「祭りの音」(1)

シャンシャンシャン…
 
 
遠くから聞こえる囃子の音。
それと一緒に、ぼんやりと聞こえてくるさわさわとした祭りの喧騒を一人の男が自宅の庭先で聞いている。
 
月明かりの庭。
池のほとりの草むらからリーリー、と虫の声。
ちゃぽん、と小さな水の音。なにやら池に飛び込んだらしい。
 
 
 
ふう、とひとつ小さな溜息をついて、その男は下界の明かりに照らされて星がうっすらとしか見えない街の空を見上げた。
縁側の柱に背を預けてため息を吐いているのは青年というにはちょっとばかり落ち着きすぎの感のある男、源元雅、本当の名を源博雅、世が世なら一般庶民とは席を同じにすることもない雲の上の身分の人間である。が、今は一介の高校教師、本人もそれに満足していていたって暢気なものである。
その普段はにこやかでのほほんとしている博雅が珍しく溜息をついているのは何故だろうか。
その彼がもうひとつ「はあ…」と溜息をついた。
よほど深刻なようである。
 
「過保護ってことばをあいつは知らないんだろうか」
 
祭りのにぎやかな音を微かに聞きながら博雅は言った。今日はここから少し行ったところにある神社の秋祭りの日だ。
「今日び、子供だってひとりで祭りぐらい行くぜ」
…どうやら、祭りに行くのを誰かに禁止されたらしい。(子供か…)
 
「普通の奴ならな」
背後から声がかかって博雅は柱から背を起こしハッ、と振り返った。
 
両手にガラスのグラスを持ってそこに博雅の運命の恋人、兼超過保護(と博雅が思っている)な束縛者が立っていた。
「ほら」
片方のグラスを差し出す恋人。その端正な顔をギロッと睨み付けて
「いらね」
プイ、とふてくされたように博雅は顔を背けた。
「なんだ、機嫌が悪いな」
「あったりまえだろ!」
この恋人が自分の元に帰ってきてから始めての祭りの夜。今日は河原で花火もあるし、二人でこっそり手の一つも繋いで一緒に祭りに行きたかった博雅、ご機嫌は超ナナメに決まっている。
「祭りなんて人ごみで暑苦しいし、喧しいし、おまけにそれに紛れて妖し連中もうようよしている。そんなところにお前を行かせるわけにはいかないだろ。機嫌を直せ」
博雅が受け取りを拒否したグラスを代わりに干しながら晴明は言った。どうやら自分は行かないという大前提の上で話をしているらしい。
そこに気づいた博雅。
「まさか、俺がひとりで行くと思ってる?」
「いや、どーせガッコの餓鬼どもとだろ?」
博雅にまといつくのは、妖しだろうと年端もゆかぬ高校生だろうと快く思っていない狭量の恋人は露骨に嫌な顔をして言った。
一瞬ポカンと口の開いた博雅。が、次の瞬間
「ばっかじゃないのか…晴明」
「馬鹿?」
グラスを唇に運びかけた晴明、さらにムッとした顔で博雅に目をやった。
「おまえと行きたいに決まってるじゃないか」
「俺と?」
 
 
というわけで博雅の説得が功を奏したのか、一緒に行きたいと言うのが自分だと分かったせいか、とにもかくにも博雅は晴明とただいま祭りの雑踏の中にいた。
博雅は紺の浴衣、晴明は白い浴衣、それぞれに涼しげな落ち着いた柄のはすが博雅のほうは妙に明るく華やいで見えた。
「なんだか色っぽいな」
そんな博雅に晴明が眉を寄せる。
「それはお前のほうだろ…」
余計な心配をする恋人を博雅は呆れたように笑った。
白い浴衣っていうのは着る人を選ぶ。下手に着ればまるで棺おけから出てきたみたいにだって見える。が、この背の高い恋人はそれをさらりと優雅に着こなしていた。
立ち姿が実にさまになっている。姿勢がいいとか背が高いとかそういったことではない。もっと根本的なところが常人と違う。最初から馴染んでいるのだ、たぶん。
 
白い姿に。
 
…白い陰陽師。
 
目の前の男に過去の姿が重なって見えた。
 
思わずぼう…っと見蕩れた。
 
「なんだ?大丈夫か、博雅?」
「はっ?ああ、…うん」
 
「俺の顔に何かついてるか?」
言いながら晴明は自分の顔を撫でた。
「い、いやっ、何も!」
ちょっと人ごみに酔っただけだ、と博雅はあわてて首を振った。
「なら、いいが。でも人ごみに酔うぐらいならやっぱり帰るか?」
心配そうに晴明は博雅の顔を覗き込んだ。いつもなら人も妖しも震え上がらせる切れ長の瞳が今は特別に優しく暖かい。
その顔に、暑いからといって軽く後ろで結わえた髪のほつれ毛が一筋。優しい瞳と相まって魅力倍増、パーフェクトな美貌。すぐそばを通る女性が思わず振り返って二度見してゆく。
 
「…綺麗だ」
「…なんだって?」
 
思わず出た一言に優しげだった晴明の目がクッと細められた。
「えっ?いっ、いやっ!な、何を言ってるんだ、おれっ?」
ボッ!と真っ赤になって博雅はオタオタと目をあらぬ方に泳がせた。その目がすぐ目の前の露店に止まる。
 
「あっ!あ、あれ!あれやろう、晴明!」
 
博雅の心の中を見透かすような晴明の視線をさえぎって博雅は目の前の露店を指差した。
「ふむ…まあ、よかろう」
ちらり、そっちを見て晴明は答えた。
 
…何に対しての返事だかよくわからなかったが。
 
 
 
パン!
 
景気のいい音とは裏腹に、弾は的のライターを掠りもせずにその後ろの幕に当たって跳ね返った。
 
「あっ!くそっ!!」
手にした射的の銃を片手に博雅は悔しさに顔をしかめた。
「なんだ、やりたいというから得意なのかと思ったら大したことないな」
組んだ腕を袖の中に入れた晴明がふふん、と隣で小ばかにしたように笑う。
「ちょ、ちょっと手元が狂っただけだ。次は絶対当てる!」
さて、どうだかな、と小首をかしげる晴明を横目に、博雅はもう一度銃を構えなおした。が、またしても弾は的を外れた。
「はは、てんで当たらないな」
「ううう〜、こんなのは苦手なんだ、これが弓なら百発百中だ!」
手にしたちゃちなライフルもどきを恨めしげに睨んで博雅は唇を噛んだ。
「弘法筆を選ばず、と言うがな」
晴明は博雅からひょいと銃を取り上げるとそう言って博雅の代わりに銃を構えた。そして、さっきから博雅が狙っては外している金色のライターに照準を合わせると博雅のほうを向いて唇の端をほんの少し引き上げて。
 
「俺なら的を外さない」
 
自信たっぷりに言った。
 
「は、はは、そんな、つ、強気の発言しちゃって、い、いいのか、ゴルゴ31じゃあるまいし」
的を射抜くような目で見つめられて博雅は目を泳がせる。
 
「賭けるか?」
「な、何を?」
「決まってるじゃあないか」
 
 
 
「ば、ばかっ…や、やめっ…!」
浴衣の裾を割って滑り込む手をあわてて押さえながら博雅は言った。
「こんなところで、やめろ…ひ、人が来たらどうするんだ」
が、相手は一向に気にしたそぶりも見せずに笑った。
「誰も来ないさ、もし来ても俺が追い払う、安心しろ」
「そ、そんな問題じゃないっ!」
「何が問題だ?おまえは賭けに負けたんだぞ」
「うっ!」
暗い社の裏で晴明に追い詰められて博雅は言葉を失った。
挑発されて賭けに乗ったのは間違いなく自分自身だったので返す言葉がなかったのだ。
「あんな賭けは、む、無効だ」
「無効?何を言っているのかな?言葉とはいつも言っているとおり呪だ、口から出てしまった約束は取り消すことなど出来ない呪、つまり双方の間に成り立つ契約だよ。妖しとなんでも約束したりするなといつも言っているだろう?それは俺たち陰陽師に対しても同じさ。呪を扱うのものと軽々しく約束など交わすなということだな。」
「あ、妖しか、陰陽師は」
「まあ、近いかもな」
と、いうわけで約束は違えられないものだ、と晴明は博雅の下着の中にするりと手を滑り込ませた。(さすがに外出の際は下着を着けております)
「…あ…っ…」
「なんだ、こっちのほうが素直だな」
本体の気持ちとは裏腹に硬度を上げつつある博雅のナニをさわりとなで上げて性悪陰陽師は笑った。
 
「もっと足を開けよ、博雅」
ぐるりと裏手に回った社の庇に博雅を腰掛けさせて晴明が言う。
「や、やだ…っ…」
誰にも近づけないように結界が張ってあるとはいえ、こんな戸外で大事なところをさらすなんて真っ平ごめんと博雅は首を振る。
「なら、ちゃんとできないぞ、いいのか?」
「うっ…、それもヤだ…」
ウルルと目を潤ませた博雅はさらに首を振った。
 
博雅の腰掛けた床の両脇に手を付いて顔を寄せる晴明。その唇が博雅の唇に重なる。
「…ん…っ…」
咥内に滑り込む晴明の舌に博雅の鼻から熱い息が漏れる。
重なり合った晴明の唇が満足げにその端を上げた。

晴明の攻勢にすっかり屈した格好の博雅、この際ここがどこでももういいや、そんな気持ちになったところで…。
 
 
 
「お取り込み中のところ、まことに申しわけないんじゃがの〜」
 
突然掛けられた声に博雅の目がバチッ!と開き、
 
「むがっ!!」
 
素っ頓狂な声を上げて、晴明の唇をもぎ放した。
「だ、誰っ!?」
真っ赤になる博雅、が、それに対してそのくちづけの相手は
「誰だ…?」
零下何百度の氷の表情で、声のした背後をギロリとねめつけた。
 
「あ、やっぱりまずかったかの?すまぬすまぬ」
暗い中から、申し訳なさそうな声がした。
「まずいに決まっておるだろうが…」
これ以上ないほどの不機嫌な声で晴明は闇の中を見下ろした。
「まったく、これだから、祭りの夜は嫌いだというんだ」
「え?どういう意味…あっ!」
晴明の目線を追って下を見た博雅、思わず驚いた。
 
そこには、随分と小さな人影が立っていた。
暗闇にぼんやりと見えるシルエット、よくよく目を凝らしてみれば。それは身の丈3尺ほどの老人の姿であった。
晴明が昔よく着ていたような、白い水干を身に付け、地面まで届きそうな真っ白なひげを蓄えた、白髪の老人、少し曲がった腰で、自分の身の丈ほどもある杖を付いている。
「あ、あなたは…」
言いかけた博雅を晴明が制する。
「見たとおり、妖怪変化だ、いちいち名など聞くな」
「ほっほっほっ、妖怪変化とはこれはまた…、私がそんなものでないことぐらい、あなたならわかりましょうほどに」
小さな老人は肩を揺らして笑った。
「…せ…っ…」
晴明、妖しじゃないって言ってるそ、と言いかけた博雅、バシッと口に手を当てられ言葉を止められた。
「むむ?」
目だけで、晴明に何をする、と抗議する博雅、その耳に晴明は小さく言った。
 
『こっちの名を明かすなど、さらに言語道断だ』
 
あっ!そうか、うんうん、と博雅は首を縦に振る。
 
 
 
「チビすけ、悪いが見ての通り取り込み中だ、外してくれ」
博雅の浴衣の袷に手を滑り込ませながら、悪びれもせず晴明は言った。が、勿論博雅のほうはそういうわけにはいかない。
「ばっ…!ばか、何言ってるんだ!」
晴明の手を掴むと、浴衣から引っ張り出して前を掻き合せた。
「ご老人、何か私たちに用でも?」
むう、と不機嫌さを増す晴明を尻目に博雅はその小さな老人に尋ねた。尋ねた、というよりもこの場をしのぐために、とりあえず聞いてみた、といった風だったが。
 
「おお、よくぞ尋ねてくださった!」
 
が、あっさりそれに乗った老人はうれしそうにパタパタと手を叩いた。
晴明は小さな声で、簡単にひっかかりやがって、と文句をいったが、とんでもないところを見られかけて、やや動転しがちの博雅には聞こえていないようであった。
 
「わしはこの社を任されておるものなのじゃがな。」
老人は博雅の隣にチョコンと腰を掛けて話しはじめた。
「任されている、ということは、こちらの神さまですか?」
ええっ!と驚いて博雅は言った。
「違うに決まってるだろ。」
博雅のもう一方隣に座った晴明が間髪いれずに即答した。
「違うのか?」
「神なら、もっとオーラとかなんとかあるだろうが。とにかくこんなショボくなんかない」
腕組みをして、晴明は老人を一瞥した。
「これ、そのような不遜な言い方をするな」
諭す博雅に
「ほっほっほっ、そのとおりでございます。よくお分かりで。」
老人は愉快そうに笑った。
「あくまでもわしらは神からこの社を任されたもの。まあ、今で言うところの管理人でございますな」
「管理人…」
「維持と管理、あと守護、ですかな」
見かけに似合わぬ現代的な言葉で老人は説明した。
 
「さすが、狸、頭はいいようだな」
「た、狸だって??」
 
博雅はびっくりして老人に目をやった。

「はいはい、古狸でござります」
にこにこと笑って老人は言った。確かによく見れば狸に見えないこともないような…。
思わず老人の後ろを覗き込む博雅。
「これぐらいの古狸になると、そんなに簡単にはシッポなど出さないぞ」
口の端だけを上げて苦く笑うと、晴明は博雅の浴衣の衿を掴んで自分のほうに引っ張った。
「私たちは忙しいのだ、さあ、さっさと話せ」
晴明は冷たい目で年寄り狸を見下ろすと先を促した。
「はい、実は…」
晴明の氷の視線など気にもせぬ風に古狸は話し始めた。

「うちの若いのが先日より行方知れずになってしまいましてなあ」
「若いの?」
「わしの弟子でございます」
「…子狸?」
博雅が小さな声で晴明に聞く。
「たぶん100年ぐらい経ってるな」
「あ、そう」
「その若いのとやら、人にはもう化けれるのだろう?ならば、きっと祭りのお囃子に釣られてその辺の縁日にでもいるさ。」
いい大人でさえ釣られるからな、とちろり、博雅の方を見て晴明は言った。
「心配するほどのことはない」
そう続けると博雅の袖を引っ張った。
「帰るぞ」
「あ、お待ちくだされ!」
あわてて老人がその晴明の背に声をかける。
「確かにその子は祭りを楽しみにしてはおりました。でも、縁日など…。今日はここの守護をあの子に受け継がせる大切な日でございました。そんな日に遊びになどゆくような子ではございません」
「晴明…」
うるうると目を潤ませる老人に、博雅は袖にかかった晴明の手に触れる。
その手を見下ろす晴明。
ふう、とひとつ息をつく。名を明かすなといったことも忘れているお人よしに晴明はやれやれと首を振る。

「わかったよ。探せばいいんだろう」

あきらめたようにそう言った。


「あんたも少しは探したんだろうな、勿論?」
小さな老人を見下ろして晴明は聞いた。
「も、もちろんですとも。ここの縁の下から果ては町外れまで、探せるところは全部探したつもりでございます」
「…なるほど」
あごに手を当てて考える晴明。
「では、私が気を飛ばして探ったとしてもほとんど意味がないな」
「え?」
あっさりお手上げ宣言とも聞こえるセリフに博雅が驚く。
「そんな…」
「落ち着け博雅、同じやり方をしてもだめだというだけの話だ。こんな貧乏臭い姿をしていてもこのじいさんは、ほぼ天部の連中と同じぐらいの力を持っている。その力で探しても無駄だったものを私がやったとて同じことさ。」
「あ、そうか。では、どうやって?」
「いなくなったという小僧の影を追いかける」
「影?」
「そうだ」
博雅に向かって頷くと晴明は古狸の老人に向って言った。
「そのいなくなったという小僧の身体の一部、ないしはいつも身に着けてた服の一部とかないか?」
「身体の一部といえば毛とかじゃろうが…、ああ、そうじゃ、いつも身に着けてたリボンがあったはずじゃ」
「リボン?その子って男の子じゃないんですか?」
「男の子じゃよ、もちろん。」
「じゃ、なんでリボン?」
「なんでも昔、人間に助けられたことがあったとか、そのときの記念の品とか言っておったがなあ」
「なんでもいいから早く出せ」
二人の会話をさえぎって晴明が言った。
「そんな思い出話などしている暇があるのか?まったく」

「お待たせもうした。これでございます」
晴明に急かされて古狸老人が社の奥からリボンを持ってきた。
古ぼけて色も薄れたリボンである。
「これか。まあ何とかなるだろう」
それを受け取った晴明、指先でつまんで目の前にぶらりとぶら下げた。
社の脇の御神燈の明りに古ぼけたリボンがふわり、と風に揺れた。それを見て博雅がちょっと驚いた声を出す。
「青?」
確かにその布切れの色は薄れてはいるが確かに青い色をしていた。
「なんだ?それがどうかしたか?」
いぶかしげに晴明が片眉を上げる。
「い、いや、普通リボンっていえばピンクか赤かなと思ってたものだから」
「それ以外の色だってないことはないだろうさ」
「ま、そりゃそうだけどさ。ちょっと意外だったなと思ってさ」
「…この際色は関係ない。」
ちょっと間を置いてそういうと、晴明はそのリボンを足元の地面に置いた。
「少し離れていろ、博雅」
「何をするんだ?」
晴明に言われたとおり、リボンから少し離れて博雅はその隣に並んだ。
「影に道案内をさせる」
「ほう」
その答えに古狸老人が眉を上げた。
「なるほど、その手があったか」

リボンからふわふわと黒い湯気のようなものが吹き上がる。物珍しそうな顔をして見ている博雅と狸老人の前で、やがてその黒い湯気のようなものは少しづつ形を整え始めた。

小さな狸老人よりもさらに小さな人の形。
「あっ!」
博雅が少し驚いて声を上げた。
なぜなら、その小さな人影に今度こそ太いモコモコのシッポが生えていたからである。
「今度は博雅の望み通りシッポ付きだ」
手の指を複雑な形に結んでいた晴明が唇の端を少し上げて笑った。


「さあ、ゆけ」
小さな黒い影法師に向って晴明が命ずる。
影法師はちょっと戸惑ったように辺りをきょろきょろと二、三度見回すと、タタッと走り始めた。
「あ!」
「ほら、追いかけるぞ」
驚く博雅の腕を引くと晴明はそう言った。
「わしもゆきますじゃ」
狸の老人もふたりの後を慌てて追いかける。

祭りの人ごみの中を小さな影が早足で縫うように駆け抜けてゆく。
その後ろを晴明と博雅のふたりと狸の老人が離れぬようについてゆく。
「なあ、晴明。」
「なんだ?」
「あの影法師他の人たちにはもしかして見えないのか?」
誰も見向きもしないその影に博雅は頭をひねる。
「当たり前だろ。そんなこと。いkらなんでもこれだけの人出だ、変なのが足元をちょろちょろしてたら気付かないわけがない」
「じゃあ、後ろのご老人もか?」
「無論だ。」
「…ふうん」
「なんだ?」
変な顔をして黙る博雅に晴明が頭を傾げる
「なら、俺たちって…随分変なふたりだよな」
そこで、博雅はクスッと笑った。
「変?」
ますますいぶかしげになる晴明。
「なにがだ?」
「だって、人ごみの中をマジな顔して足早に歩く浴衣姿の男ふたりって…どうよ?」
「…。」
黙る晴明、どうやら言われて初めて気付いたらしい。

「この落とし前は誰につけてもらうかな…」
白い浴衣の陰陽師の背後にゆらり、殺気の炎が燃えあがった。


小さな影が本体の通った後をなぞってゆく。その影は時々、立ち止まっては縁日の店を覗く。
「祭りなんて関係ないとか言っていたが、やはりそこは子供。あちこち覗き込んでいたらしいな」
「うむ。」
晴明の言葉に博雅がうなずく。
「子供ならこんな近くでにぎやかな縁日があれば、そりゃなあ」
100年も生きてて子供っていうのかなあ、と少々疑問に感じつつ博雅は答える。それに気づいたのか、晴明は博雅のほうをちらりと見て言った。
「言っておくがな、博雅。100年といっても年齢のことではないからな。」
「え?」
「小さい時に死んだ子狸の霊が社の護りとなって100年の年を経た、という意味だからな。」
「え?そうなのか?」
「しかも普通の死に方では、社の護りなどにはならない。よほど事情のある死に方をしたんだろう。ま、今回のこれとは関係なかろうが」
「へえ」
思わず感心する博雅、と、子狸の影が急に動いた。

くるり。

急に後ろを振り向くや、その小さな体がビクッ!と飛び上がる。
「なんだ?急に動きがおかしくなったぞ」
と博雅が言うと同時にその小さな影はさっきまでとは比べ物にならないスピードで走り始めた。

「わ!大変だ、晴明!」
「わかってる」
あわてて後を追おうとする博雅の肩を抑えて晴明が言った。
「これ以上こんな人ごみで走らせるな」
そういうと浴衣の袖に片手を入れて隠すと、その中で何かの印を結んだ。赤い唇が小さく動いて呪を唱える。

トトト…。

小さな影がビデオの巻き戻しのようにゆっくりと戻ってきた。

「なにもそのときのとおりに行かねばならぬこともないからな」

「たいしたものじゃ」

博雅の足元に並んだ老人が感心したように言った。




「止まれ」
後ろ向きで戻ってくる影法師に晴明が命じた。
ぴたりと止まる影。
「…ふむ」
ストップモーションのように固まった影法師を見下ろす晴明、あごに片手を当ててひとつ唸った。
「どうした?なにかあったか?」
その様子に博雅が心配げに聞く。
「この視線」
晴明が言った。
「視線?」
「ほら、見てみろ、この影の顔の位置。」
くるりと円を描いて影の顔の部分を指で示すと、そのまま指先を移動させてその目の辺りを指差す。
「振り向いた後、あごが上がっている。確か、このすぐ後身体が一度跳ねてそれから猛ダッシュしてたな…。」
「と、いうことは?」
「多分、何か…いや、誰かに声をかけられたんだ」
「そうかこの子は小さい、誰かに呼ばれたとしたら、ほとんど自分より大きいもののはずだもんな。あごが上がって上を向く格好になるな」
「そう、たぶんな。で、その声をかけた者は友好的ではなかったらしいな」
そのすぐ後、びっくりして猛然と駆け出したぐらいだ、あの走り方はとても追いかけっこといった遊びには見えなかった。まるで、悪魔にでも追いかけられたみたいな必死さだった。友好的な相手ではなかったことはたやすく推測できる。

「スロー再生でもう少し先に行ってみるか」
「ああ。」
「お願いしますじゃ」
心配げな不安を顔に浮かべた狸の老人に、うむ、と軽くうなずいて晴明は影を先に進ませた。

時々、後ろを振り返りながら人を掻き分け影が走る。

「完全に逃げてるな」
「でも、何からだ?」
だって、後ろの老人と同じように人には見えない小さな者だ。
「犬?」
「いや、違うだろう。犬ならさっきの視線の高さが合わない」
「あ、そっか。ご老人、何か心当たりはありませんか?」
博雅は振り返って後ろをついてくる古狸に尋ねた。
「いや、何も心あたりなんぞ…。いなくなるまで何もかもいつもどおりでございました」
「そうですか…。いったい何があったんでしょうね」
と、ぴたりと前を行く晴明が止まった。
後ろを振り返りながら話していた博雅、気づかずにどんとぶつかる。
「おわ!急に止まるなよ、晴明。ぶつかっちゃったじゃないか」
「すまん。」
「どうしたのさ」
すまんとしか言わなかった背中に向かって聞いた。
「…うむ、消えた。」
「消えた?影がか?」
「ああ。」
「なんですと!」
晴明の脇を抜けて博雅と老人の二人が前へ出る。

さっきまで前をちょろちょろ走っていた影法師の姿がなかった。

「どこへ行ったんだ?」
博雅はきょろきょろあたりを見回す。
「どこもここもない。目の前で消えた」
「こ、この植え込みに入ったのではござらんか?」
道の脇の低木の植え込みを老人が指差す。小さな子狸ならいくらでも潜り込めそうだ。
「いや、その手前で消えた。たぶん、ここに逃げ込もうとしてたんだろうな。そんな感じだった。」
腕を組んで難しい顔をして晴明が説明した。

「面白くないな。…実に面白くない」

はらり、額に落ちた髪にうるさそうに目を眇めて陰陽師が言った。


そう呟くと晴明は今辿ってきた経路を振り返る。この神社は本殿の建物こそ普通の大きさだがそこにいたるまでの参道は長い。本殿の手前の鳥居につくまでに6本もの鳥居をくぐる。参道とはいえ、その脇には店も立ち、車も通るといった道路とさほど変わらない参道だ。ずっと昔の時代には大きな通りから脇にずっと入ってくる参道だったのだろう。
今、晴明たちが立っているのは、その参道の始まる本殿から一番遠い場所だ。見上げれば、この神社に参拝するものがまず一番にくぐる石の鳥居がそこにあった。

「この社の結界はここから始まっているんだな」
「さようでございます」
鳥居を見上げる晴明に老人が答える。
「え、こんな遠くからか?」
「神社の結界に広さとかはあまり関係がないんだ。その社の力の及ぶ鳥居、要するに神の陣地を示すものがそこにあれば、たとえ隣の町にまでだって結界は張れる。」
驚く博雅に晴明は説明した。
「じゃ、じゃあ、その子狸が消えたのはこの結界を越えたから?」





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