いまひとたびの…(1)
早朝の柔らかな光が閉ざしたはずのカーテンの隙間から彼の整った顔に差している。少しまぶしそうに彼が目を開ける。
「…。」一瞬自分が何処にいるのか分からなかった。
「ああ…そうか…。昨日の夜についたんだったな…。」
ベッドからおりたつと髪をかきあげながら、窓まで歩いていく。。カーテンに手を掛け、わずかな隙間から外を見る。
朝もやにけぶる紅葉が見事だ。
「やはり東京とは随分違うものだ。」
そうつぶやく彼の名は 希名 明(マレナ アキラ) MARENA・COPORETIONの経営者だ。
座っていてもわかるほどのかなりの長身。抜けるような白い肌、襟元まで無造作に伸びた少し茶色がかった髪、切れ長の目に通った鼻筋、紅を刷いたような紅い唇にはあるかなしかの微笑みのようなものが常に浮かんでいる。だが、、よく見ると優しげに見える目の奥には冷たさすら感じさせる意志の強さがあった。この意思の強さで彼は今の地位まで上り詰めたのだ。
また、彼には人とは違う不思議な力が備わっていた。いつからか記憶はないが物心がついたころにはもうその能力はあった。
土地の気を感じたり、見えないものが見えたり…。
彼の本当の父は幼い頃に亡くなった。母が生活のために再婚した義父は彼の人にはないそんな力を気味悪がり、まだ幼いアキラに冷たく当たった。人は己に理解出来ないものには恐怖を感じるものだ
体の弱かった母がなくなってからはまるで化け物のように義父に疎まれ、彼の表情からはだんだんと感情が消えていった。やがて、高校を卒業する頃には家を出て一人で暮らし始めていた。もう、あの義父の元に戻ることなど考えられなかった。
バイトと奨学金で大学を出た、あの時から十年近くの年月が過ぎた。
今のアキラは若き成功者だ。常に冷静で頭の良かった彼にとって金を稼ぐことなど造作も無いことだった。
いろんな仕事をして貯めた金をを資金にして、まず土地を買った。僅かな土地だったが、やがて値の上がることは土地の気から感じていた。自分の能力を最大限に駆使して、アキラはやがて会社を興し、事業を拡大していった。
今では、その人を寄せ付けない冴え冴えとした美貌と、明晰な頭脳で業界のカリスマと言われている。。
ただ、会社は大きくなっていったがアキラの心は、相変わらず空虚なままだった。何かがいつも足りなかった。金は使いきれぬほどにあったし、抱こうと思えばどんな女も望みのままだった。
だが、いくら欲しいものが手に入っても、いくら女を抱いても真から満たされることはなかった。
満たされていなければおかしいくらいのはずなのに…。
「何が足りなくて私はこんなに苦しいんだ? 俺の心はこれ以上何を望むというのか。」
そんなことを考える自分に嫌気が差す。
「今まで会社を大きくすることばかりにかまけてきたが…」
高いビルの最上階にある広い社長室から、はるか下に見える都会の街を見下ろしながら、考える。
ビー。
机の上のインターフォンを押す。すぐに扉が開き有能そうな秘書が顔を覗かせる。
「お呼びになりましたか、社長。」
「ああ、しばらくの間、休暇を取ることにした。急で悪いんだが、スケジュールの調整をしてくれないか?」
そう言って少しばかり口の端に微笑をのせる。秘書の頬にほんのりと紅がさす。どうやらアキラに恋心を抱いているらしい
。多分優しい言葉の一つも囁けば、簡単に落ちるのだろうが、そんな秘書もこの娘がはじめてというわけでもないのであえて気付かぬふりをする。
「わかりました。それで、いつからお休みをおとりになるのですか。」
「そうだな…今日からにしよう。今かかっているプロジェクトはそれぞれのスタッフにまかせていく。よほどのことが無い限り 私に連絡はしないでくれ。」
そういって、今日からと聞いて慌てる秘書を残してアキラは会社を後にした。
「ふう…。さて、どうするか…」
車を薄暗い地下の駐車場から発進させながら、ひとつ溜め息をつく。
何しろ突然思い立って休暇を取ることにしたのだから、これといって何の予定も無い。一人でどこか海外にでも行くか、それとも愛人のところにでも行くか…。どちらも大して心動かされるものではなかった。
信号待ちのフロントガラス越しに見る街は、いつの間にかすっかり秋の景色だった。街路樹が鮮やかに色づき始めている。
「必死に仕事をしている間にいつの間にか秋だな。…」
鮮やかな黄金色に染まった公孫樹をみつめて、彼にしては珍しくぼうっとなって独り言を呟く。
「やっぱり休暇が必要だ…。」
海外のバカンスに一緒に行くかといわれて、まだ若い彼女は喜びで舞い上がっていた。
「本当に!?わ〜!すっごく嬉しい!どこに連れて行ってくださるの?ヨーロッパなんていいわよね〜」
一糸纏わぬあられもない姿で抱きついてくる。
「わかったから、とりあえず何か着ろ。」
「ふふふ、だってあなたが脱がせたんじゃないの。」
妖艶に微笑むとアキラに身体を投げかけてくる。
「まったく、しょうがないな、」
もう一度身体を重ねようとした時、携帯が鳴った。しばらくほうっておいたのだが、鳴り止む様子が無い。
「誰だ、いったい。あれほど連絡するなといっておいたのに。」
口付けにうっとり我を忘れた様子の彼女を押しやり、携帯を手に取る。案の定会社からだった。
思わず整ったアキラの顔に不快の色が浮かぶ。
「あれほど連絡するなと…」
言い終わらないうちに電話口から大きな声が響いてきた。
「我が家の土地は死んでも売らぬからな!!汚いマネなど辞めていただきたい!」
鼓膜に響くあまりの大声にあっけに取られた。
やがてなにやらガタゴトもめている物音が聞こえて、慌てたような秘書の声が耳に飛び込んできた。
「申し訳ありません!社長!この方がどうしても社長に面会をと…。どうしてもお帰りにならないので、社長にお伺いを立てようとお電話していたら、急に横から受話器を取られまして…!あっ!ちょっとお客様!困り…」
最後まで言えない内にまた、さっきの声が飛び込んできた。
「失礼とは思ったが、こちらも急を要するのだ。散々待たされた挙句、今日は面会も連絡も出来ぬと言われるではないか。。
私とて、そうそう暇ではないのだ。今日中に向こうに帰らなければならぬのでな。だから、どうしても言いたいことだけは言わせていただく。私の地所を荒らさないで貰おう。それだけだ。」
「君は誰だ?」
何故か妙に心がざわめく声だった。いつかどこかで聞いたような…。
「社長。本当に申し訳ありません。お止めしたのですが随分お力が強くて、受話器を奪われてしまいまして…。」
「吉本君、それより今の方ともう一度話がしたいんだが、代わってもらえないかな。」
ざわめく自分の心にに少し、苛々しながら促す。
「それが…、言いたいことはもう言ったからと、たった今帰ってしまわれまして…。申し訳ございません。」
「そうか…、で、今の方はいったいどなたなのだ? 私にはわからなかったのだが。」
何故ちゃんと引き止めないのだと言いたいのをぐっとこらえて静かに聞く。
「今かかっているプロジェクトのひとつの、京都のリゾート開発に関わる方です。たしか、源元様と仰られるはずです。」
(みなもと…。)
いまひとたびの…(2)