沙 羅
博雅、こと、源元雅は今,生徒とともにある講演会に来ている。先日の仮装行列の折、みなの前で初めて竜笛を吹いたのだがどうもそれを「京都歴史研究クラブ」の連中が聞いていたらしい。この「京都歴史研究クラブ」とは学校の中でも特に変わったクラブで、京都の歴史といっても裏にあるほうの変な歴史の話ばかりほじくり返して研究しているマニアックな連中だ。怨霊だの鬼だの‥もちろん陰陽師のことまで。自分に関係の深いことばかり調べまくっている連中なので博雅としてはなるべく接触しないように避けて通っていたのだが、ついに先日声をかけられた。
「先生!源元先生!」
帰ろうとして車のドアに手をかけたところで、後ろから走ってきた生徒に呼び止められた。
「おう。なんだ?俺に用か?」
ドアを開けたまま振り向いた。
ハアハアと息を切らせて駆け寄ってきた生徒を見る。確か隣のクラスの子じゃなかったか?授業では何度も見ているが直接関係はなかったはず。不思議そうな博雅にその生徒が言った。
「ええ。僕は隣のクラスの小野って言います。実は先生に「歴史クラブ」からお願いがあってきました。」
「歴史クラブ‥。俺に用って?」
その名を聞いただけでつい身構えてしまう。
「先生、先日の仮装行列の時、笛を吹かれたでしょう?うちの連中があれに感動しちゃって。今度、そういった和楽器についての講演会とイベントが開かれるんですよ。で、それにみんなで行こうかってことになったんですが、校外活動には顧問が一緒にいかなきゃなんないでしょ。でも、悲しいかなうちって弱小クラブで顧問の先生がいないんですよ。で、先生に今回だけ顧問としてつきあっていただけないかなーっと。どうでしょう?先生、どうか頼まれていただけませんか?」
ニコニコと、先生が快諾してくれるのが当たり前とばかりにお願いされた。
「急に言われてもなあ。俺も一応、弓道部の顧問やってるしなあ。」
「そこをなんとか!何もずっとっていってるわけじゃあないし。お願いしますっ!‥それに今回のイベントには竜笛から笙まで平安時代の本物の楽器も展示されるっていう話ですよ。先生も笛好きなんでしょ?ぜーったい楽しいですよう!」
なかなか鋭いところをついてくるやつである。
というわけで笛につられて、今、博雅はここにいるのである。
今はその講演の真っ最中だ。ステージの上ではどこかの大学教授が話をしている。その話を聞いて喜んでいるのかと思いきや、少し機嫌の悪そうな顔の博雅。
なぜかというと‥。
「え〜。この源博雅という人はいろんな文献にちょこちょこ顔を出している人物なので中には知っている方もいらっしゃるでしょうが、笛や琵琶に関しては達人で、楽聖といわれたほどに大変に優れた人物だったようなのですが、それ以外は、まあ、なんというかおっちょこちょいというかルーズな人物だったようですねえ。まあ、はっきり言って音楽馬鹿というか‥。」
会場からどっと笑いが起きる。博雅はますます、その端整な顔を不機嫌そうにしかめた。
スライドで、柱の影からひょこっと顔を出したちょび髭の親父の絵が大きく映し出される。
「はい、これが楽聖博雅(はくが)の三位と呼ばれた人物の姿です。なんだかちょっとへっぴり腰でほんとに近衛府中将だったのかと疑いたくなりますねえ。」
またしても会場から笑い。その後、「長慶子」を作ったとかなんとか、少しはいい話もしていたようだったが最後まで博雅の機嫌は直らなかった。
むすっとしたまま講演を聴き終え、今度は笛の展示会場へと足を運んだ。
(なんなんだ、さっきのあれは。俺はあんな変なヒヒオヤジじゃなかったぞ)
さきほどのことをむかむかと思い出しながら展示会場へと入ってゆくと、先にここに来ていた歴史クラブの連中に声をかけられた。
「先生!こっちこっち!」
おう、と軽く手を上げてそこまで行く。
「なんだお前ら。いっしょについてきてくれって言う割には誰一人さっきの講演聞いてなかっただろ。…まったく、いったい何しにきたんだ…。」
「ああ。講演聴いてたんですか、先生。まじめだなあ。」
と、歴史クラブの部長。
「そうですよ、俺たちの本当の目的はこっち。」
部員の小野がガラスケースの中の楽器を指差して言った。
ガラスケースの中にはそれは美しい楽器が飾られてあった。
秦琵琶とも呼ばれるゲンカンという琵琶の一種。覆手は年代の入った木製で,金箔地に玳瑁を貼り螺鈿と琥珀で花卉紋の飾りがついている。槽の模様といえば中央に八つの蕾をめぐらせた複合八弁唐花紋、その外回りにはそれぞれ瓔珞をくわえた二羽の鸚鵡がこれもまた、螺鈿をふんだんに使って描かれている。
それを目にした博雅、声もない。
「ね、すごいでしょ。きれいだと思いませんか?何でも平安時代の楽器らしいですよ、それにこれには実は凄い秘密があるんですよ。」
キラキラと目を輝かせながら話す歴史クラブのメンバーたち。わずか5人ほどのクラブではあるがその情熱たるやハンパではない。
「…ひ、秘密って…?」
ドキドキとしながら思わず聞き返す博雅、なぜこんなにドキドキしているのかと言えば、じつはこの秦琵琶には見覚えがあったから…。
「なんでもこの楽器は誰にも音を出すことができないんだそうですよ。色々と科学的に調べてみたけれどもなぜ音を出さないのか誰にもわからないという、まあ言ってみればオーパーツのようなものなんです。…せんせ、きっとこいつには何か悪霊とか怨霊とかそういうのが憑いてると思いませんか?」
最後はひそひそと秘密をこっそり話すように言った。
「…ばか。そんなものついてるわけないだろ。」
小野の頭を軽く小突いて答える。
「ちぇ。先生、夢がないなあ。だって、そのほうが楽しいじゃないですか。それにしても、こんなのオークションに出していったい誰が買うんでしょうねえ。」
小突かれた頭をなでながら小野が言った。
「オークション?」
「そうですよ、今度これのオークションが開かれるんですって。なんでもどこかの金持ちがこれを放出したとかで。あちこちの美術館が名乗りをあげてるって。だからこれを近くでこんなに見れるのもこれが最後かも。」
その言葉に衝撃を受ける博雅。思わずもう一度ガラスケースの中を凝視した。
(沙羅…。)
沙羅(2) へ。
へたれ文へのご案内へ