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SYAMON(1)
(み~つけたっと)
目の前でくうくう眠っている赤ちゃんをみて、そいつは心の中でにやっと笑った。人好きのするかわいいえくぼをみせて眠っている小さな男の子。まだ三ヶ月位だろう。
遠くからパタパタと廊下を歩いてくる足音がする。
一瞬、どうしようかと考えたそいつだったが、逃げるのをやめて勝負に出ることにした。
部屋に誰かが入ってきた。
「あらら!どこから入ったのよ。猫ちゃん!?」
女の人の声。
「な~お」
つややかな黒猫がその足元にすりすりとすり寄る。
「ひとなっつこい猫ね。でも、一体どこから入ったのかしら?」
部屋の中を見回すが窓は閉まっているし、今入ってきたドアも開いてはいなかったはずだ。
「なあう。」
こっちを向いてと言うように猫が鳴いた。ごろごろと喉を鳴らす。
「きれいな子ね。どこから入ったの?不思議な子…。」
その人はひょいと猫をだきあげ、その顔をしげしげ見るとそう言った。
とても、野良猫には見えない、その毛並みはまるでベルベッドのようにつややかだ。
「きっと、どこかの飼い猫だわね。こんなにきれいだもの。」
窓をからりと開けると、そっと外に下ろす。
「どこの子か知らないけど、おうち帰りなさいね。みんなが心配しているわよ。ばいばい。」
黒猫の頭をやさしくなでると、ぴたっと窓を閉じた。
窓の向こうでこちらをじっと見つめる猫。
しばらく後、困ったように、窓の外を見つめるのは、さっきの女性。
「こまったわね…。どうしてここから動かないのかしら…?」
窓の外には、さっきからずうっと置物のように動かない黒猫が一匹。
と、今までぐっすり眠っていた赤ちゃんが、目をさました。
「ああ~ん!あんあん!」
おなかが減ったのか、大きな声で泣き出した。
「あらあら。おっきしたのね~。おなかちゅいたでちゅか~?」
声をかけながら、抱き上げる。赤ちゃんは泣き続けている。
「あんあんあん!」
「いま、ミルク作るからまっててねえ。」
あやしながら、言う。
と、赤ちゃんがぴたっと、急に泣き止んだ。
「?どうしたの?」
「あう、あうー!」
だっこされた赤ちゃんがその小さな手をいっぱいにのばして、何かを見つめている。
「?なにみてるの?」
赤ちゃんの視線を追うと、その先には先ほどの黒猫が窓の外からこちらを見ていた。
片手が窓にかかっている。カリカリと窓を引っかく。
「あら、さっきの猫ちゃんね。」
「あーう。あーう!」
「あの猫ちゃんが気になるのね」
どうしようかなと、少し考えたが、野良猫と言うわけではなさそうだし、と、そのひとは窓を開けた。猫がさっと入ってくる。そのまま、その女性の足元にすり寄る。
ごろごろごろ…。
立っていても聞こえるほどの喉のなる音、よっぽど、入れてくれたのがうれしいようだ。
「しょうがないわね、いいわ、元の飼い主が見つかるか、自分で帰るまで、ここにいてもいいわよ。根負けしちゃった。ね!やっちゃん?」
抱っこしているその人の赤ちゃんは、自分の真下にいる猫をそのつぶらな瞳で必死に追っている。
猫もその子を見上げる。
「にゃあう!」
まるで、挨拶をするかのようにないた。
「ほら、やっちゃん、にゃんにゃんよ~。」
母親は小さな息子を、猫に手が届くところまで抱き下ろした。
その子は小さな手を猫にむかってのばす。猫のほうも近寄ってくる。
小さな手が猫の顔に触れた。
「にゃう。」
猫が小さく鳴いた。
ヒゲを引っ張り、赤ちゃんがくるくると笑う。
でも、猫はちっとも嫌がるそぶりがない。
「お前、この子が好きなの?おひげひっぱられたら、痛いでしょうに。へんな猫ちゃんねえ。」
母親も笑った。
あの日から、黒猫の沙門は保憲のそばを離れない。葉双とおなじだ。ただし、こちらは博雅ではなく、保憲を待っていたのだが、…しかも、自分の意思で。
あれから千年の長き時、いろんな人間に憑いてきたり、飼い猫のふりをして人に飼われてきたりしたが、いつかはまた、保憲に会いたいものだと思ってきた。
そして、ついに保憲が帰ってきた。
何事にも猫らしく、執着などしない沙門であったが、保憲だけは特別だった。
あの大きな懐の中で丸くなって眠ったのは、もうはるかな昔ではあったが、忘れることなどできなかった。
今はまだ、小さくて懐に入るなどとても無理ではあったが、そのやさしい心根は昔も今も変わらない保憲。
「にやあう。」
黒猫が電信柱の影から走りよってきた。
「おっ!沙門。迎えに来てくれたのか?」
まだ小学生の保憲。
学校帰りの道の途中まで、いつも迎えに来てくれている沙門を見つけて声を上げた。友達たちも近寄ってくる。保憲はどこにいても、常に友達の真ん中にいる子だった。
「保憲んちの猫か?すっげえなあ!猫って、普通迎えになんかこねえぞ~?」
友達の一人が沙門を見て、うらやましそうに言った。
「こいつは特別なんだよ」
にやっと誇らしげに、笑みを見せる保憲。猫を抱き上げると
「なっ!」
猫にむかって、仲間にだけ通じる秘密の笑みを見せた。
そのにっこりと笑った顔を、沙門と呼ばれた猫が小さなピンクの舌でぺろっとなめた。
「お前と僕が話ができるなんて誰も信じっこないよな?」
机の上にかばんを置きながら、保憲が話しかけているのは黒い猫。
(そう、誰にも内緒。秘密だ。)
頭の中に直接声が響く。テレパシーのようなものだ。
沙門が保憲にむかって話し始めたのは、そんなに昔のことではない。保憲が秘密を守れるような年になるまで、沙門は待っていた。
初めて、保憲に声をかけたときのことを沙門はよく覚えている。保憲は全然、驚かなかった。こっちのほうが驚くようなことを言ったのだ。
「いつ声かけてくれるのか、ずっと待ってたよ、ぼく。」
にっこり笑って、沙門を抱き上げ自分の目の高さに持ち上げる。
「ぼく、覚えているよ。クロ、…じゃなくて沙門。前も一緒だったよね。」
いままでクロと呼んでいた保憲が、自分を沙門と呼んだことにびっくりする。
「近頃のぼくって、ちょっと変なんだよ、沙門。時々、すっごい昔のことを思い出すんだ。家の形は変だし,着てるものだって、すっげー変なんだぜ。ママには、こんなこと話せないけどさ。」
猫を机の上におろすと、その小さな顔を両手できゅっとはさんで、じっと目を合わせる。
「そんでさ、いっつもお前と一緒にいるんだ。」
自分をみつめる保憲のあたたかな瞳に、沙門はなんだかうれしくなって話すことも忘れてつい、にゃうと鳴いてしまった。
(私を覚えていてくれたのか。…保憲。)
「うん。でも、昔はおまえ、ひとの言葉なんてしゃべれなかったんじゃなかったっけ?」
うっすらとした記憶をたどりながら保憲が聞いた。
(私だって千年も生きていれば、言葉くらい操れるようにもなる。人の姿になることだってできるぞ。)
ちょっと自慢げに、その小さな胸を張る沙門。
「へえ~!すっごいなあ!見てみたい!!」
じゃあ一回だけだぞと答えて沙門が人の姿をとった。
黒猫に代わって小柄だが均整のとれたきれいな若い女性が、保憲の勉強机に優雅に腰をかけている。
アーモンド型のつりあがったきれいな瞳、腰まで届くながい髪、黒のミニスカートからすらりと伸びたきれいな脚。まだ、小学生の保憲だったが、その姿に胸がどきんと鳴った
「どうだ?」
沙門が自慢そうに言う。保憲がどぎまぎしていることに気づいていない。
「…うん。すっげえ。」
保憲はドキドキして沙門と目が合わせられないでいた。
「どうした?」
そんな保憲の様子にようやく気がつく。
「はは~ん。私があんまり美人なんで驚いたんだ。」
にやっと笑う。つんとした表情が消えてすごくチャーミングになった。
「そ、そんなんじゃないよ!」
ますます赤くなる保憲。
「保憲には、まだ刺激が強すぎた。」
そういってあっというまに沙門は、また元の猫の姿に戻ってしまった。
(もう少し、大きくなったらな。)
その日以来、保憲と沙門はいつも一緒だった。もちろん四六時中、一緒にいると言うわけではなかった。が、心で呼ぶだけで、たとえ距離があったとしても、いつもお互いと話ができた。
そのことは誰にも、たとえ大好きな母でも話すことのできない二人だけの大きな秘密だった。
高校生になった保憲。ちょっとたれた目が優しげに見えるのか、よく女の子にもてる。背も高くなって、180センチをゆうに超えたすらりとしたスタイルの青年に育った。
癖のある髪は伸びると手に負えなくなるので、少し短めに切ってある。下唇が少しばかりぼってりとしているところが、妙に男っぽくセクシーな感じだ。
その唇の端が少し上がっていて、いつでも笑みをたたえているように見える。(誰かさんとそっくりだ。)
少しわるっぽく見えるところも女の子にもてる一因かもしれない。
本人も、自他共に認める女好きに育った。常に何人かの彼女のかけ持ちをしている。
「よく、そんなんでバッティングしないもんだな、保憲。」
友達にも、よくそういわれた。
「うまくやってるから大丈夫!俺って、こ~ゆ~才能だけは、人一倍あるんだよ。」
放課後に軽く一年の女の子とのデートをひとつこなして帰ってきた保憲、友達のあきれたような言葉にもけろっと笑って答えた。
「変な才能だよなあ。お前、頭いいんだからさあ、もっと別のことに生かしたほうがいいんじゃないか?才能の無駄遣いっていうんだぜ、そんなの。」
「いいんだよ、俺はこのくらいで。…おっと、次の彼女の約束があるんだ、じゃ、お先っ!」
時計を見てあわてて教室を後にする。走りながら沙門に呼びかける。
(沙門、いま、どこだ?)
(なんだ?ふぁあ…。いま、寝てたんだよ。なんか用か?)
めんどくさそうに沙門が答えてきた。
(わりい!家に財布忘れてきたんだ。今から取りに行ってたんじゃデートに間に合わないんだよ。わりいんだけど、近くまで持ってきてくんねえ?)
(…またあきもせずデートかよ、…めんどくさい…)
あきらかに眠そうで不機嫌な声。
(頼むよ!沙門ちゃん!愛してるからさあ~!!次のデートは金無いとまずいんだよ~。)
(…ったく、しょーがないなあ…今度だけだぞ。どこもってきゃいいんだ?)
しぶしぶ沙門が言う。
(ありがとっ!恩にきるぜえ!)
うれしそうな保憲の声を聞くとめんどくさいといいながらも、ついつい、いうことを聞いてしまう沙門。実は、誰よりも保憲のことが好きなのだ。
そんなことわざわざ、言ってやる気などないが。
デートの待ち合わせ場所に近いゲーセンの前で、保憲は沙門を待っていた。
「あいつ、どうやって持ってくるつもりだろ?あせってたから、ヤツが猫だってこと、ころっと忘れてたけど…」
あ~、沙門に無理言っちゃたなあと、小さな猫が重そうに(中身しだいだが)財布をくわえて、けなげにやってくる姿を想像しながら、下をむいてどこから来るのかと往来の足元を探していると、予想に反して頭上から声をかけられた。
「なにやってんだ?保憲。財布持ってきてやったぞ。」
クールな女の声に驚いて、ぱっと上半身を起こして振り向く。
自分の目の高さより30センチばかり下に、ちょっとつりあがった綺麗な瞳の美女が立っていた。保憲の財布をほれほれと保憲の目の高さで振る。
「しゃ、沙門!…か?」
「あたりまえだ。ほらっ!さいふ!」
保憲の手に財布をぽんと渡す。
「こんな重いもの、猫のままじゃもってこれっこないだろ。」
くいっと強気そうにあごを上げて保憲を見上げる。でっかく育ちやがって…、首が疲れるじゃないか。
「そりゃそうだ…。」
財布を手に、沙門をみつめたまま、ぼうっと返事をする。
「なに、呆けているんだよ。早く行かないとデート遅刻するんじゃないか?」
はっとなる保憲。
「あっ!そうだった!…じゃ、おれ行くわ。ありがとな…。」
「おう。」
なんだかお互い何か言いたそうだったが、それ以上二人とも何も言わなかった。
沙門は来た道を引き返し、保憲は待ちあわせの場所へとそれぞれ反対方向に向かった。
年上のかなり色っぽい彼女とデートしながらも、保憲の気持ちは上の空だった。
子どものときに一度見たきりの沙門の人の姿に、いまだに心が奪われていた。
実は、最近よく、沙門はあの姿で保憲の夢に現れる。
夢の中での出来事は口が裂けても沙門には言えない…。人がたをとった沙門と保憲は夢の中ではいつも恋人同士だ。そしていつだって濃厚なラブシーンで目が覚める。
それだけでもどうかと思うのに、おまけに目覚めても体中が熱くて動悸が止まらないのだ。
そんなときはありがたいことになぜか大概、沙門は外に出かけてていなかったが。
そして、そんな夢を見た後はしばらく、どんな美人が相手のデートでも身が入らなくなるのだった。
(まいったなあ。また、しばらく他の女が楽しくなくなるぞ…。)
目の前の彼女と笑顔で話しながらも、保憲は心の中でため息をついた。
おまけに今回は夢どころではない。久しぶりに本物を見てしまった。いつも一緒にいるはずの沙門だが、あの姿で来られると…もうだめだ。
恋愛ごっこは好きだが本気の恋愛は、保憲の得意とするところではない。。心も身体も相手のことだけでいっぱいになってしまうのが嫌なのだ。
優しげで女好きに見える保憲だが、心の中は基本的に人嫌いでアウトローなのだ。彼が今まで本気で好きになった女など、実は一人もいない。
女は一緒にいると華やかでかわいくて楽しいし、抱けばやわらかくて夢中にもさせてくれる。だが、それだけだ。心を奪われたことなど一度も無い。
…ただ一人をのぞいては。
でも、その相手はひとではない。
最初は、あかんぼの頃から一緒にいたから芽生えた親近感だと思っていた。
いつからだろうか…、沙門を伴侶として想うように代わっていったのは。本気の恋愛は苦手なはずなのに、沙門だけは特別だった。
ぶっきらぼうでめんどくさがりやで、そのくせ、優しくって、いつだって保憲の傍らにいてくれて、その瞳はどこまでも碧く澄んでいて…。
小さな体の癖に、でっかい心を持った優しい女。
保憲は、いつのまにか夢でその想いを遂げるようになってしまっていた。
(沙門には知られたくはないな、こんなこと。…きっと、あきれられて嫌われちまう。)
知られるのが怖かった。
年上の彼女の、今夜はうちに泊まっていくんでしょという言葉に適当に相槌を打ちながら、保憲の心は珍しく沈みがちだった。
それから何ヶ月かが過ぎたある日、保憲は賀茂家の本家に招かれていた。
その日は賀茂家で年に一度行われる祭祀の日だった。来年には大学生となる保憲ももう、一人前の大人として今回から呼ばれるようになったのだ。
だからといって特別になにをするわけでも無い。一族の大人たちがずらりと並んだその最後尾で、似たような年頃のいとこたちとひそひそ、笑いながら会話をしている程度の認識しかない。
「こらっ、静かにしろ。」
親戚の一人が振りむいて小さな声で怒った。
「スイマセン…。」
いとこたちと殊勝な顔で頭を下げたが、心の中では、悪いとすら思っていない。こんな祭祀に意味などないとわかっているからだ。
最前列に設けられた祭壇では五色の御幣がわずかな風に揺れ、その下には海のもの、山のもの、と多くの供物が供えられている。
その前で、賀茂家を代表する年配のおじが祭司を読み上げている。が、保憲には、他の皆には見えていないものがはっきりと見えていた。
五色の御幣を揺らしているのは風などではない。小さな鬼どもだ。祭祀を読み上げる叔父の肩の上にも、供物の上にも、いろいろな形の鬼と思しきものたちが人間を小ばかにしたように騒ぎまくっている。保憲にはこんなにはっきりと見えているのに、他の大勢の陰陽師を名乗る大人たちには誰一人、見えていないようだ。
(これじゃあ祭祀の意味など無いよな。)
状況を面白おかしく説明して、心の中で沙門に話しかける。
(今の時代、ろくに修行もしていないのだ、無理もないだろうよ。)
今はこの屋敷の屋根の上で日向ぼっこでもしているはずの沙門から、相変わらずめんどくさそうに返事が返ってきた。
(今日もデートの約束があるんだよ。何とか抜け出して早く帰りたいよ。)
と、保憲
(また、デートか?よく、飽きないな。)
あきれたように沙門が答える。沙門があきれるのも無理はない。ここ何ヶ月かの保憲はデートのしすぎだ。ほぼ毎日、誰かと、どこかで会っている。。
保憲としてはれっきとした理由があったのだが、そんなこと沙門には分からるはずもない。女好きにもほどがあると(一応女なので)あきれ果てている。
二人がそんな会話をしているところへ、どかどかと廊下を大きな足音が響いてきた。
三十畳はあろうかという大きな部屋で居並ぶ一族の者たちが、ざわざわとざわめいた。
(なんだ?)
保憲も顔をあげた。
と、廊下の障子が大きくあいて一人の男が入ってきた。風呂にもろくに入っていないのか垢じみた汚い格好をしている、
その服装はまるで山法師のようだ。元は白だっただろう着物に、これも元は赤だっただろう梵天のついた袈裟をかけている。
顔は日に焼けているのか、それとも洗っていないのか、どちらとも判別のつかない黒さだ。
(汚そうなおっさんだな。…でも、こいつ…。)
やばそうなヤツだとぴんと来た。なんか持ってるぞ、こいつ。その男の腰に下げられた古びた竹筒から、何かの気を感じる。
(沙門、きてくれ。…なんか、やばそうなヤツが来た。)
(すぐ、行く!!)
沙門がこちらに向かってくる気配を感じた。
「なんだ!君は!?」
「どこから入ってきたんだ!部外者は立ち入り禁止だぞ!」
叔父たちが侵入者に詰問している。
にやりと黄色い歯をみせて男が笑った。若くも、年寄りにも見える不思議な男だ。
「ここはかの有名な陰陽道の賀茂家と聞いている。今日は大切な祭祀の日だそうだな。五龍祭か?まあ、何でもかまわないがな、どうせ大した威力などないだろうからなあ。」
祭壇の上にいた子鬼を、指先でぴんと弾き飛ばした。
(こいつ、見えているのか!)
驚く保憲、自分以外で見えるヤツなど初めて会った。
「その賀茂家に何の用だ!?」
気色ばむ叔父たち。今日は最長老の当主が不在なのだ。そんな日になにかあっては大変だ。
「なあに、ちょっと前を通りかかったものでな。有名な賀茂の陰陽師とはどの程度のものなのか見学に来ただけだ。俺にかまわず続けてくれ。」
祭壇の横にどかっと腰を下ろし、小ばかにしたようにニヤニヤ笑っている。
叔父たちは男に出てゆくようにきつくいう。
「見学などできない!とっとと出てゆけ!」
「ほう、出て行けというか、せっかく見に来たのにつれないなあ。では、私をここから追い出してみよ。それが出来るのならばな。」
不敵に笑う。
かっとした叔父の一人がその男の腕を掴んだ。
(やばいっ!!)
考えるより先に保憲は飛び出していた。最後尾の席から猛然とダッシュする。おじと男の間に飛び込んで体で叔父をかばった。
男の腰の竹筒からけものの形をした何かが飛び出して、その勢いのまま保憲の体に吸い込まれていった。
「叔父さん…大丈夫か…?」
にやっと笑って、その場に崩れ落ちる保憲。
その場の皆が色めきたった。
「保憲!大丈夫か!?おいっ!!」
「保憲!」
皆が保憲の元へと駆け寄る。その騒ぎの中、先ほどの男がすいっと廊下へと出てゆく。
「やれやれ。ちょっと脅かすつもりがしくじった。大事な管だが人の中に入ってしまってはちょっとやそっとじゃ出てなどこぬぞ。…まあそれも面白いかもな。
あの若いの、俺が何か持っているのに気づいていたんだな。加茂家ももう終わりかと思っていたが、まだ、ましなのが残っていたようだな。…くくく。」
騒ぎにまぎれて姿を消す男。遠い昔に人生を暇つぶしだといっていた男によく似ていた。
沙門が駆けつけたときにはもう、保憲の意識は無かった。
床に寝かされた保憲の耳元で必死に声をかけるが、返事は返ってこない。
「にゃあう。にゃあう。」(保憲!保憲!返事しろ!聞こえるか?保憲ってば!!)
「この猫は?」
「保憲の猫だよ。よくつれ歩いてるとは聞いていたが、今日もつれてきてたのか。」
「かわいそうに、飼い主が大変だってわかるんだな。賢い猫だ。」
沙門を見下ろしながら皆が話している。こんなに陰陽師を名乗るものだらけなのに、誰も沙門を普通の猫だとしか見ていない。
保憲がどれだけ今、大変なことになっているのかもきっと、分かってなどいないのだ。このまま病院にでも運ばれたりしたら、もっと大変なことになってしまう。
沙門はもうどうしたらいいのか分からない。ただ、ひたすら保憲が心配でしょうが無い。
(保憲ぃ…。)
そこへ、今日は祭祀の席には参列できなかった当主が帰ってきた。静かな足音とともにいくつかも分からぬほどの年寄りが入ってくる。その場の皆がそれぞれ頭を下げて迎える。
「なにがあったかは、いましがた聞いた。で、その男とやらはどこにおる?」
当主に男の所在を聞かれて皆あわてた。なぜか、そろいも揃ってすっかりその存在を忘れていたのだ。
「ふん、目くらましだの。しかも、誰一人それに気づかないとは、情けないことだ…。で、この子はどうしたのだ?たしか。加賀の家の子ではなかったか?」
足元に倒れこんでいる保憲を見下ろす。
叔父の一人が一部始終を語って聞かせた。
「ふむ。では、この子だけがその男のことを分かっていたということだな、なかなか、大したものだ…。おや、この猫は?この猫もこの子のか?」
沙門のに気づき、その頭を優しく撫でる。でも沙門はそれには反応せず、ひたすら保憲の顔をなめている。
「心配なのだな。…誰かこの子をわしの部屋に運んでくれ。」
当主の指示で保憲は病院などではなく、奥の静かな部屋へと運ばれた。
「お前もおいで。ちょっと話をしよう。」
当主の賀茂道清は沙門を抱き上げると、そうささやいて奥の部屋へと一緒に連れて行った。
賀茂家の奥の間。障子戸の閉められた縁側の向こうの庭はもうすっかり暗闇に沈んでいる。
部屋の中には床が延べられて、保憲が意識無く横たわっている。
「さて、猫よ。本当の姿を見せてくれないかな?このままでは話も出来まい。」
猫を前に道清は言った。
(…このままでも話は出来る。よくわかったな、私が唯の猫ではないと。)
「おうおう。このまま話せるとは。ははは、さぞや年季の入った猫又だの。おぬし。」
(余計なお世話だ、じいさん。そんなことより保憲を助けてくれ。いくら呼びかけても答えてくれないんだ。)
礼儀もへったくれもない物言いだったが、保憲を心配する気持ちはしっかりと道清に伝わった。
と、急に意識をなくしていたはずの保憲がむくっと起き上がった。あたりをきょろきょろ見回すとそのまますっと立ち上がった。
急なことで驚いていた沙門がはっとわれに返って保憲に呼びかける。
(保憲、だいじょぶか?)
でも、保憲は何も答えない。沙門の言葉が聞こえていないようだ。
(おい!保憲どうしたんだよ?!)
「待て待て、猫よ。なにかおかしくはないか?」
黙って見ていた道清が言った。
確かに言われてみれば…。おまけにかすかだが何か変な臭いがする。何かの獣の…。
(この臭いは覚えがあるぞ。…これは…狐だ。)
沙門の背中の毛がハリネズミのように逆立った。
(たかが、狐のくせに保憲にとりつきやがったな!!)
「どうも、そのようだの。」
syamon(2)
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