崑崙の娘(2)



その夜、深夜である。しんと静まり返った美術館の展示室に4人の男達が現れた。何もない空間に光の亀裂が入ったかと思うと、まるでカーテンでも掻き分けるようにして展示室に下り立ったものたち。全員が黒のスーツに黒のネクタイ、おまけに黒のサングラス、全身黒づくめであった。暗闇に溶け込むようなその姿。

「姫はどこにおられる?」
サングラスをはずしながら朱雀が言った。
残りの3人もそれぞれサングラスをはずし、ぐるっとあたりを見回した。その4人の目は明らかに人間とは違っていた。
「…おかしい…、姫の気配がないぞ。」
と金色の目の玄武が言った。
少し離れたところまで見に行った白虎が残りの3人を手招きした。その瞳は銀色。
「おい、ここだ…だが、これは…」
3人が歩み寄る、そしてガラスケースの中を覗き込んだ。中にはあの黄金色に輝く卵。
「…いないな。」
蒼い瞳の青龍が言った。
「なんてことだ。今までこんなことはなかった…姫はいったいどこに行かれたのだ。」
険しく眉根を寄せていかつい顔の玄武が言った。
4人の中で一番思慮深い紅い瞳の朱雀が腕を組んで考え込む。
「いや、一度もないわけではない…、青龍、姫がこの中から、前に出られたのはいつだった?覚えているか?」
「確か夏の王のときだったな。」
思い出すように青龍。
「そうだ、あの男にずいぶん惚れ込んで、天空をいじるやら土の神を引っ張り出すやら大騒ぎだったな。」
苦い思い出に口元をゆがめて大きな犬歯をむき出して白虎が笑った。
「…ということは。」
「また、誰かに惚れたな。」
「だな。」
「なんてことだ。」
額を寄せ合ってケースを除きこむ4人は同時に「はあ‥」とため息をついた。
「いい加減くにに帰りたいよ、俺は」
「俺だってそうだ、崑崙がなつかしい。」
力の抜けた玄武に白虎も言った。
「みんなそうだ。もう少しの辛抱だ。気を落とすな、玄武、白虎。」
朱雀がやさしげに言う。
「あの問題に決着がつくまでの辛抱だ。われわれの使命はそれまで姫をヤツからお守りすること。今が一番肝心なときなのだ、決して油断などしてはならない。みな、気を引きしめろ。」
青龍の一言でみなの背が伸びた。
そうだ、故国を懐かしく思っている場合ではない。その故国の運命はリンメイが握っているのだった。
「では、われらがリンメイ姫を探しに行こうではないか、皆。」
目つきが力強いものに変わった3人に青龍がそう声をかけた。


金色の光が闇の空をすべるように飛んでゆく。
小さな光の粒のように見えるそれをよくよく目を凝らしてみれば、それはまるで天女のような姿だとわかるだろう。虹色に輝く羽衣をひらひらと風になびかせて長い髪を風にそよがせ飛んでゆく天女。

その光の粒を同じ闇の中から見ているものがあった。
「見かけぬものがいるの。」
応天門の上に腰掛けて朱呑童子がつぶやいた。
少し離れたところをすべるように飛んでゆく金色の光を目で追っていた。
「ああ。ここらでは見たことのない上玉だな。どこのもんだ?あれは。」
隣に立つ黒川主も言った。
「知らぬな。」
と朱呑童子。
「俺も初めて見たな。それにしてもあの方向だと…気のせいかもしれぬが…」
言いかけた黒川主の言葉を引き取って朱呑童子が言った。
「博雅殿のところだな。たぶん。」
「あ、やっぱり?」
黒川主がにやっと笑った。
「また何かあったな。まったくつくづくトラブルに巻き込まれる方だな、博雅どのは。」
と、朱呑童子。美しい柳眉が心配げに顰められた。
「あれはもう一種の才能だな。…にしても…ククッ。」
「なんだ?」
「晴明も苦労が絶えないことよなあ。まああんなやつだから同情する気もないけどな。」
「確かに。だが博雅殿も心配だ。小さいが今のあれはなかなかに強い妖気を放っておるようだからな。‥ちょっと行って様子を見てくる。」
そういうと朱呑童子は烏に姿を変えてパッと飛び立った。
「博雅どの大事は晴明といい勝負だな、朱呑童子どの。」
飛び立った姿を見送りながら黒川主は小さく笑った。
 
はるか前方をひらひらと飛んでゆく小さな光を烏に姿を変えた朱呑童子が追いかけてゆく。
「小さいくせにものすごい妖気だな…いや…これは妖しの気配ではないな…まさかとは思うが…」
少し思うところがあった朱呑童子。はっと気がつくと目の前の光が見えなくなっていた。どこへ消えたかとぐるりと周りを見回すと、光は下に向かって降下を始めているところだった。
やはり博雅の屋敷の上であった。
「やはり、ここか。」
ふむと朱呑童子は嘆息した。本当にいろんなものを引き寄せるお方だ、今度はいったいどこからあのようなものと知り合ったのだろうと不思議でしょうがない。
「だが、この屋敷は晴明の張った強力な結界が張り巡らされているはず。この私だとてあれを破るのは容易ではないというのに。さて、どうされる?」
悪い気も感じられぬので、朱呑童子はそのまま宙にとどまり様子を見ることにした。
パシッ!!
はじける音ともに青い光の壁がその小さな光の粒をを弾き飛ばした。
やられたなと朱呑童子がみていると、その小さな光はしばらくまるで小さな虫のようにぶんぶんとあたりを飛んでいたが再び宙にとどまり、今度は少し後ろのほうから勢いをつけて、もう一度結界に向かって突っ込んでいった。
シュンッ!
ちいさな青い光を一瞬光らせて光は結界のなかへと消えた。
「ほう。なかなかやるではないか。」
にやりと朱呑童子は笑って自分もその姿を豆粒よりも小さく代え、先ほど光が作った隙間を抜けて博雅の屋敷内へと滑り込んだ。

 
「まったく、あのお転婆娘娘(にゃあにゃあ)め、どこへ行った?」
ネオンにきらめく街の明かりを、はるか眼下に見下ろしながら白虎が言った。
4人はまるで普通に地面に立っているように中空に浮いていた。
「ま、そうかりかりするな白虎。姫だとて馬鹿ではない。あまりあの隠れ家から遠くへ出ぬほうがよいということくらいわかっておろうさ。」
落ち着いた声で玄武が言った。
青竜は少し心配そうだ。
「だが、ここはわれらの土地ではない。異国の地だ。どんな妖しや神がいるか知れたことではない。それにやつが姫を追っていないとも限らぬぞ。朱雀、おぬしのその千里を見渡す目には姫の姿は映らぬか?」
はるか眼下を大きく見渡しながら朱雀が困ったようにその美しい眉をひそめた。
「…見つからぬ。その気になれば姫はわれらの前から姿を隠すことなど朝飯前だからな。」
「そうか…、では仕方がない。ここから見ていても見つからないなら、地べたを這うまでだ。ゆくぞ。」
4人は夜の街に向かって降りていった。
 
(あいかわらず可愛いの。)
朱呑童子の口元に思わず笑みが浮かぶ。
頬を、抱きこんだ枕に深くうずめて博雅は眠っていた。女性も羨むような長いまつげがベッドサイドの小さな灯りを受けて、頬に影を落としている。軽くあけられた唇から静かに寝息がこぼれている。蹴飛ばしたのであろう、上掛の掛かっていない博雅のパジャマの上からでもわかるその腰の細い体の線。
博雅はなんとも無防備な艶を放っていた。
小さな光がその顔の前に止まった。
ぽんっ!と小さな音がして博雅の目の前に唐風の異国の薄物を身にまとった美少女が現れた。なにか宝石のついた杖のようなものを抱え込んでいた。
両手を互い違いに幅広の袖の中に隠したその少女は眠っている博雅のほうへと顔を傾けた。首飾りが揺れ、しゃらりと小さな音を立てた。
『われのものなり』
遠い昔の外国(とつくに)の言葉でそうつぶやくと博雅の額にそっと口づけた。博雅はむにゃむにゃと寝言を言ったようだったが起きだす気配はなかった。
その異国の少女はじーっと博雅の顔を覗き込んでいたが、やがてまたちいさな光に粒へとその姿を変じた。そして、そのまますいっと博雅の左耳のシルバーのピアスにつけられたオニキスの中へ吸い込まれるように消えた。
 
「ずっと、くっついている気か。‥なんとも気に入られたものだの。」
部屋の片隅で芥子粒のように小さくなって一部始終を見ていた朱呑童子が微苦笑をした。
「…それにしても見事なものだ。妖気が一切漏れてこない。これでは晴明だとてあんなところに誰かが隠れているなど気づきもせぬだろう。…ククク…。」
晴明が誰かに出し抜かれるところなど見たこともないが今度は確実にそれが見れそうだと思うと、朱呑童子の顔に楽しそうな笑みが広がった。
博雅の装身具の中に隠れたものの正体など知る由もないが、邪悪な気は感じられなかった、むしろどちらかというと天部のものの気…。
「もしかすると博雅どの、とんでもないものに好かれたかもな…。」
何事もなかったようにぐっすりと眠る博雅の顔を見て笑った。
「まったく能天気なお方だ。確かに晴明も苦労することよの。」
普段、運気の強い晴明であるが、今日のような日にタイミング悪く博雅を一人きりで置いておくとは今回ばかりはヤツも運がなかったな。
朱呑童子は、自分のいた妖気の痕跡を念入りに消すと屋敷の外へと抜け出した。
明日の朝、もう一度様子を見に来るつもりでいた。
 
まだ、人の多い深夜の繁華街を例の4人が歩いていた。
それぞれ身長こそ違えど、夜だというのに黒のサングラスに黒のスーツの集団は周りを行く人に威圧感を与えていた。4人が歩いてゆくと人の波が避けるように分かれてゆく、中には「ひっ」と声すら上げるものまでいた。だが、その4人はそんなことなど一切お構いなく、あたりに油断なく視線を走らせていた。
すらりと背が高く、女かと思うほどの美貌の朱雀が背の低い玄武に言った。
「なんだかこの街は異様に妖しの気配が強くはないか?」
「ああ、俺もそう思う。周り中、妖しのにおいでいっぱいだ。こんなところは長安以来だな。」
「こうまで妖気が溢れていたのでは、自ずから消した姫の気など見つかるわけもないぞ。」
と横から青龍。朱雀のように細面だが、こちらはまるでナイフでそいだような感じの顔だ。
「小さい妖気ぐらいなら邪魔にはならぬが、大きい妖気は邪魔だな。‥消すか?」
そう言ってすごむ白虎を朱雀が止める。
「待て、白虎。それはあまりに乱暴だ。ここにはほんの数日いるだけなのだ。そのわずかの間にここの妖しどもを消すのはあまりだろう。今はとにかく地道に探してもう少し様子を見よう。」
「ふん、甘いな、朱雀。その間にあいつ‥北斗がきたらどうするのだ。リンメイ様は父君、東華帝君様の宝杖を護ってあそこに居られるのが使命なのをおぬしとて知っておろう?リンメイ様のお命も大切だが、あれをとられてしまえば我らとて無事はすまぬのだぞ!」
牙をむき出し吼えるように言う白虎を冷たい目で見て青龍が言った。
「熱くなるな白虎。おまけに声がでかい。ここは異国の地だということを忘れたか、もう少し自重しろ。」
「そうだ、青龍の言う通りだ。ここにはいろんな妖気が漂ってはいるが、まだ北斗のものはその中には混じっていない、その配下のものもだ。たぶんリンメイ様がどこに隠れていたかもヤツはまだ知らないはずだ。今は、焦って騒いでこの地のものたちに我らの存在を知られるわけにもゆかぬのだ。」
一番のリーダー格の玄武の落ち着いた声。
「今は静かに探そう。」
「くそっ!ああ、わかったよ。」
玄武にぽんと背中をたたかれて、白虎は渋々うなずいた。
 
そうやって4人の守護がリンメイを探しているころ、当の本人にはといえば博雅のピアスにはめ込まれた輝石の中で居心地よく、ぬくぬくと丸まっていた。
『このひと、あったかい‥。おまけに、なんて澄んだ心。人間にこんなにきれいな心のものがいるなんて、驚き。』
いつもうるさい守護の4人が今回はついて来ないとわかって本当に嬉しかったはずなのに、いざ、いないとなると、どんどんと不安になっていったリンメイ。
もし、あいつが自分の場所を見つけて襲ってきたらどうしようと怖くなった。
父神さまから預かった大切な宝杖をぎゅっと抱きしめて震えながら縮こまっていたとき、不意に声をかけられた。
「きれいな子だな。いつもの護衛と離れて心細くはないか?でも、大丈夫。きっとここにはそう長くいることもないから心配するんじゃないよ。すぐにみなのところへ戻れるさ。それまでわずかの間だ、がんばれよ。」
周りで人間たちが自分の隠れた金の卵について話をしているというのではなく、明らかに自分に向けられた言葉、しかも不安な今の気持ちをわかって励ましてくれているような言葉。
びっくりした。
うつむいていた顔を上げて見上げれば、そこに日の光のようにあたたかい笑顔があった。リンメイの胸の鼓動が跳ね上がった。
とても端整なのに、とてもあたたかいその顔。胸の中にしこっていた不安が日の光のもとの雪のようにすべて溶けさってゆくのを感じた。
『あ‥』
思わず声をかけそうになった。
が、その人は誰かに呼ばれたようだった。
「おう、いまゆく!」
そう返事をすると、自分のいるガラスケースをぽんとたたいて「じゃあな」といった。
まるで、暖かな手で肩をたたかれたような気がした。
そしてリンメイは博雅に恋をしたのだった。


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