「祭りの音」(2)




「結界を越えても消えはしないさ。」
そういいながら、晴明はその場にしゃがみ込んだ。すぐ脇を歩く人が不思議そうに見て行くが、晴明は気にしていないようだった。難しい顔をして参道の石畳をじっと見つめた。それからおもむろに片手を伸ばすと、敷石の上を人差し指で、すっ、となぞった。
なぞった人差し指の先を見る。
 
「ふうん」
 
その柳眉が片方上がる。
 
「何?」
博雅が覗き込むようにして聞く。小さな身の丈の狸の老人も覗き込む。
「それは…?」
「泥人形の土だな」
指先に付いているのは濃い茶色の土。その土を親指と人差し指でじゃり、と潰して晴明は言った。
「泥人形?」
何だ、それは?と聞く博雅に向かって狸の老人が晴明に代わって言った。
「墓の土を使って作る形代のことでござりますな」
「ああ。そうだ」
「墓の土で作る?」
「そうだ、骨が混じっていればもっといいけどな」
土を見つめて晴明が言う。
「そ、そんなのがなんでここにいたんだ?っていうか、そんなわずかの土くれで何故それが墓場の土だとわかるんだ?」
「こいつからは死人の気が立ち登っている。鼻の効く陰陽師なら誰でも気づくさ。おまけにろくでもない嫌な臭いまでする」
さも嫌そうな顔をして晴明は立ち上がった。
「こいつがスーツでも着て立ってたって、周りの人間は誰一人それがひとがたなんて気づかないだろうな」
「あれは人と似ておりますからな。それにしても、何故そのようなものがここに…。それにあの子は…」
もしや、と思う老人の顔が曇る。
 
「攫われた、と見るのが自然だな」
 
「やはり…」
小さな老人ががっくりと肩を落としてさらに小さくなった。
「だ、大丈夫ですよ、きっと!だって、まだその子がいなくなって、わずかもたってないじゃないですか。それに変な泥人形だかなんだか知らないけど、それが悪いものとも限らないじゃないですか」
博雅は老人を気遣って一生懸命言う。
が。
「悪いものに決まってるじゃないか。早くなんとかしないとそいつ、…危ないぞ」
 
「晴明っ!」
 
一番、言っちゃあいけないことをさらりと言う恋人に博雅が声を荒げた。
 
 
「で、でも、どうするんだ?影もいなくなっちゃたし、浚われたって言ってもどこにいったかわかんないじゃないか」
「まあ、待て、博雅。ここをどこだと思ってる?」
「ここって…?」
「仮にも腐っても千年の都だ、そこらへんに目撃者いっぱいさ。」
「目撃者?」
ふふん、と鼻で嗤う晴明に博雅と老人は困惑の目を向けた。
「結界には入れなくてもこんなギリギリの場所だ。」
そういうと晴明は石の鳥居から一歩外に出た。ぐるっと一当たり見回すと、すたすたと五、六歩歩いて、すぐ近くの植え込みの影の中に隠れた漬物石ぐらいの石の裏に手を突っ込んだ。
 
「よっと。」
「うぎいい〜っっ!」
「何だ、そいつは?」
晴明の手の中で暴れる小さな生き物らしきものに博雅は首を傾げる。
「こいつはその石の下で眠ってた蟇蛙だ。いつからここに居るのかは知らないがもう十分妖怪化してるからな。」
そういって
「おい。ここに居て何を見た?」
じろり、眼光鋭く尋問した。
「ゲ…」
「ゲじゃわからん。ちゃんと話せ」
まさに蛇ににらまれた蛙。蟇蛙はどもりつつゲコゲコと話し始めた。
 
 
「お、おいら半分寝ててから…ゲコ…よく知らねくって…ゲロ」
「か、蛙がしゃ、しゃべった…」
目を丸くする博雅。が、晴明は妖しならそれぐらい当たり前だ、とその蟇蛙と話し始めた。
「それでも、少しは聞くか見たかしただろ。蟇蛙ってやつは意外と音に敏感だ、周りで変なことがあって気づかないわけがない」
「そりゃあ…でも、変なことって言ったら…ここの小僧がでっけえ声あげてたことぐらいだよ…ゲコ」
人には聞こえなくってもおいらたちにゃあ、うるさくって。と、蟇蛙はゲコゲコ言った。
「そいつだ。それは何時ぐらいのことだ?」
「さあなあ。ちいと冷えてたから日の暮れぐらいでねえの?ゲコ」
「臭いは覚えてるか?」
「ああ、一応な、ゲロ。何しろ臭かったからなあ。ありゃあ、死人の臭いだな。」
昔、墓場に住んでたころよく嗅いだ臭いだよ、と自分だって相当臭うくせに蟇蛙は言った。
 
「ならば話は早い」
 
そう言うや晴明は掴んだ蟇蛙を地面に降ろした。
 
「臭いを嗅いで俺たちを案内しろ」
「へ?」
びっくりして蛙が晴明を仰ぐ。
「晴明、いくらなんでもこいつにはちっと無理ってもんじゃあ」
博雅も言った。
が。

 
「いや、本当に凄いな、おぬし」
狸の老人がつくづくとため息を付いた。
「やっぱり、頼んで正解じゃった」
 
「いや、なんつーか、なんでもアリだな。おまえ」
 
ゲコゲコと吼える小汚い『犬』に博雅はあきれて笑った。
 
 
 
「ここみたいだ…ゲコ」
クンクンと蟇蛙の犬が匂いを辿ってたどり着いたのは、繁華街の真ん中に立つ大きなビルだった。
狸の老人の社とはまるで世界が違う建物だ。
「本当にここでその泥人形の匂いが消えてるのかい?」
半信半疑の博雅が聞く。墓場の土で作ったまがいもののひとがたが潜り込むなら、やはり墓のある寺とか崩れた廃屋とか。
が、蟇蛙犬は
「間違いねえ。死人のくっせー臭いがこの中に続いてら。あんまり臭くってゲロ吐きそうだゲロ。」
鼻に皺を寄せてそう断言した。
 
「妖しがこんな建物に巣食うものですかな。」
狸の老人が時代が変わったんですかの、と言うと
 
「妖しばかりが不可思議なものに関わるとは限らないようですよ」
 
ビルを黙って見上げていた晴明が低い声で言った。
 
 
「うわっ!」
 
博雅のすぐ隣を歩いていた狸の老人が尻餅をついて転んだ。
「だ、大丈夫ですか?」
あわてて博雅がその手を引く。が、老人は少し腰が上がっただけで立とうとしなかった。いや、立てなかったのだ。
「こ、これは」
それ以上前に進めぬよう、目に見えぬ壁がビルの入り口に立ちふさがっているらしい。
「妖しを入れないための結界ですね」
博雅より一歩前をゆく晴明が振り返って言った。
「け、結界ですと?」
神社や仏閣ならまだしも、このような近代的な建物に?
「どうやらあなたのお弟子さんは本当にこのビルの中に捕らえられているようだ。」
人気のないロビーを見渡す晴明。モダンな作りにはなっているが何とも表現のしがたい嫌な雰囲気がそこには篭っていた。
 
 
ギイッ…。
 
博雅が重いガラスのドアを押すときしんだ音を立てて開いた。人外のものである狸の老人と蟇蛙はそこに立ちふさがる結界によって入ることができなかったが、博雅と晴明はすんなりとそこに入ることが出来た。
むしろ容易すぎるぐらいだ。
天井の照明だけが冷たく照らすロビーに人影はない。
「誰もいないみたいだな」
ひとあたり見渡して博雅は言った。
「どうする、晴明。上に上がってみるか?」
ロビーの奥に見えるエレベーターを指差して聞く。
「いや、こちらから出向く必要はなさそうだ」
入り口のドアの前で腕を組んで立った晴明は視線を天井に向けて答えた。
「え?それはどういう…?」
驚いて聞き返した博雅、晴明の視線の先を追って言葉を止めた。
天井には入り口を真正面から捕らえる形で小さな監視カメラが取り付けられてあったからだ。
「妖しではないと思ってはいたが…」
油断したな、と晴明は唇の端を上げて自嘲した。
「やばい?」
「まあな」
「じゃあ、引き返すまでだ」
「帰すつもりはないと思うぞ」
その晴明の言葉通り、取って返そうにも今すんなり通してくれたはずのドアがびくとも動かなくなっていた。
それでも諦めずに博雅がガタガタをドアを揺すっていると、エレベーターの音がチンと鳴った。
 
 
エレベーターの扉が開く。思わずそっちのほうを見た博雅が「わっ!」と驚いた。
狭いエレベーターに黒メガネに黒スーツの男たちが隙間もなくぎっしりと乗り込んで、いや…『詰まって』いたからである。
「な、なんだ…こりゃ」
あっけに取られて思わず口が開く博雅。
男たちは、押し合いへし合いしながら満員電車さながらにエレベーターから降りてくる。かなり苦しそうな状況のはずなのに男たちはまったく顔に表情がない。
「な、なんだこいつら?」
エレベーターから這い出してきた(そう言ったほうがかなり適切だ)男たちに取り囲まれはじめながら博雅が聞いた。
「なんかおかしいぞ」
「これらがさっき言った土くれの人形(ひとがた)さ」
「え?ホントに?」
こんなでかいのか?と博雅は目の前にぞろぞろと並ぶ泥人形を驚きの目を向けた。博雅もわりに大きいほうだが、こいつらときたらそろいもそろって巨漢で博雅や晴明より頭ひとつ以上も大きい、きっと体重だって一回り以上だ。
「そ、それにしても確かにやばいな」
黒い壁のように自分たちを取り囲む人形たちに博雅が少し焦る。
「やばい?」
何が?と隣に立つ晴明は博雅を見た。
「何が、って、今のこの状況だよ。さっき言っていたやばいことってこのことだろ。あまり友好的な雰囲気とはおせじにも言えないものなあ」
「やばいってのはこいつらのことなんかじゃない」
「え?だって、これってかなり危ない状況だぞ。これよりって…」
両手を振り上げて今にもいっせいに飛び掛ってきそうな黒い集団。これよりヤバイものなんて?
だが、博雅の心配をよそに晴明はフンと鼻で笑った。
「こいつらが危ないだって?たかが土くれだ。」
そういうと博雅の背中に手を伸ばした。
「え?それ?」
晴明が手にしたものを見て博雅があっけにとられた。
「こいつで十分」
博雅の腰に指してあった金魚模様のカラフルな団扇を手にして稀代の陰陽師は笑った。
 
無言で二人を囲む泥人形の黒メガネ。明らかに博雅と晴明の二人に危害加える気マンマンである。ジリジリと二人を囲む輪を狭めてくる。
その輪の真ん中で晴明は派手な団扇を顔の前に立てて、すぐそばの博雅にも聞こえないほどの小さな声で呪を唱えた。
 
「…劫」
 
最後にはっきりと聞こえる声で一言言うと、晴明は手にした団扇をバサリと大きく振った。
 
あたりにゴウッ!と凄まじい風がつむじを巻いて巻き起こる。
「うわっ!」
びらびらっ、とすごい勢いで太ももまでめくれ上がる浴衣の裾を思わず押さえる博雅。
「お、エロいな」
「ば、ばっか!なに言ってんだ!」
ほんのちょっと前までいちゃついていた博雅、晴明の言葉に真っ赤になって言い返す。と、そこでハッと気づいて回りを見渡せば…。
「なんだ、もう終わったのか?」
ふたりの周りに壁のようにいた男たちの姿が一人もいなくなって、代わりにリノリウムの床に黒い土の塊があちこちに山になっていた。
「土は土に。骨は骨に。」
ぱたぱたと団扇で顔を扇いで晴明は言った。
 
 
 
「これは素晴らしい」
 
天井の一角から誰かの声が聞こえた。
 
 
 
 
 
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