついちゃって…。ホントごめんな。」
「う…ううん、あやまんなくたっていいよ。ぼけっとして周りをちゃんと見てなかった僕も悪かったんだし。」
一生懸命に誤ってくれる深草の態度にあわてて起き上がったら体中に痛みが走った。
「痛うっ…!」
両手で自分の体を抱きしめて痛みに耐えた。たぶん打ち身なのだろうが体中の骨が砕けたかのように痛い。
きっと他の生徒だったならここまで体ががたがたになることもないだろうに。自分の思うようにはならないこの弱弱しいからだが情けない。じっと動かない僕に心配そうな深草の声がかかる。
「だ、大丈夫か…?」
「う…ん。なんとか…」
心配げに自分を覗き込む深草に史人はどぎまぎと目を背けた。
「あの…もしかしてここまで運んでくれた?」
「ああ。俺、力だけはあるからな。」
にこりと笑って深草が答える。
「そっか…迷惑かけちゃったね、ありがとう。」
史人は痛む体をさすりながら頭を少し下げた。
窓からはもうすっかり斜めになった日が差していた。いったいどのくらいの時間ここで伸びていたのだろう。ここからでも校内がすっかり静かになっているのがわかった。
「もしかして下校時間過ぎてる…?」
史人が恐る恐る聞くと
「ああ。とっくにな。」
とけろりと答える深草。
「まいったな…。」
頭を抱える史人。
「いま保健の先生に帰るって伝えてくるから、おまえそれまでここで待ってな。」
「えっ!?」
驚いて顔をあげるともうすでに深草の姿はそこになくパタパタと廊下を走る音だけが聞こえた。
「もしかして送ってくれるつもり?」


「先生には内緒だからな」
そういって指差したのはバイクの後部座席。
「Z−U!」
「へえ、よく知ってるな。」
驚いたように言った。
「自分じゃ乗らないけどバイクは好きなんだ。」
滑らかな革張りの座席に手を滑らせた。
「いいなあ…」
「ま、いいから乗れよ」
すぽっと頭に予備のメットをかぶせられた。

どうせ今日はもう勉強もしないんだろうからかばんは明日もってきゃいいと身ひとつで乗せられた史人。
「しっかりつかまってな。」
遠慮がちにまわした手をぐいっと引っ張られて前で交差させられる。体が深草の背にぴたりとくっついた。
(なんだかどきどきする…)
ガウッ!
エンジンが狼の咆哮のような音を立ててかかった。
「いくぜっ!」
エンジンの音に負けないように大きな声で深草が怒鳴った。

轟々と耳元で風が過ぎてゆく音が聞こえる。心臓が悪かった自分がたとえ後部座席とはいえバイクにのっているなんてまるでゆめのようだ、そう考えていた時。
深草が困ったように言ったのがその暖かい背中を通じて聞こえた。
「…わりい…家どこだ?聞くの忘れてとびだしちまった…」
「ぷっ。」
史人は思わず噴出してしまった。もしかしたら普通の高校生になって初めて本当に笑ったのかも知れなかった。
「いたた。」
笑ったら打ったところがずきんと痛んだ。
「おい、大丈夫か?」
「大丈夫。」
そう答えると史人は自分のいえの場所を深草に教えた。
「なんだ案外俺んちと近いんだな。これなら帰り道じゃないか」
「ああ、そうなんだ…。」
ほんとはもっと近かったんだよと心の中で付け加える。

深草はきっともうおぼえてなどいないだろうけれど本当はお隣同士だったんだ。同じ年同じ日に生まれたんだよ、僕らは。母親同士はとても仲がよくて二人同じ日に子供を産んでそれはそれは大喜びだったとか。男の子と女の子だったら絶対許婚にするって言ってたそうだが、残念ながら男の子同士でそれは無理な話となったと母は笑って話してくれたが。
小さなころから心臓の悪かった僕はあまり外に出て遊ぶこともかなわず、病院を出たり入ったりの生活で、となりどうしだというのに深草とほとんど遊んだこともなかった。
彼はたまに母親に連れられて僕の入院していた病院へ来てくれたこともあったが、僕にとってはうれしいことでも深草にとってはつまらないことだったろうと思う。いつも、そわそわと落ち着きなく病室の外ばかり見ていたっけ。ほとんどまともに話したこともないまま、父の仕事の都合で僕ら家族は遠くアメリカへと引っ越した。日本にいるよりむこうのほうが腕のいい心臓の外科医がいたせいもあってそのころ6歳だった小さな僕を連れて両親はこの国を後にしたのだった。深草がうれしそうにぴかぴかのランドセルを見せに来てくれた1週間後のことだった。

あれから11年。もうあのときのことなどきっと覚えていないだろう深草とアメリカから戻った僕は偶然にも同じ学校、同じクラスになった。最初は僕も気づかなかった。
誰も知るもののない初めてのクラスで教室の窓際の席に座って本を読んでいたときだった。大きな声で笑いながらたくさんの友人に囲まれて教室に入ってきた彼にふっと目線が行った。
はじけるような健康そうな笑顔。僕が得ようとしていまだ得られないまぶしいほどの生きる力、そのすべてを具現化して深草はそこにいた。

うっとうしいくらいにまぶしいヤツ…、あの時僕はそう思ったんだ。僕がずっとほしかったものすべてを持っているように見えた。…いや実際本当にそうだった…もちろん今でもそうだけど。健康とたくさんの友人と。それからはたで見ていてもわかるあふれるような自信。
彼と比べてあまりにも弱い自分、小さなころの話なんてできるわけもなかった。

僕にもいくらかの友達はいるけれど、僕自身はいまだに深草とろくに話をしたことすらない。なんとなく僕のほうが避けていたのだとはわかっている。

「ここでいいのか?」
深草がバイクを止めて聞いた。
「うん、ここでいいよ。ありがとう」
家の前で深草のバイクからおりると僕は彼に改めて礼を言った。
「君のせいだけじゃないのにこんなことまでしてもらっちゃって。悪かったね。ほんとにありがとう。」
「なに、気にすんなよ…それに実は俺、一度お前と話してみたかったしな」
ふいと顔をそむけて深草が言った。
「え?」
「ほら、お前ってばいつでも物静かでさ、あんまり俺なんかと話したこともないだろ?俺たちはいつでもガチャガチャうるさいし。」
「…」
なにが言いたいんだろう?
「それにお前って女の子にもすごくモテてるし。知ってっか?お前女子の間じゃ白百合の王子さまなんていわれてるんだぜ。」
「えっ!なにそれ!?」
さすがにこれには驚いた。
「なんてネーミング…。明日から学校にいくがいやになりそうだ…」
げっそりとしていう僕に深草があわてたように言う。
「え!学校休むなんていうなよ!今の冗談だよ、冗談!」
「…休まないよ、それしきのことで。僕のほうこそ冗談だよ。」
「ほっ…よかった。じゃあ、明日の朝迎えに来るから。またな」
口早にさっさとそういうとヘルメットをかぶってバイクにまたがった。
「えっ!いいよ、一人で行くから。」
「いいんだ…俺が迎えに来たいからくるんだ…じゃ、あしたな」
「ええ?」
今度はもう返事も聞かずに深草の乗ったバイクは走っていってしまった。

       続きます…




  お気に入りの牡丹のふたりのその後のお話、晴明と博雅は残念ながら出てきません、ゴメンナサイ(汗)
  
   いつかどこかで・2

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